The Physical Society of Japan
日 本 物 理 学 会

日本物理学会第2回論文賞(1997年)

 本会の第2回論文賞受賞候補論文5篇が論文賞選考委員会から理事会に推薦され,2月26日開催の第356回理事会で5篇の論文に対する授賞が決定された.表彰式は3月30日に第52回年会の総合講演会場である名古屋市公会堂において行われた.
 5篇の受賞論文の標題,著者名,掲載誌・巻号,受賞理由は下記の通りである(順序は論文掲載誌の発行年度順).なお今回の選考の経過については末尾の江尻宏泰選考委員会委員長の報告を御参照いただきたい.

  1. 標 題: Localized Oscillation in a Cellular Pattern
    著 者: 坂口 英継
    掲載誌: Prog. Theor. Phys. 87 (1992) 1049-1053
    受賞理由: 非線形非平衡パターン形成の研究はベロウソフ-ジャボチンスキー反応に代表される化学反応系やレイリー・ベルナール対流に代表される流体力学系などで議論されることが多い.これらの実験系では,制御パラメータを増大して行くと,複雑な分岐現象やいくつもの非平衡場が絡んで起こると思われる多彩な現象にしばしば遭遇する.このことを反映して,最近の研究動向としては,縮退した分岐現象や複数の非平衡場の相互作用などから生じる新しいタイプの散逸構造の発見に関心が向けられている.本論文もこの流れに沿っており,自励振動と空間的周期構造という2種類の連続対称性の破れが共存する場合が議論されている.具体的には,それぞれに付随する2種類の位相場の相互作用による不安定性の結果として,波の発信源となる局在した標的パターンが出現することを厳密に導いた.
     本論文は,非線形散逸場における新しいタイプの散逸構造出現の可能性をモデル発展方程式の厳密解として示しただけでなく,液晶のグリッドパターンを伴う電気流体力学的対流現象や空間的周期構造を伴うある種の化学反応において適当な制御パラメータを増すと出現するものとして,従来から実験的に知られていた局在標的パターンの理論的説明を与えた点で,優れた論文として評価される.
     
  2. 標 題: Quantum State During and After Nucleation of an O(4)-Symmetric Bubble
    著 者: 佐々木節,田中貴浩,山本一博,横山順一
    掲載誌: Prog. Theor. Phys. 90 (1993) 1019-1038
    受賞理由: ビッグバン宇宙の起源や宇宙構造の起源を,急激な初期膨張とそれに続く潜熱の解放によって説明するインフレーション理論は,この分野のパラダイムとなっている.しかし,現在インフレーションのモデルとしては有力なモデルがあるものの,具体的なインフレーションの機構については,研究者の一致したモデルがあるわけではなく,いろいろな観点から研究が進められている段階にある.この論文は,宇宙初期における真空の1次相転移において生成される“泡”内の量子状態を明らかにした最初の基礎的論文である.
     現在,このように生成された一つの“泡”の中でインフレーションをおこし,観測的に知られている宇宙はこの泡内にあるとするモデルが世界のいくつかのグループで精力的に研究されているが,この論文はその先駆けとなった論文の一つである.著者のグループはこの論文発表後数編の論文を発表し,単にスカラー場のゆらぎのみならず,重力波モード等に拡張し,さらに宇宙背景放射に対する揺らぎの観測との比較まで調べるなど,このモデルを発展させている.これらの研究は初期宇宙の研究分野で高く評価されているが,この論文は著者らの理論展開の最初の論文と言えるもので,論文賞として十分価値のあるものと言える.
      
  3. 標 題:Spin-Polarization by Optical Pumping with Selective Reflection
    著 者: 伊藤治彦,三井隆久,小林克行,藪崎 努,伊東太郎
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 62 (1993) 1951-1963
    受賞理由: 光ポンピングは,原子(あるいは核)のスピンを偏極する方法であり,バンド幅の小さいレーザーを用いて特定の速度をもつ原子のスピンを偏極するなど多くの手法が用いられてきた.ところが,原子の密度が高くなると,ポンピング光が透過しなくなるので,透過光によってスピン偏極を検出できなくなる,という難点があった.これを,選択反射を利用した光ポンピング法によって克服するのが,本論文のテーマである.すなわち,原子気体を封入したガラスのセルにレーザー光を当てると,ガラスと気体の界面にある原子が光を吸収することにより,電気双極子モーメントが誘起されて誘電率が変化する.誘電率の変化は光ポンピングによるスピン偏極に強く依存するので,反射光をモニターすることによって実際にポンピングが行われたかどうかを確認できる,ということである.
     実際に,本論文では,まず理論的に原子系に対する密度行列の時間発展を考察し,誘電率が光ポンピングによって偏極したスピンの方向に強く依存していることを示し,その表式を具体的に求めている.この理論的考察を基礎として,セシウムとルビジウムの原子気体について実験を行い,理論的予想と一致することを確かめた.さらに,スピン交換衝突における角運動量移動を高密度気体において直接観測することにも成功した.
     本論文は,新しい方法についての理論的考察と実験とを提示したもので,論文としての完成度は極めて高く,今後光ポンピングの分野のみならず界面近傍の原子と光との相互作用の分野に対しても多くの示唆を与える内容である.
     
