日 本 物 理 学 会

(社)日本物理学会 会誌9月号掲載記事


日本物理学会誌 Vol. 56, No. 9, 2001


座談会「物理学の明日」


出席者紹介

出席者
青木秀夫氏<東京大学大学院理学系研究科 e-mail: aoki@phys.s.u-tokyo.ac.jp>
専門は物性理論.主な興味は磁性や超伝導に代表される電子相関の物理,量子ホール効果,ゾスコピック系など.

上田正仁氏<東京工業大学大学院理工学研究科 e-mail: ueda@ap.titech.ac.jp>
専門は物性理論,量子光学,測定の理論.現在はボース・アインシュタイン凝縮,巨視的量子現象,および,量子情報に興味を持っている.

金子邦彦氏<東京大学大学院総合文化研究科 e-mail: kaneko@complex.c.u-tokyo.ac.jp>
非平衡現象論,(大自由度)カオスなどの非線形ダイナミクス.理論生物学,特に部分と全体の間の相補的なダイナミクスを持った複雑系としての生命システムの理論,構成的生物実験.

谷森 達氏<京都大学大学院理学研究科 e-mail: tanimori@cr.scphys.kyoto-u.ac.jp>
専門は高エネルギー物理から宇宙物理に進出,最近は,より複雑な系に関心があり,新しい検出手法でチャレンジを試みている(昨年,学会誌に記事を掲載).

田崎晴明氏<学習院大学理学部 e-mail: hal.tasaki@gakushuin.ac.jp http://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/phys/tasaki/>
統計物理,数理物理.主として量子多体系などを研究してきたが,最近は,統計物理学の基礎付け,量子論と統計物理の関わり,さらに,非平衡定常系の熱力学と統計力学の建設などに興味を持っている.

米谷民明氏<東京大学大学院総合文化研究科 e-mail: tam@hep1.c.u-tokyo.ac.jp>:
専門は素粒子論.現在の主たる興味と目標は,弦理論をもとにして重力を含めた統一理論を構築すること.

司会
細谷暁夫氏<東京工業大学大学院理工学研究科 e-mail: ahosoya@th.phys.titech.ac.jp>:
量子宇宙論,最近は量子計算も手がけている.ブラックホールと量子情報理論に興味を持っている.

[日時:2001年3月5日,於:機械振興会館6階68号室]


この座談会は3月5日の午後6時から,東京タワーの下の物理学会のあるビルの一室で行われました.物理学の将来について出席者が個人の資格で真剣に語りあった,この燈火(塔下?)清談の抜粋を掲載し,会員諸兄姉ご自身の研究について思索を深めるきっかけに供したいと思います.

司会 お忙しいところお集まり下さりありがとうございました.座談会の進め方としては,まず,物理がこれからどう深まっていくかを議論して,次にどう広がっていくかに移り,最後に社会との関わりに触れたいと思います.まず米谷さんから口火を切ってもらいましょう.



素粒子論は還元主義か?

米谷 素粒子といっても理論と実験の関係が一番問題と思うんですけどね.理論が非常に深まってきたと同時に実験が大規模になっただけでなく非常に難しいということで,その乖離をどうするかという問題があると思うんです.これは今ここで簡単に結論を出すべき問題ではなく,物理学の発展過程として,そういう段階に達したというふうに見るしかないと思います.

青木 素粒子ってのはよく究極と言われますけれど,どんどん細かいところへいって,いわゆる theory of everything ということになればどんどんビッグサイエンスになって,今おっしゃったように,実験は難しくなりますよね.しかし,素粒子でもいろいろで,現象論とかも考えると幅は持ってるわけですよね.一次元的なものではないと思いますが,その辺はどうですか.

米谷 そうですね.僕らが学生として素粒子を始めた時とは全く違った状況になりました.当時は理論といっても,粒子レベルの実験データを説明するための理論ですね.でも,30年間の間に非常に変わってきました.僕がM1ぐらいの時だと,重力なんて,ごく少数の例外を除いて素粒子の人の視野にはなかった.10〜20年ぐらい経って,統一理論,ゲージ理論を通してさらに重力を含めた統一理論になって質的な変化をしてきたという意味で,それまでの素粒子論というものでは捉えられないような広がりと同時に深みが出てきました.素粒子論全体をどう位置づけるかということも,一人の人で判断するのも難しいような状況にあると思います.理論物理という立場から言うと,ずっと細かいところにいくということではなくて,まあ確かに表面的にはそうなんですけど,できるだけ普遍的な法則性を見つけるということです.今,理論と実験は非常に乖離してるんですけれども,基本的には重力というものが視野に入ってきたということが重要です.量子重力というのは,エネルギースケールとか長さのスケールが,現在我々が技術的に実験できるようなスケールからはとてもかけ離れているので必然的にそうなってしまう.しかし,単にその段階に達したというだけじゃなくてですね,僕の立場からすると,量子力学と相対論という現代物理の2本柱をつきあわせた時に根本的な困難がある.単に力を統一したいというよりも,物理学の枠組み自体に根本的に困難があって,19世紀の末頃の古典物理学から量子物理学に移る時にあったような大きな危機に面している.どのぐらいそれを深刻に取るかは人によって違いがあると思いますけれど,僕はそれを深刻に捉えてる.

金子 それは,よく分かるんですけれども.僕が子供の時に読んだ湯川秀樹の本にはそれがすでに書かれていますよね.

米谷 だけど,その段階ではまだ十分問題の深刻さ自体と性格自体が理解されていなかった.特に,重力は視野に入っていなかった.

田崎 素粒子の分野に膨大な実験データとパズルがあって,人のパワーを要求した時代に,そこにバーッとみんなが群がるというのはよかったと思います.しかし,今日,時空そのものを研究対象にするとか,プランクスケールでの物理を扱うというのは,重要ではあるだろうけれど,極めて特殊な問題設定ですよね.そこが未だに,いちばんの人気を集めているというのは,やや歪んでいるような気がします.

青木 僕もね,そもそも物理の深まりっていう時に,まず素粒子論からっていうのは一面的だと思いますね.Theory of everything というか究極を目指すという意味で,もちろん素粒子は大切な分野です.物性物理でも,無限自由度で初めて出る質的な新しいことを,全然ベクトルが違う方向でいわば究極のことをやってる.だから田崎さんが今言ったように,一次元のスペクトルではなくて質的に違うところで,それぞれ皆さん究極のことをやっているわけで

米谷 それには僕も全く同感です.だから,先ほど言った普遍性がいろんな方向,いろんなレベルがあるのであって,どれがえらくて,どれがえらくないという意味ではもちろん全然ない.

金子 極端なところにいけば,普遍性が強い.それは何かある種の信念ですよね.極端なものは極端な時にしか当てはまらないものかもしれないわけですよね.高エネルギー物理ってのは高エネルギーだけにしか当てはまらない物理かもしれないわけですよね.

