日本物理学会
第14回論文賞受賞論文
本年度の「日本物理学会第14回論文賞」は論文賞選考委員会の推薦に基づき、2月7日に開催された第506回理事会において次の5編の論文に対して与えられました。
表彰式は本年3月29日(日)の午前、第64回年次大会のレビューセッションに先立ち、レビューセッション会場である立教大学タッカーホールにおいて行われました。なお、今回の受賞論文の選考の経過については表彰式の際に上田選考委員会委員長から報告されましたが、本記事の末尾にも掲載しましたのでご参照ください。
論文題目 Phase Transition in Confined Water inside Carbon
Nanotubes
掲 載 誌 J. Phys. Soc. Jpn. Vol. 71, No. 12, pp. 2863−2866 (2002)
著者氏名 Yutaka MANIWA (真庭豊),Hiromichi KATAURA (片浦弘道),Masatoshi ABE
(阿部真利),Shinzo SUZUKI (鈴木信三), Yohji ACHIBA (阿知波洋次), Hiroshi
KIRA (吉良 弘),and Kazuyuki MATSUDA (松田和之)
授賞理由:
本論文は,単層カーボンナノチューブ(SWNT)に室温付近で水が出入りすること、低温でSWNT中の水がリング状に固化した「氷ナノチューブ」が形成されること、氷ナノチューブの形成が温度変化に対して可逆であることを、放射光X線回折実験により明らかにしたものである。本論文の背景として、フラーレン分子、窒素分子、酸素分子などの気体分子がフラーレンに内包される現象と、氷ナノチューブを理論的に予言した論文がある。氷ナノチューブを実験的に検証するまでに、本論文では、参照資料であるC60のピーポッドや空の多層カーボンナノチューブの回折実験結果との比較、回折シミュレーションとの比較をおこなっており、氷ナノチューブの構造までもかなりの確度で推定することに成功している。 本論文がきっかけとなって、氷ナノチューブは独自の分野に発展した。とくに、SWNT直径の変化により氷ナノチューブの融点が大きく変化することが明らかにされており、例えば、直径の小さな氷ナノチューブが室温でも融解しないことなどが見出されている。このように、本論文は関連分野ヘの発展と独自分野の形成の基礎となった論文で、多くの注目を集めてきた。被引用回数は、近年のナノスケール量子系分野のJPSJ論文として群を抜いており、海外の研究者や化学の研究者にも多く引用され、本論文のインパクトの大きさ,影響の大きさを示している。
以上のように、高いオリジナリティをもち、その後の研究の広がりを作った本論文は、日本物理学会論文賞にふさわしい論文である。
論文題目 Pressure-Induced Zero-Gap Semiconducting State in
Organic Conductor α-(BEDT-TTF)2I3 Salt
掲 載 誌 J. Phys. Soc. Jpn. Vol. 75, No. 5, 054705 (2006)
著者氏名 Shinya KATAYAMA(片山新也), Akito KOBAYASHI(小林晃人), and
Yoshikazu SUZUMURA(鈴村順三)
受賞理由:
準2次元的有機物質α-(BEDT-TTF)2I3
が特異な輸送現象を示すことは梶田らの先駆的な研究で実験的に明らかにされていた。特に、ホール伝導度、ホール移動度の奇妙な温度依存性は、従来の輸送現象の理論では、説明できないものであった。さらに、2007年の論文賞受賞の論文
Naoya Tajima et al.: JPSJ 69 (2000)
543では、この物質の圧力下での輸送現象を研究し、その電子状態がゼロギャップの半導体になっていることを推論した。しかし、これらの輸送現象の微視的機構は、謎のまま残されていた。 その謎を解明したのがこの片山氏らの理論研究である。この物質は単位胞に4分子あり、3/4
filled の状態にある。常圧では135 Kで絶縁化する。片山氏らは2次元のtight-binding modelをhopping
integralを変えて調べたところ適当な条件が満たされるときには、ゼロギャップ半導体が安定的に実現することを発見した。興味深い点は、ゼロギャップ半導体状態がhopping
integralのある有限の範囲の値で実現し、ギャップゼロになるブリルアンゾーン内の点 Q