  4. 標 題:Precursor of Charge KTB Transition in Normal and Superconducting Tunnel Junction Array
    著 者: 神田晶申,小林俊一
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 64 (1995) 19-21
    受賞理由: アルミニウムの微小トンネル接合のネットワークにおける電気抵抗の温度依存性から,電荷のKosterlitz-Thouless-Berezinski(KTB)転移の前駆現象をはじめて観測した.微小トンネル接合ネットワークにおいては,各接合の抵抗がユニバーサルな値RQe2/hよりも大きければ,電気伝導は熱的に励起された電荷の移動によって行われる.ただし,低温では正負の電荷対が束縛状態を作っており,ある温度TKTB以上になってはじめて伝導が起こる.これが電荷KTB転移である.著者等は,理論の内容をよく検討し,それに基づいて電気抵抗の温度依存性を注意深く解析し,KTB転移の前駆現象であることを明らかにした.
     この電荷KTB転移を理論的に予言したのはMooij等である.彼らは実験でも転移を観測したと報告したが,その後抵抗の温度依存性が理論通りにはなっておらず単なる電荷を作るための活性化型にすぎないことがわかった.その原因の一つは,ネットワークの大きさが十分でなかったことと考えられる.
     神田と小林は理論を子細に検討し,現実の系では本当の転移は起こり得ず,温度がTKTBにあまり近いと理論からはずれてくる,すなわち,前駆現象のみが観測されるはずであることを予想し,それが観測されるのに十分な大きさの試料を制作して実験を行い,予想通りの結果を得た.
     理論を鵜呑みにして強引にデータを合わせず,理論に合うのは適当な温度範囲のみであることを理論的に検討し,それに合わせてデータを解析した所が賞されるべき点である.
    その結果から,理想的な系であれば転移が起こるはずのTKTBの値を推定し,理論の予想とほぼ一致する結果を得た.特に,同じ試料で常伝導と超伝導の場合では,TKTBの値が ほぼ1対4になることを確かめた.これは,超伝導で電荷が2eの単位で励起され,電荷間の力が4倍になっている事に対応しており,KTB転移の前駆現象を観測したことを強く支持するものである.
     
  5. 標 題:Study of the 7Be(p, γ)8B Reaction with the Coulomb Dissociation Method
    著 者: 岩佐直仁,本林 透,安藤嘉章,黒川明子,村上浩之,阮 建治,下浦 享,白土二,稲辺尚人,久保敏幸,渡邊 康,Moshe GAI,Ralph FRANCE III,Kevin Insik HAHN,ZhipingZHAO,中村隆司,寺西 高,二見康之,古高和禎,Therry DELBAR,石原正泰
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 65 (1996) 1256-1263
    受賞理由: 最近の太陽ニュートリノ測定値が標準太陽モデル(SSM)で与えられる値より少なくなっている可能性がある.このことは,ニュートリノに質量差と混合があり世代間で振動しているか,またはSSMが修正されるべきか,というような重要な問題に関係している.SSMに関して,本論文は太陽ニュートリノのエネルギーの高い成分が太陽内の7Be(p, γ)8B反応でどれだけ発生するかを,クーロン分解法で測定することに成功した.
     この方法は,直接の(p, γ)反応法とは独立で,いくつかの実験上の有利な点がある.これまでは,直接(p, γ)法の測定値がいくつかのグループで出されていたが,新しい方法のデータとして,重要な意味がある.
     実験では,8B核ビームが208Pbのクーロン場で分解するという逆過程を測定し,仮想光子理論によって,(p, γ)反応率が求められた.得られた結果は,誤差の範囲で直接法によるあるデータと一致している.
     将来クーロン分解法で,太陽ニュートリノに重要な0.2MeV領域で多重極まで含めた精度の高い実験をしてみることが重要になろう.この論文は,この可能性と重要性を示している.


日本物理学会第2回論文賞受賞論文の審査経過

論文賞選考委員会委員長 江尻宏泰

 本年度の日本物理学会第2回論文賞の選考が2月21日の選考委員会議で行われた.5件の候補論文が推薦され,2月の理事会で承認された.今回は第2回で,大分軌道にのってきたという感じがする.選考委員会では,各論文の意義と評価について推薦意見等を参考にし,詳細な検討が行われた.一方,一般的なことや選考法についても種々意見交換や議論が行われた.選考委員長として,若干の感想を述べる.何らかの参考になれば幸いである.
 各分野の各方面から多くの非常に優れた論文が推薦された.大変喜ばしいことである.当然ながら限られた数の論文を選ぶのは極めて困難であった.
 本年度の選に入らなかった論文にも,論文賞に値するレベルのものが少なくないことはいうまでもない.論文によっては,出版された日が浅く,もう少し月日をおき全世界の学会の評価の確立をみた方がよい場合もある.したがって,今回の選に入らなかった論文の中にも,次回以降,再び推薦されて,その時の選考委員会の議論によって選に入る論文が出ることも十分考えられよう.
 論文には,一連の研究のなかの一つのものであったり,レターとして速報が出されたあと,詳細な論文としてJournalやProgressに出されたものもある.論文賞の選考では,対象となる論文そのもので,十分な価値があることに主眼がおかれている.
 研究分野によっては,論文賞の対象となるJournalやProgressに余り投稿しない場合があり,したがって,掲載論文の数に結構かたよりがある.選考する立場からいえば,わが国のJournalやProgressに多くの分野の優れた論文がたくさん掲載され,選考に益々苦慮するようになることを望みたい.

(日本物理学会誌第52巻(1997)第5号、pp.396-397)


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