上田 たとえば固体の多様性を,電子ボルトのスケールで電子と原子をバラバラにしたら,もちろん素過程が見えますが,そうすると固体の個性が全て失われますよね.そういう意味では,必ずしも高エネルギーにいくと本質が見えてくるというのは正しくないと思います.



法則の美しさと実験検証可能性について

司会 実験家の意見も聞いてみたいですね.

谷森 これは難しいですね.僕は素粒子実験をやりたくて1980年代に大学院を出て,85年くらいから始めたところで紐の理論が出てきたんですよ.僕が始めた頃からちょうど理論と実験の分離が始まって,ほとんど対話がない時代がやってきている.実験をやってくと,ある意味では粒子の数が新しく増えるだけなんです.普通の人から見たら,また新しい粒子が見つかったんだなと思うだけでしょう.実験にのめり込んでいると,それで良いのだと思いがちですけど,よくよく考えてみると,哲学的というか自然に対してどういう理解を持つかということに関して,一般の人たちは素粒子実験にあまり興味もなくなってきたのではないか,と僕は考えています.理論の人たちがやっていることで僕が良く分からないのは,確かに専門家には面白いかもしれないんですけど,じゃない人にとっては,いくら時空の構造が数学的に説明できても実験とは,多分,全く何も接点がないんですよ.

米谷 ただ,標準理論にしたって,説明のつかない,手で入れなきゃならないパラメータが数十もあるんです.だから,それを説明するということには十分意味があると思うんですが

谷森 いや,説明することはできるんですけど,それがそうだという証明は実験的には多分不可能ではないかなと.

上田 たとえば若い才能のある人が,自分の一生を捧げるという分野を決める時に,僕なんかは自問するのですがね,自然と接点を失ったところで一生を捧げるということに恐怖を感じるんですね.それに対してはどういうふうに考えたら良いでしょうか?

米谷 原理の問題として何も予言もできない,計算もできないと言うんなら別ですけれども,原理としてはできる.だけども,実際の今の実験とはものすごくかけ離れてるという問題がある.だから,原理として自然とは全然接点がないということではない.

金子 たとえば量子力学の場合には物質の安定性という問題とか,あるいは古典理論をミクロまで適用すると熱力学と整合しない,という問題があった.で,熱力学を絶対正しいと信じる――それはもうマクロな実在なんだし,拒否できない.そうするとこうならざるを得ないという形で多分進んだのかと思うんです.そういう可能性,たとえば,宇宙を見た時にそういう熱力学的なレベルの安定性からとかいうアプローチがありえないですか?

米谷 だから,いろんな意味でのすり合わせがある.宇宙を含めてマクロなところからミクロなレベルまで普遍的な枠組みを作り出したいと.

上田 そういう観点から見ると,別に素粒子と物性って違わないんじゃないですか? reductionismじゃなくて,emergentな.

米谷 つまり,素粒子論は細かいところ細かいところって言うんだけど,実際には僕らはそれこそ無限大の自由度と格闘しているわけですね.単に物が何個かの何からできてるってんじゃなくて,基本的には,場の理論があり,それが更に深まってきた.しかし,物理学の枠組みを統合するには,どうも場の理論の枠組みを越えた新しい枠組みを創出しなければならない.ですから,還元主義と言われると違和感があるんです.法則の普遍性を追求するという点からいったら,そういう意味では,素粒子論も物性論も違わないと思います.似たような考え方は,いろんなところで顔を出して,共通な面はたくさんあると思います.新しい普遍性に関連して最近の話題から一つ例をあげますと,ゲージ理論と重力理論が互いに双対的な関係がある.今まで,ゲージ理論と重力理論は無関係だと思われてた.しかし,両方を弦理論からながめてやると,重力理論とゲージ理論が実は同じものの異なった表現であるとみなせる.そういうところから新しい普遍性っていうものが見え隠れしているということが言えると思うんですね.

青木 そういうところで,現実との接点の一つに,美しさの追求ってのがありますよね.昔,ディラックは,美しい法則は自然が採用しているはずだと言ったわけですね.

米谷 そうですね,アインシュタインも特殊相対論を作った時,最初実験と合わなくてもあまり気にしなかった.

青木 それは,極端な例でしょうが.エネルギースケールが違いますけど,物性も場の理論の舞台で,しかも,いろんな場の理論が有効的に実現している.そこで美しさっていうか,普遍性が成り立っている.

上田 でも,ディラックがあんなことを言ってみんなが納得したのは,彼の理論があまりにすばらしく実験を説明したからだと思うんですね.もし彼の理論が実験と何の関係もなかったら,彼の言葉はそんなに説得力を持たなかったのではないでしょうか?

米谷 どんな理論にしろ,最終的にはそうでしょうね.

上田 アインシュタインの重力理論も同じだと思います.微妙なずれを見事に説明したからこそ説得力あった.

青木 それは自然科学がスクラップアンドビルドで,自然に合わなければ捨てざるを得ないところが数学と違う.

米谷 だけど,その自然との出会いの仕方にもいろいろあるということですね.それ自体のスケールが非常に変わってきた.理論を作ったから,こういうことをやればこれがすぐ証明できますよっていう段階は,素粒子論では過ぎてしまった.

青木 でも,スクラップアンドビルドだからこそ興奮というか,スリリングなとこがあるんで.

米谷 たとえばこれから100年も200年も実験できないとしてですね,それでもやるのかと言われたら,それでもやりたいという人もいるんだし,それは嫌で,10年ぐらいのスケールですぐできるところにいくとか,それはいろいろあると思います.僕自身で言えば,重力と量子の根本問題にぶちあたって,せっかく理論物理をやったんだから,なんとか少しでも解決の糸口を見いだしたいなと思っているわけで.そういう立場からすると別に,10年,20年,あるいはもしかしたら100年,実験で証明できなくてもしょうがないかと思いますけど.

司会 この辺で割り込みましょう.物性の方でも何か実験事実はとりあえずないけども,何かある理論的な美しさを追求してるうちに,そのうち実験事実が出てくる,そんなことはないですか?

青木 それはあると思います.物性物理も非常にスペクトルが広くてですね,物性基礎論と言われてるところから,物に密着したいわゆる固体物理までありますね.そこでは抽象的というか数学的なことが現実の例を持つことがある.たとえば,分数量子ホール効果で,エニオンというフェルミオンでもボゾンでもない分数統計粒子が,机上の理論でなくて実現する.

上田 一つ違いがあると思います.物性論の場合はある意味で確立された原理があって,その原理に基づいて新しい発想で新しい現象が探索される.ただし,基礎となる原理は,ある意味で確立されたものの枠内でやっぱり使ってると思います.もちろん,そこから多体効果とかいろんな効果によって,新しい全く思いがけない現象が出てくるからこそ面白いんだと思いますけど.素粒子の別の魅力は原理そのものから始まると.

米谷 そうですね.