はグラフェンのように対称点ではなく、パラメーターに依存して移動する一般点であって、当然ながら、Qと-Qの対で存在する。こうして、この論文によって田嶋氏らがゼロギャップ半導体を推論した研究に突破口を与えた。当然、磁場をかけるとゼロエネルギーにランダウ準位が出現し、これがこの系の物性で最も重要な点であることは明らかである。ゼロエネルギーにランダウ準位が存在することは最近の磁気抵抗、ホール抵抗の実験からサポートされており、近年の物性物理の大きなテーマであるグラフェンとの対応にも大きな興味がもたれている。 準2次元的有機物質α-(BEDT-TTF)2I3
は日本で深く研究され、一歩ずつ物性が解明された物質であり、海外の研究の追随ではないことは高く評価され、論文賞にふさわしい業績であると認められる。
論文題目 Unconventional Heavy-Fermion Superconductivity of
a New Transuranium Compound NpPd5Al2
掲 載 誌 J. Phys. Soc. Jpn. Vol. 76, No. 6, 063701 (2007)
著者氏名 Dai AOKI (青木大), Yoshinori HAGA(芳賀芳範), Tatsuma D. MATSUDA(松田達磨), Naoyuki
TATEIWA(立岩尚之), Shugo IKEDA(池田修吾), Yoshiya HOMMA(本間佳哉), Hironori SAKAI(酒井宏典),
Yoshinobu SHIOKAWA(塩川佳伸), Etsuji YAMAMOTO
(山本悦嗣), Akio NAKAMURA(中村彰夫), Rikio SETTAI(摂待力生), and Yoshichika
?NUKI(大貫惇睦)
授賞理由:
希土類やアクチナイド化合物の強相関f電子系で実現する“重い電子系”物質群は、新奇な超伝導現象を研究する上で有力かつ多様な可能性を秘めた舞台である。4f電子系に比べてより遍歴性が高いとされる5f電子系の研究は、これまでほとんどウラン化合物に限られてきたが、2002年のプルトニウム化合物PuCoGa5での超伝導発見を契機に、その領域は超ウラン化合物にまで一気に拡大した。
こうした中で、NpPd5Al2単結晶試料の合成に成功し、ネプツニウム化合物として初めて超伝導を実現したのが本論文である。同時に、種々の物性測定から新奇な超伝導性も指摘している。著者達は、放射性物質の純良単結晶試料の育成・評価と物性測定という困難かつ高度な実験技術を駆使して、これまで多種のネプツニウム化合物を合成してきたが、それらはほとんどが磁性体であり、超伝導を示すものはなかった。本論文の成果はそうした粘り強い物質開発の上に立った成功であり、重い電子系超伝導研究の新たな地平を切り開いたものとして、高く評価できる。
観測された上部臨界磁場(Hc2)の大きな抑制や、Hc2曲線が広い温度範囲に渡って1次相転移に見えることなどは、この物質が強い常磁性効果をもち、量子臨界点近傍に位置していることを示しており、大変興味深い。また、Hc2の大きな異方性、常伝導相の温度に比例した電気抵抗、帯磁率や比熱係数の低温での増加などは、超伝導の舞台となる電子状態が非フェルミ液体的で強い2次元性をもつことを示している。本論文はその後、クーパー対の波動関数の対称性(著者達はd波スピン一重項状態を予測)や対凝縮のミクロな機構を巡って、活発な理論及び実験研究を誘起している。
以上、超伝導研究としての学術的意義と発展性から判断して、本論文の業績は日本物理学会論文賞に値するものと評価される。
論文題目 Chiral and Color-Superconducting Phase Transitions with
Vector Interaction
in a Simple Model
掲 載 誌Prog. Theor. Phys. Vol. 108, No.5, pp. 929-951 (2002)
著者氏名 Masakiyo KITAZAWA (北澤正清), Tomoi KOIDE (小出知威), Teiji KUNIHIRO
(國廣悌二), and Yukio NEMOTO (根本幸雄)
受賞理由:
高密度におけるハドロン物質の相構造の解明は、量子色力学(QCD)における最もチャレンジングな理論的課題の一つであると同時に、中性子星やクォーク星の構造論とも密接に関係している。特に、高バリオン密度におけるカイラル相転移とカラー超伝導相転移の競合は、原子核密度の数倍という現実的な領域でおこると期待される顕著な物理現象である。
本論文は、高バリオン密度での相競合に関する先駆的研究であり、カイラル対称性が自発的に破れたハドロン相とカラー対称性が自発的に破れたカラー超伝導相が広い温度・密度領域で共存する可能性や、その競合の結果として新たな臨界点が生まれる可能性を明らかにしている。高バリオン密度では、負符号問題のためにQCDのモンテカルロシミュレーションが困難なため、本論文ではQCDの有効理論として2フレーバーの南部-ヨナラシニオ(NJL)模型が採用され、これまで十分検討されていなかったベクトル型の有効4体フェルミ相互作用も考慮して相競合が解析されている。その結果、ベクトル型相互作用がハドロン相とカラー超伝導相の共存領域を広げるのみならず、