田崎 ミクロなところ以外に原理はないと言い切っていいのかな? ひょっとしたら,たとえば極めて平衡から遠い系の状態を決めるためには,新しい原理がいるのかもしれない.それは,まだ分からないですよね.今でも,ストリングから出発して熱力学を導くなんてことはできていないし,おそらく決してできないと多くの人が思っている.マクロ系では原理が確立しているっていうのは,もしかすると,素朴に過ぎる還元主義かもしれない.

青木 ディラックはもう一つ発言をして,こちらの方は明らかにおかしいと思うのですが,ひとたびシュレーディンガー方程式とかディラック方程式が分かっちまえば,あとは,化学とか物性物理はやることない,この方程式解きゃ良いんだと言ったわけですね.もちろんそんなことはなくて.

上田 確かに,多自由度の中に新しい原理がないというのは,全然保証がないですね.そこに新しい原理があるということを確信されているんですか?

田崎 いや,それはまだまだ分かりません.

米谷 何を原理というのかな.

金子 まあ,考え方と言ってもいいかもしれませんが.たとえば対称性の破れとかは量子力学とは関係なく成立していると言えますよね.

米谷 だからこそ,それはいろんなスケールで,またいろんな対象に使えるわけですね.それを称して原理と言ったら,いろんな違ったレベルがありうるわけですが...

金子 だから,その意味ではもっと普遍性は高いということができるわけですね.対称性の破れとかくりこみ群とかカオスとかいうのは,20世紀に出た普遍的な概念の中では,多分,すごい高いレベルにあると思うんですけど,それは別に全然とは関係ないわけですね.

米谷 ただそういう議論をする時に,方法論とそれから法則自体とは,やっぱりちょっと区別した方がいいと私は思います.つまり,方法論とか概念,物事を取り扱う考え方っていう観点での普遍性とっていう量子力学という一つの基本法則ですよね.それははっきりと区別した方が良い.論理学的に区別できるかどうかは別問題として.



物性論の多様性を問う

田崎 美しさについての我々の直感っていうのは基礎方程式だけに働くのではないはずです.基礎的な土台が何であろうと,そこに何らかの美しい原理が宿っていれば,我々はその美しさを感じることができると思いたい.しかしですね,そういう楽観を押し進めて,至る所に美しい原理があって,至る所に普遍的な法則があって,誰もがフロンティアにいて,それぞれの普遍的な法則を求めているんだ,みたいな悪しき平等主義に陥ってはいけないですよね.科学をやっていれば,基準は正確には分からないけれど,よいものと悪いものの区別はある.青木さんの物性擁護に関してちょっと言いたいわけですが,物性論では,様々なところにフロンティアがあって,問題の多さたるやものすごいですよね.仮に研究室に院生が5人いたら,5人全員にちがう課題を割り振ることができてしまう.しかし,そうやって同じ手法で違うものをちょろちょろ試して安易に論文を量産しても真の発展があるはずもない.最近では,物性理論のかなりの部分がそうなりつつありませんか?

青木 いや,僕はそれには反論したいんですけれども.

田崎 はい,当然そう期待しての暴言です.

青木 今,普遍性にも良い普遍性と悪い普遍性があると言われたんですけど,それは何かというと,多分,基本原理に近いか遠いかということだと思うんですね.そういう意味で,非常にいい普遍性を持ったフロンティアが複数あるってのは,確実だと思うんです.さっき言われたように素粒子を単純に一つの世界だとすれば,物性はいわば多世界で,その多世界の中にそれぞれ良い普遍性はあると思いますけど.で今言われた,銅でやった実験を,まあ別の学生には鉄でやらせりゃいいだろうと,といったこととは違うことで.もちろん,やみくもにやるというのは良くなくて,その問題と今言った良い普遍性は複数あるかというのは全然別問題だと思います.

司会 そろそろ具体的なことを言っていただけませんか?

青木 固体物理からの例を挙げると,最近の一つの例として,強相関電子系の物理ってのがあって,これはもちろん言うまでもなく,1980年代に高温超伝導とか分数量子ホール効果とか見つかって盛んになってきたものです.極論する人は,伝統的な固体物理の教科書に加えて,いまや,第2巻電子相関の物理が必要だって言います.じゃあ,その電子相関の物理は,銅鉄主義との関連ではどうなのかという問題になると思うんです.それは明らかにその銅鉄主義ではなくて,たまたま銅の酸化物っていう,今までそんなに面白いとは思われなかったところから出てきたわけです.そこでの本質である電子相関が普遍的に物事を変える新奇な相転移とか,電荷やスピンについての新しい概念が出てきたという面白いところにきているわけですね.だから,さっき言った基本原理に近いかっていうのは,概念的に面白いかっていうことからすれば...

田崎 強相関系は面白い問題だと思いますが,実際のところ,理論の真の進歩はあまりなかったのではないですか? 結局,強相関系の中の1次元系という物理としては非常に特殊なところで湯水のように論文が出ただけで,本当に物理の宝となるようなものは見つかっていないと思うのですが.

青木 でも物理ってのは特徴づけを極端なところで探すわけですよね.空間一次元系っていう極端なところを見て,そこでの特徴を捉えることで,普遍性を追うというのは良いことだと思いますけどね.

田崎 その姿勢はいいと思いますが,単に極端なところに行けばいんじゃなくて,行ってみて真に新しいものをつかまえて帰ってこられるかどうかが問題だと思う.

金子 そもそも極端なところをやるのと,やれるところをやるのは違うわけですからね.

谷森 質問があるんですけど,物性の人は基本的には原理が分かっていてその応用パターンを探しているのでしょうかと.たとえば,ボース・アインシュタイン凝縮とかいろいろ出てきていますが,それが理論において何か新しいのかなと.僕は宇宙をやってみて,対象がいろいろある中にも,地球上の普通の熱力学系じゃ絶対起こんない,宇宙みたいに希薄なところで非平衡なところで初めて起こる粒子加速ってのは面白いと思った.地球上で作る加速器はあれだけ整備しても5パーセントしか非熱的に加速できないんですよ.宇宙では,ただのガス球が膨張してるだけで10パーセント以上が非熱的に加速できる.でも宇宙の非熱的加速が今でも説明できていない.非熱パートがどんどん減ってくんですね.何かそこには今まで地球じゃ見えなかった多体系の問題があるのかなとか,基本的な何かがあるのかなって気がして,今でもわくわくしてるんですけどね.素人から見ても,いろいろ面白いと思うんですけれども.今,物性論で,グローバルに物理屋さんに訴える何かがあるんでしょうか?

青木 たとえば,分数量子ホール効果があると思います.いろんな分数量子化が実現してて,数学的には多分フラクタルに量子化のポイントがあって,場の理論としては2+1次元のゲージ場で有効的には記述できると言われて,また分数統計粒子や,右手系と左手系が違ってしまうカイラリティが出てくるんです.場の理論では昔から空間の次元数が偶数ってのはやばいというか面白いことが起こるというのは漠然とは知られていたわけですけれども,具体的にこれまでになかったものが見つかり,誰が見ても面白いですよね.

上田 ボース凝縮に関して私自身何が面白いと思っているかと言いますと,量子力学は,最初1オングストロームの世界でできたんですね.それがクォークにいくと10桁ちっちゃくなったんですね.今のボース凝縮ってのは約1センチの大きさになろうとしています.ですから,8桁マクロな領域に拡大されているんですね.その領域での量子力学が正しいという保証はないんですね.ところが,その領域で観測される長距離秩序とか,そういう量子論の本質的な現象を実際にいろんな系で見ると,量子力学が適用できる領域が広がっていると実感でき,感動します.今のところ,量子力学と矛盾するものは何も見つかってないんですけれども,適用領域がマクロ系に拡大した,それだけでも非常に面白いことだと思います.

谷森 僕もそれは面白いと思う.高エネルギー物理の実験では何をやっているかっていうと,散乱問題をやってるだけなんですよ.ある意味で,古典的な手法をただひたすらやっている.素粒子屋もそろそろ頭を切り変えて,たとえば,宇宙のボース・アインシュタイン現象などやればよい.そこでは光速が非常に遅くなるそうですよね.

上田 秒速1メートル.

谷森 1メートルとかってなると,一般相対論はそういう系を使って実験した方が良いと考えられませんか? 素粒子実験も量子位相をもっと見ることを考えなきゃいけないとか,いろいろ思ってるんですけどね.実験屋は今こそ,そういう新しいもの勉強して,今までの大きな加速器を作って実験をやるという発想を少し転換することが必要かなと思う.そういう意味で,今は各分野のクロスオーバーの時期ですかね.少し素粒子実験に心配なのは,巨大実験には周りから人が入ってこなく最初からやっていた人の中のたまたま競争に勝ちぬいた人だけが生き残るので,素粒子のフィールドを狭くするんですよね.そういう分野がほんとにどのくらい生き残れるかについて不安で,逆に自分でこう多様性を出すべきだと言ってやってるんですけど.そういう意味で,物性の方から逆に面白いことが出てきたと思ってるんですけどね.

上田 基礎研究に関して言うと,たとえば,永久ダイポールモーメントの測定.約1億個の原子がボース凝縮してるので,個々の原子のシグナルは小さくても108倍に増幅されます.今まではそういう増幅の手段はなかったと思います.ところが,今回のボース凝縮を使ってそれができるかもしれない.ボース凝縮は,それそのものはある意味で原理的には新しくはないかもしれないんですけれども,それを使って今までできなかったことができるようになる可能性がかなり出てきてるわけです.こういうことに,僕自身は非常に興奮をおぼえます.

青木 さっき谷森さんがおっしゃったのは非常に面白い点で,物性では,どんな人でも思いがけないブレイクスルーをできる機会がある.面白くないといわれていた酸化物から思いがけない超伝導が出てきたわけですし,それから分数量子ホール効果もその舞台は半導体のヘテロ接合という,これは電子デバイスとして重要ですけれども,基礎物理的に重要とはあまりたくさんの人は思ってないですね.さっき,銅鉄主義を発見法的に使えば思いがけないことが出てくる例を挙げましたけど,埋もれた宝をサーチするという意味では面白いと思うんですよ.

谷森 素粒子では実験をやるといったら,これと決めたものしかやらないですよ.ヒッグス粒子だったらヒッグス粒子サーチだけで他の実験は考えないです.実験のやり方を考えるだけで,物理を自分で考えなくなってきた.

青木 ごく最近あった例はですね,MgB2っていう物質があるんですよ.これは誰でも実験室とか試薬屋さんにいけば棚にのってるごく普通の物質で,これが超伝導だったわけです,秋光先生の発見された.そういう意味でも衝撃波が世界に走ったんですけど.



の現れない物理

金子 どうも物理で面白いこと=のからむことってふうに進みがちですが,も100年経ったんだから,至上主義をやめて,もっと広く自然を見ると,物理としてちゃんと考えるべきことはいろいろあると思うんですよね.その中にもっといろいろ普遍的な面白い現象ってのはたくさん転がっている気がする.

青木 じゃあ,生物物理は関係ないということですか?

金子 本質的には関係ないでしょう.物質パラメータを決めるとか,あるいは光合成のところでちょっと関係してるかもしれないけど.で,生物に対する普遍的な考え方としてはダーウィンの進化論という,多分人類が発見したものでこれほど普遍的な法則はないですよね.

谷森 法則なんですか? 哲学っていうか何ていうか.

金子 たとえば少しずつ変化しながら増えていく系があれば,当然競合が起こって淘汰が起こり,そうした場合に必ずこういうことが起こるという意味ですごく普遍的な法則なわけですよね.

上田 淘汰ってことですか?

金子 淘汰の帰結として進化が起こっていくということを示したわけです.問題は生物に対してそれ以外の普遍的なものがあるかということなんですよね.分子生物学の普遍性ってのは,たとえば,みんなDNAを持っているというように分子の普遍性になるのですが,でも何でみんなDNAを持っているのかというと,やっぱり進化を通してきたからということで,普遍性ってのは,結局今のところダーウィンしかない.

上田 DNAが進化を通して生まれたという,証拠があるんですか?

金子 証明はないけれど,DNAをみんな持ってるというのは,ある系統が進化で残ったからだろうと普通考えられますよね.あるいは,全然もっと別なロジックがあるのかもしれないけど,今のところ分かっていないわけですよね.

青木 だけど,現在の生物はある意味で偶然ですよね.たとえば,恐竜が絶滅して哺乳類とか.

金子 現在の生物学では,いろんな偶然が凍結された結果を見ています.だから問題は偶然じゃない普遍的な性質が引き出せるかです.

青木 だから,たとえば,DNA以外でこういった自己複製のシステムがあるかどうか.

金子 それは考えられます.だから,DNAがあるかとかいうレベルではなくて,むしろ生命システムは最低,自由度を中に持ってて,増えていくと要請する.すると密度が増して,当然強い相互作用系になっていくはずですよね.そういうような系の中で普遍的な性質があるか,という問題だと思うんですね.僕は多分あると思うんですね.今のところ証明があるわけではないですけれど.たとえば,DNAとは限らなくても情報を担う部分が出なければいけないとか,また簡単なことを言えば,生きてるものが死ぬのを見た人はたくさんいるけど,死んだものが生き返るっていうのは,見た人は,まあ,いないわけですよね.そういう,ものすごい不可逆性があるわけですね.また何にでもなれる万能細胞から幹細胞になり,自分しか作れない細胞へと分化するという不可逆性があります.そういう普遍的な不可逆性とか,発生の安定性とかはかなり広い問題で,どの分子の性質だとか,どの遺伝子の性質とかに帰す問題ではなくて,ある程度一般的な,この条件を持ったシステムだとこうならざるを得ないという,論理がきっとあるはずだと思う.まあ,そこは僕の信念なわけですけれど.

司会 それはマクロな法則なんですか?

金子 そうですね.ただそれが熱力学のように,一切それより下のレベルを切っちゃって見えて言えることなのか,それとも,ある程度のつながりを残したまま言わなきゃいけないようなものなのか,というのがまだ疑問というか,かなり微妙なところだと思うんですね.