新しい臨界点を誘起する事が示された。後者は、ハドロン相とカラー超伝導相が連続的に繋がっている可能性を初めて指摘したものであり、ハドロン物質の理解に新しい概念的飛躍をもたらした。 本論文で議論されている相競合や新しい臨界点は、重イオン衝突を用いた将来の高バリオン密度物質の生成実験において重要なテーマになると考えられ、さらなる理論的研究もはじまりつつある。本論文は、このような新しい可能性の先鞭をつけた重要な仕事であり、日本物理学会論文賞に値すると評価できる。
論文題目 Electrode Dynamics from First Principles
掲 載 誌 J. Phys. Soc. Jpn. Vol. 77, No. 2, 024802 (2008)
著者氏名 Minoru OTANI(大谷実),Ikutaro HAMADA(濱田幾太郎), Osamu SUGINO
(杉野 修), Yoshitada MORIKAWA(森川良忠), Yasuharu OKAMOTO
(岡本穏治), and Tamio IKESHOJI(池庄司民夫)
受賞理由:
地球環境問題を解決するキーテクノロジーの開発は学際的な基礎研究の発展に負うところが大きい。そのような学問分野の一つとして、電極表面での水の電気分解やその反応過程における触媒作用の解明を目指した溶媒の電気化学論がある。この長い歴史を持つ学問を現代的な観点から一層発展させるために、微視的な立場からの理論的アプローチが長らく期待されていた。しかしながら、現実の電極/水界面をシミュレートするに足るほどの規模の大きな系での非平衡動的反応過程を十分な精度と計算速度で第一原理から処理できる実用的な手法がなかった。 本論文はこの問題を解決した画期的な研究成果を報告したものである。具体的には、既に実用化されている第一原理分子動力学計算コード:Simulation
Tool for Atom Technology (STATE)に、大谷と杉野が2006年に発表した有効遮蔽体法:Effective Screening
Medium
(ESM)を組み込んで、電極化学反応を微視的に研究する理論手法を提案した。また、この手法の有効性を白金表面の水素発生反応の問題に適用して検証した。とくに、水素発生の第1段階として重要な反応、すなわち、ヒドロニウムイオンに電子が流れ込んで水素原子が白金表面に吸着し、表面を拡散する様子を白金原子36個、重水分子32個の系で調べた。そして、その解析結果として、ヒドロニウムイオンのLUMO
が金属表面のdバンドと強く相互作用し、電子が金属側から分子側に移動する様子やこの反応が水の挙動と電位差の働きによって著しく促進されていることなどを明らかにしている。 このように、本論文はSTATE+ESMという大規模数値計算手法の有効性の確立と電極/水界面における電界印加下の化学反応の微視的詳細の解明という2点において十分な成果を挙げていて、日本物理学会論文賞にふさわしい業績であると判断される。さらに、これは電気化学論だけでなく、一般的な異種界面での非平衡問題を微視的に理論研究する上での標準的な手法を与えていると考えられるので、出版後約1年という早い段階ではあるが、当該分野でのブレイクスルーをもたらした功績を称えて論文賞を贈ることを決定した。
日本物理学会第14回論文賞受賞論文選考経過報告
日本物理学会 論文賞選考委員会*
選考委員会は2008年11月に発足した。物理学会事務局より、第14回論文賞には9件9論文の推薦があった旨報告があった。各推薦論文には閲読担当委員および外部レフェリー各1名に閲読をお願いすることとした。外部レフェリーの閲読結果は2009年1月末までに文書により提出された。選考委員会は2009年2月5日に開催された。 選考委員会においては、各担当委員より各論文の説明とそれに対する評価が、外部レフェリーの閲読結果も交えて紹介された。その後選考委員により様々な観点から意見交換がなされた。審議の過程では分野間のバランス、掲載誌間のバランスは特に考慮せず、全員が「優れている」と判断した論文が選ばれた。 以上の経過を経て上記5編の論文が日本物理学会論文賞にふさわしいものとして決定された。
*日本物理学会 第14回論文賞選考委員会
委 員 長 上田和夫
副委員長 中村健蔵
委員 甲斐昌一、鈴木厚人、高田康民、永長直人、二宮正夫、初田哲男、福山 寛、
藤森 淳、三間圀興 (50音順)
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