青木 いちばん不思議なのは,進化の前にそもそも無生物から生物になった時ですよね.何かprimordial soup みたいなのがあった時に,生物が発生するのか,それが必然なのか.

金子 生物が発生するのは,そんなにすごい難しいことではないんじゃないかと思います.今やってるプロジェクトではあと3年でプロトタイプを作ろうとしてますけど

谷森 計算機上にですか?

金子 いや,違います.実験室の中で.

青木 その無生物から生物になる時に,原子・分子の問題で済んで,直接にははいらないっていう主張ですか?

金子 多分いらないでしょうね.



くりこみ群的なるもの

田崎 関連することで,熱力学にがいるか? この世界では,原子や分子がたくさん集まって,ガシャガシャやりながら,全体として熱力学を作っているらしい.で,原子や分子を作るためにはが必要.しかし,ミクロな構造が完璧に古典力学に従うような世界が仮にあったとしても,やはりマクロスケールでは僕らの世界と同じ熱力学が現れると信じていいと思います.そういう意味で,熱力学には必要ない.こういう熱力学のあり方を,僕は普遍的と呼びます.つまり,下地に何があるか,素材として何を使っているかとは無関係に,全体を眺めてやると,ある構造がちゃんと現れているということです.もちろん,全てがそういうふうに普遍的になっているわけではない.でも,ある種の物理現象は普遍的に現れるように見える.

司会 そういう例としては,熱力学とくりこみ群ぐらいしか私は知らないんですけど.

田崎 たとえば量子ホール効果も普遍的な現象のよい例だと思います.今度はは必要ですが.半導体の界面を舞台に,電子が主役になっているのは明らかなんですが,コンダクタンスの量子化など,もとの素材からはかけ離れた美しい構造が生み出されている.

青木 だからエッセンスは2+1次元のゲージ場で,素材は原理的には何だっていいわけですよね.

田崎 半導体界面以外にも,その2+1次元のゲージ場を支えてくれるようなものがあれば,同じ普遍的な量子ホール効果が見えるだろう,ということになるわけです.

青木 何度も引き合いに出した高温超伝導体も,たまたま銅の酸化物という特殊な物質で見えてたけど,もしかしたら斥力相互作用するフェルミオン系に普遍的なものかもしれない.

田崎 そういうところが,しっかりと見えてくれば,素晴らしいと思います.

司会 田崎さんはくりこみ群を越えてということを事前のメールでの議論の中で言ってたけど.

田崎 はい.まず復習から.集団的なマクロな振舞を見たとき,ミクロには何を素材にしているかによらず,全く新しい普遍的な構造が見えてくるということが物理にはある.僕にとって,最高の例だったのは,やはり相転移と臨界現象です.上と下しか向かない単純なスピンがたくさん集まって,隣とそろえとだけ言われてバラバラゆらいでいるだけで,ある特別な温度でピタッと相転移を起こす.しかも,その相転移点には美しい臨界現象が見られて,そこから臨界指数っていう極めて不思議な数が出てくる.しかも,ある種の磁性体や統計モデルでの臨界指数と現実の流体の臨界点で得られる臨界指数が実に正確に一致しているように見える.わけは分からないが,猛烈に普遍的なものがありそうだ.で,その普遍的な構造を直接に扱うような物理の手段が何かあるだろうかというと,いわゆるくりこみ群はかなりそれに近いようであると.

金子 くりこみ群の目標っていうのはすごく高い.どうして細部によらなくなって普遍性が現れるか,一般的に説明しようとするわけですよね.だけど,やっぱり,最初の目標に比べると,できてるのはこれだけかという感じはありますよね.

田崎 全くそうですね.でも,くりこみ群の哲学がまずいのか,単に人間が不器用なのか,まだまだ分からない.ただ,金子さんもちらっと言われたけれど,本当に普遍的なものなんて,そうゴロゴロとはないという可能性もありますね.熱力学の場合は,見事に他のスケールから切り離されて,それ自身完璧な理論として存在しているけれど,すべてがそういうふうに「くりこみ可能」であるとは限らない.違うスケールを切り捨てようとしても,完全に切り捨てることはできず,ずっと尻尾を引っ張ったような形でしかあるスケールでの理論が成立しないということがあるかもしれない.

金子 ただ,いろんな非線形モデルをやったりしてると,くりこみ群や相転移で得られたような定量的なピシッとした普遍性ではないんだけれど,現象レベルで同型になっているというような感じはあるんです.イライラするのは,それを表現する方法が今のところないこと.たとえば,時空カオスとか大自由度のカオス系とかやってた時から,臨界指数とかいう形の普遍性にはならないんだけれど,定性的普遍性はある程度見えていて.たとえば乱流のあるクラスも,簡単なモデル時空カオスも,かなり共通な構造はあるように見える.くりこみ群を大ざっぱにしたような,そういうような何かがあっても良いんじゃないかなって感じはするんですけれど.

田崎 感じとしては何かありそうだぞっていうんで,たとえば,金子さんがついにそれを見抜く目を持つようになったとします.それで,金子さんが見れば分かるのだということになっても,まだ科学じゃないですよね.見抜ける境地に達しても,それを表現できなければ,金子さんが死んじゃったらおしまい.

金子 非線形のところにはそういうのがかなり多いんですよね.

司会 普遍という時には言葉が必要なんですね.

田崎 そうですね.いろいろなところで,そういうことを一生懸命やるべきだと思う.最初のご質問のくりこみ群を越えるということについては,今のくりこみ群では解けないけれど,必死でがんばればぎりぎり解けるようなよい問題を研究して,くりこみ群を「鍛える」べきだと思います.ただ,そういう問題がなかなかないところが辛いです.



ワクワクする対象としての生物と宇宙

司会 この辺で金子さんに聞きますけども,金子さんにとって生物は目的なんですか,それともそういうものを理解するための手段としている?

金子 ええ両面あるとは思います.生物の存在そのものとか多様性とか素朴なレベルで昔から興味があって.普遍性っていうのが出ていましたけど,やっぱり,最終的には地球上にいる今ある生物だから成り立つということじゃなくて,もっと,普遍的に成り立つ生物観というのを考えたい.そういうものは普通の生物学の人には抵抗があるかもしれない.生物っていうのはそういう普遍的なものじゃないって.でも,やっぱり何かあるんじゃないかな.だから,さっき生物を作るという話をしたのは,作るということをしてしまえば,進化の偶然とかからある程度切り離された普遍的な性質がもう少し見えるかもしれないと,実験レベルで考えているのですけれど.

米谷 ちょっと,お聞きしたいんですけど,今,金子さんが言われました,その,生物の普遍的な法則を言われる背景には,何か簡単なモデルとか,何かそういうものがすでにあるわけですか?

金子 僕自身はいくつかさっき言ったような,かなりミニマルに近いと思えるようなモデルをやって,そういう中から安定した発生過程や細胞分化の不可逆性がある程度普遍的に見えてきています.ただ,本当にちゃんとした普遍性を言うには,結局,モデルを足場にしてモデルによらず成立する世界を作らないと.カルノーサイクルを足場にして,熱力学を作ったら,別にもうカルノーサイクルなくてもいいよという世界に行く――そのようなことが多分必要なんだと思うんですけれど.そこは,まだよく分かんないんですね.できるような気もするんですけれど.

司会 普遍的なものを発見する時にも,やっぱり,具体的に対象が必要なんですよね.つまり,生命とは何だろうとワクワクするような対象を,一方で持ってて,それにドライブされて,また普遍的なものを見つけてというふうな個別性も必要なわけですよね.生物はたいへん良い対象だと思うんですけど,生物だけじゃなく他にもあるだろうと思いますね.

上田 宇宙は違うんですか?

谷森 宇宙はさっき言ったように,地球上にない希薄さとか膨大な時間がある.ある意味では天文学ですが,個々の星を見て,ああだとこうだと言っても面白くなくて,その中で何を見ていくか,今まで地球上で知られていない何か普遍的なものを探していきたいという見方をしないと,物理屋としての存在意義がないという気がする.それで,シンクロトロン運動などの非熱現象で高エネルギーの粒子を作り出し加速するとかいう現場が見えてきて面白い.非常に希薄なところに衝撃波みたいなのが起こって,その非線形効果で多分できてくるんで,宇宙物理の中では結構普遍的なものと思われるんです.それはフェルミの大ざっぱな議論がだいぶ改良されたものなんですけれど.衝撃波は宇宙のいろんなところにあるんです.宇宙ってのはだいたい秒速10キロくらいが音速なんですけどね.ものの方は,ふつう100キロとか1,000キロと速いので衝撃波ができます.地球上では実現できないところに,我々の知らない非線形の実験場があるのかなあ,というふうな見方をしています.

金子 非線形非平衡のところで面白い構造やダイナミクスが研究されてきたわけなんですけれど.最初は多分,散逸系のカオスとかが普遍的に起こるとか,普遍的なものがいくつか見出されてきて,ついでまたいろんな新しい,もうちょっと低いレベルの普遍的な構造が見つかったりしてきた.そのあと,こんな面白いこともというのが次々と出てきて,ちょっと飽きてきている面もあるかと思います.逆にそこにもう一段上のレベルの普遍的な何かが見出せれば,次のブレイクスルーになるだろうと思うんです.たとえば,粉体の研究もひょっとすると難しい段階にあるかもしれない.粉体の研究っていうのも,多分,流体とも違うような原理があるんじゃないか,という期待が多分あってみんなやってるんだと思うんです.そういう,散逸多体系の普遍的な法則等ですね.一方面白い現象がいろいろあるので,そっちに引きずられているという面もある.そこら辺でこれから,どうなるかな,と思ってるんですけどね.



物理は文化たりうるか?

上田 賛成意見だけでは面白くならないので,ちょっと反対の意見を言います.今,大学に入ってくる学生さんはみんな宇宙に興味があるわけですよね.他方で,物性はというと,これは面白いという学生さんは少なくなってるんですね.ある意味では,学生さんの興味ってのは,その分野がいかにgeneralなinterestがあるかという一つのいいプローブになってると思うんですよ.そういう意味では,物性論って,もはや少し専門化されすぎたんじゃないかという気がします.星を見て,自分はどこから来たのかと感じるというような,そういうグランドクエスションがいくつあるかとか.

青木 そこが難しいんですね.素人向けというか,中学高校の段階で面白いと分かるのだけが普遍的なのかって問題は.だからたとえばビッグバンなんてのは誰が見たって面白いわけですよね.そういう意味で,たとえば物性論の面白さをすぐ分かる形で伝えるのはものすごく難しくて.普遍性はいっぱい持っているんだけれど.

上田 物性論の中でも,ある意味で非常に普遍的な,超伝導現象などは依然として非常に人気があります.

青木 超伝導ってのはもちろん我々はワクワクするんだけれども,それは抵抗ゼロだからワクワクするんじゃなくて,ゲージ対称性の破れとかいう玄人っぽいことでワクワクする.だけど,素人にはもちろんそんなことは分からない.

上田 ほんとですか? それ.

青木 じゃないですか.ただし,たとえば室温超伝導が出れば,これは素人にとって一目で分かるわけで.その両方をコンバインすることは可能でしょうけれど.

上田 僕はそうは思いません.ゲージ対称性とかも面白いんですけども,やっぱり現象が面白いんですよ.

田崎 でも,抵抗ゼロは分かりやすいけれど,完全マイスナー効果は高校生には分からないでしょう? 上田さんは,両方とも分かっているから面白いんですよ.

上田 現象がやっぱり面白いんだと思うんですよ.その面白さってのはね,玄人にしか分かんないもんじゃないと思うんですよ.

田崎 抵抗ゼロの方は,たまたま電気を多用している世界に住んでいるから,高校生だって何となく面白いと思うのでは?

上田 マイスナー効果でも磁石が浮けば驚くじゃないですか.

司会 いやあ,あの目の輝きはすごいですね.

青木 それはやっぱり,巨視的量子現象ってやつですよね.だから,それで,素人分かりとの接点があって.

田崎 見た目の面白さから少し踏み込んで,文化のなかで研究の意義を認めてもらうということについて考えてみたいんです.たとえば,人々がある狭い土地に暮らしている.で,やはり周りの様子が知りたくなって,村からちょっとずつ探検隊を派遣しては,あっちには森があって,それを抜けると池があった,という具合に少しずつ世界を広げていく.そういうとき,何といっても分かりやすくて人気が出るのは,村からどーんと見えているあの不思議な青い山を探検しようとかいう話でしょう.みんな気になるから援助金も出やすい.そうやって山まで探検に行った人たちが,さらに,山の向こうにものすごく神秘的な湖があるのを発見したりすると,どうしたって次回の探検ではその湖を調べたいということになるでしょう.ところが,村にいる人たちは,そんな湖を自分で見たことはないから,なかなかその探検の価値はわからないですよね.今の物理は,そういうふうになりつつある.ぼくが信じているのは,探検家たちが本当に自分たちの仕事にプライドを持っていて,その仕事に命をかけていれば,村の人たちは結局は湖への探検をサポートしてくれるだろうということなんです.みんなが一つの文化を共有しているというのは,極めて大ざっぱに言って,そういうことなのではないかと.

上田 違うと思います.20世紀の物理学には山があったんですよ.その山は何かって言うと,やっぱりある意味で基礎原理の探索っていうのがあったんだと思うんですけど,もう一つは,20世紀の文明を作る上で,物理学がかなり決定的な役割を果たしたという事例がいくつもあったと思うんですね.そのおかげで,今の我々のサポートがあると思うんです.じゃあ今はと言うと,もちろんあると思うんですけど,物理があまりに学際化しすぎて,ある意味でこれはいいことだと思うんですけどね,あらゆる分野に物理というのは基礎学問としての役割があるので,じゃあ,物理は何なんですかと言われた時に,学際的過ぎた半面,説明しにくいような状況に僕はあるんじゃないかと思うんです.そういう中でですね,じゃあ,なにもそういうことに対する説明もしないで,今までやってきたんだから,引き続きサポートしてくれって言っても,多分サポートしてくれないと思います.

田崎 いや,だから,科学者の側としては,自分は単に職業科学者としてダラダラ続けているのではなく,本気で人類のフロンティアを広げようとしているのだということはいろいろな形で伝えなくてはならないし,研究について説明できることは一生懸命説明しなくてはいけない.しかし,簡単に説明できないならばサポートはもらえないというのではおかしいと思う.

上田 そんなことはないですよ.そんなことは誰も言ってなくて.

司会 宇宙の話ってのはいつももう理屈があまりなくて,なんか天体があってそこからガンマ線がやってきたという類のが多いですね.そんな時,やっぱり衝撃的に感動しますよね.

谷森 きれいなので,それだけ感動する.だからかえって難しい.素粒子物理でも宇宙でも同じですが,膨大なお金がかかるけど絶対に役に立たない.たとえば,すばる望遠鏡なんかでも目で直接見て良かった,じゃあ400億円出しなさいでは納得されないわけですよ.別に役に立つかどうかじゃなくて,少なくとも周りの分野の物理の考え方に何か影響出てこないと,だめなんじゃないかと思う.アマチュア受けするには,ある程度趣味嗜好とか時代の流れがあるから,あんまりそこに左右されちゃうといけないですけれどね.周りの似てる分野での人からすら全く関心をもたれないような結果では困る.ただ面白いと言っているからやらせる,物理ってのはそういうもんだというのは通用しないと思うんです.金を使わないでアマチュアでやればそれでいいと思うんですけどね.プロってのは,特に我々みたいな大きな実験をやるときには,少なくとも展望持ってやらないとなかなかできない.たとえば,ガンマ線天文学はこれまで誰も見てない波長領域だから最初の分野なんで,とりあえず,何か新しいことが出てくる.もう一つ例を挙げると,我々の近くでは宇宙線ですね,宇宙線の起源ってのは全然分かってないんです.これだけ地球のどこに降り注いできて,ここにも降ってきてるんですけど,宇宙がこれだけ分かってきても,分かんないんですよ.こういうふうに,少なくともある程度人にはそういうアピールするところがあるので,今のところはそれでやれてると思うんです.分野の最初の実験はそれでいいんですけど,素粒子物理みたいにだんだん大きくなってしまうと.たとえば,トップクォークがあったと一応一面記事は出たんですけど,そのあと科学雑誌にもほとんど出ず,学会でも騒がれず,何か当たり前だと終わってる気がします.素粒子ってのは,まあ悪口になっちゃうかもしれないですけど,これからどうやって生きていけばいいのかなと,考えます.膨大な金を使って,陽子崩壊ぐらいは非常に興味があるから,と思うんですけどね.

上田 要するに専門家から見て文句なしに面白いからといって,それにいくらでもお金を使ってもいいというふうにはならないと思うんですね.やっぱり,それなりの認知と資金を出してもいいよというぐらいの,皆さんに感動を与えたらできるんですけど,やっぱりその秤は,厳密に評価することはもちろんできないんですけども,考える必要はあると思います.

田崎 ただ考えるとおっしゃるのはそれでいいですが,考えた上で,それをご自分の研究の基準にしますか?

上田 ビッグサイエンスの場合にはそれは必要だと思います.

田崎 確かにそうですが,お金があまりかからないから問題なしとは言い切れないと思う.

谷森 少なくとも,我々実験を行うものはいろいろ考えますけどね.今回ここには実験屋さんは少ないですけど,実は物理学者の半分以上は実験屋さんで,それが誰もいないのが辛いとこなんですけど.

米谷 さっき田崎さんが言った比喩,それもうちょっと進めてね.たとえばごく普通の生活をしている人は地球が丸いかどうかあんまり関係ないですよね.でも,それをなぜ地球が丸いかっていうことを説明して,それが宇宙の見方にどうつながるかということを説明するっていうこともやっぱり大事,それは説明して分かってもらえば,皆さんも面白いと思うんですけど.だから,何かそういうような理解というものを,もうちょっと進めると言ったらいいのかな? 物理の役割としてね,そういうような視点で我々がこれから社会に発信していかないといけない.

谷森 素粒子理論の最先端の人など,ごく一部だけがそう考えてるだけで,多くの人はそう考えてないんじゃないかと思う.だから,やってらっしゃることに関して,役に立つとか,他分野をもう少し意識して広がりがあるような展開の仕方ってのがもう少しできるんじゃないかと思うんですけど.今のままだと,どんどん専門的に狭くなっていくばっかりで,巨大な集団が周りから疎外されていくような気がします.

青木 物性の方から例を挙げると,1980年代にノーベル賞が三つ出て,それらは,走査型電子顕微鏡で原子1個1個見ること,高温超伝導,それから量子ホール効果です.量子ホール効果なんてのは実用に役に立ちそうもないような気がするわけですけど,1990年から抵抗の標準になってる.それから,高温超伝導,今のところ室温じゃないですけど,原理的に室温になっちゃいけないっていうのは多分ないと思うんですね.STMでも原子1個1個が見られて,しかもマニピュレートできるって,これは誰が見てもおもしろい.それで,社会のアカウンタビリティもパッと上がって....だけど,さっきから上田さんが言ってるように,高校生に分かるっていうのが必要条件かって言われると,それは学問として抵抗がある.

上田 いや,私は必要条件とは言っていません.ただし,別の言い方をしますと,何が面白くて今の研究をしているのかっていうことを,それぞれの人がもっと自問する必要があると思います.その一つのプローブという言い方をしたんです.

田崎 それは明らかにもっとも安易なプローブだと思います.それに頼っていると,いくらでも悪い方向にダラダラといってしまいかねない.その気になってしまえば,実際にはくだらない数値計算か何かでも,さもすごいものだぞと言葉巧みに脚色して,一般の人や頭のいい高校生をしびれさせることはできると思う.

上田 いやさっきの高校生は,一例なので忘れていただいてもいいんですけども.

青木 僕は,物理学は文化たりうると思うんですけど,どういう意味かというと,たとえば芸術ってのがありますよね,音楽とか美術とか文学とか.これは明らかに文化で,しかも直接に役に立つとかってわけではないんだけれども.だから自然科学もそれと同じだというのが文化といった意味のつもりです.でも,それですぐ来る反論は何かって言うと,芸術ってのは万人が分かるじゃないかと.綺麗な音楽とか美しい絵画とか誰でも一目で美しさが分かる.だけど,自然科学ってのは,さっきから議論になってるように,ひょっとしたらプロしか分からない,それで文化といっても困るじゃないかっていうわけです.だから,そこには二つある.やっぱりまず我々科学者が一般の人にアピールしていくこと.それから,芸術との大きな違いは,思いがけなく実際に役立つということがあるわけですよね.最初はピュアサイエンスでやったのが思いがけず役に立つ.たとえば,カーナビはみんな使ってますけど,あれはもともと原子時計っていう日常生活に何の関係もない精密測定の技術で,あんなGPSができてるわけです.だから,思いがけない社会の関係があるところが芸術と大きな違いと思うわけです.

司会 ワクワクするとこは芸術と共通なんじゃないですか?

青木 ええ,そこは共通.

上田 今青木さんがおっしゃったことは我々みんな知ってることだと思うんです.私が言いたいのは,そういう意味じゃないんです.20世紀というのは,ある意味で物理がつっぱってても食っていけた時代だと思うんです.これからはそうじゃないんじゃないかっていう,ある意味で自戒の意味を込めて言ってるわけで.



求むジェネラリスト

田崎 この世界とできる限り真剣に対面し,そこで起きていることについて深く深く考え,そして,それらを何とか理解しようとする.ときには理解するというのが何かについても考える.世界とのそういう向き合い方,知性のそういうあり方というものは確実に存在していて,それは,たまたま,我々が物理と呼んでいるものとかなり一致するわけです.別に物理とかいう名前はどうでもいいのですが,世界とのそういう接し方そのものは,世紀が変わろうが何が起ころうが,とてつもなく大事であることに変わりはないと思うんです.

上田 その時に,そういう一群の人たちの重要性は誰でも認めると思んですよ.ただ,そういう人たちが存在するっていうことを,世間一般の人たちに知らしめるようなスポークスマン的な,科学ジャーナリストっていうんですか?,なんかやっぱりそういう人がいるんじゃないかなと思うんですよ.

青木 イギリスなんかの本屋に行くとポピュラーサイエンスの本が普通の本の間に平積みにされていて,あれはやっぱりすごいと思いますね.

司会 ただポピュラーサイエンスっていうんじゃなくて,文章の質の高さとか,あるいは良く言うとフィロソフィカルなものですね,そこでも,高いレベルを求められちゃうんですよね.残念ながらそのレベルに達しているっていうのは日本で非常に少ない気がする.

青木 まあ,それは外国も同じで,ポピュラーサイエンスってのを本当に書くのはとっても難しいでしょうが.

上田 たとえば,ファインマンやシュウィンガーも一般向けの講演をしますが,内容はとてもやさしいですが,正確でごまかしはありません.そういうものは,やっぱり価値ある仕事じゃないかと思います.朝永先生の著作では,そういう役割を狙っていたように思われます.

司会 正直さについて高いモラルが要求されるんだと思います.

田崎 そうだと思います.物理学者が高いモラルとプライドを維持しているという空気がうまく周りに伝われば,それが一番いいんだと思う.もちろん,説明できることについては,一生懸命発信していくわけですが,すべては説明しきれない.それでも本当に真剣にやっているってことは伝わって,精神的には応援しようと思ってもらえるに違いない.あまり論理的には聞こえないけど,結局のところ文化っていうのはそういうものなんじゃないですかね.

谷森 これだけ今物理学者が何万人といますよね.日本だけで2万人,非常に大衆化したプロの商売であり,アマチュアの物理学者はいないと思うんですよ,ほとんど.アマチュアの天文学者はいっぱいいるんですけどね.物理ってのはアマチュアにはできないんですよ.プロなんですよ.だから好きなことを好きにやってればいいというわけには,なかなかいかないと思うんですよね.そこが少し芸術と違う.芸術はまあ,食えるようになればプロになって,じゃない人はアマチュアでいいんですけど,物理のアマチュアっていうのは全然レベルが違って成り立たない.これだけ多くなるとジェネラリストが必要なのかなと思う.今はスペシャリストの塊なんですよね.そうじゃないとお互いにプロなのに,自分の好きな殻に閉じこもって,これだけやってればいいですよね,とはならないのでは.

田崎 それはそうですが,ジェネラリストの専門家を作るというのは,極めて難しいのでは.

谷森 いやそれは分かんないでしょ.芸術には芸術評論家がいて,プロですよ.ちゃんと評論をしても別に恨まれない.まあ,恨まれるかもしれないけど,とにかく成り立っていると思えます.科学の場合もそういうことはできないといけないと思います.お金や予算ってのが絡むんで難しいのかもしれないけど.逆にそういうのがないと予算を決めにくいっていうか.

田崎 芸術評論家の比喩はちょっと.芸術評論家が芸術にとって本当にプラスに機能しているか否かというのは,それこそ永遠の論争の対象なわけで,それを喩えにすると.

谷森 これだけ大きな組織になったら,そういう分野があってもいいような気もするんですけどね.

上田 たとえば新聞ですね.新聞社が科学ジャーナリストを実際には雇ってるはずなんですけどね.でも,実はレベルがあまり高くない.そういう分野に少なくともPhDを持った物理屋がもっと進出してもいいと思うんですけどね.

田崎 別に新聞に人が出ていかないでもいいと思う.自戒もこめて言うのですが,やはり,我々プロが,自分のやっていることしか知らないという状況から脱して,同じ物理の範囲ではある程度まで価値観を共有できるようになった方がいい.ジェネラリストというものを作らなくても,ある程度我々自身で.

谷森 それは逆に人数が少なければそれはできるんです.ここまで一般大衆化してしまうとなかなか難しいなと.

田崎 もちろん難しいですが,やっぱり我々がやらなきゃ誰もやらないんですよ.そういう意味も含めて,こういう座談会が用意されたんじゃないのかな?

司会 物理学会ってのはそういう役割を本来はすべきなのですね.

上田 でも,たとえばPhysics Today, あれ専門のライターいるんじゃないですか.なかなか上手に書けてますよね.そういうことをおっしゃったんじゃないですか? 今.

谷森 ええ,まあそうです.日本では科学全部をやりすぎている.たとえば物理学会誌ぐらいに,ジェネラリストがいていいんですよね.

田崎 途中で何度か,物理は大きくなりすぎた,細分化している,些末なところをやり過ぎだというような話が出ましたが,ひょっとすると,我々は真剣に危機感を抱くべきなのかもしれないと思います.さっき,物理というのは世界と真剣に向き合って本気で理解しようとする学問のはずだと言いましたが,これだけ細分化してくると職人的に重箱の隅をつつくような仕事が増えてくる.学部の頃は物理にワクワクしていても,大学院くらいであきらめてさっさと悪い意味での大人になってしまう.その一部がプロになって残っていて,自分と同じような夢のない職人を育てる.そういうことを続けていくと,本当に壊死を起こして,普遍性もへったくれもない,ただの堕落した学問分野になってしまいます.

金子 さっき高校生って言ってましたが,別に一般的高校生じゃなくて,高校生だった自分に今自分がやっていることを,正直に話して恥じることがないかという問題ですよね.それが最低限のモラルで,それを失っては絶対いけない.

司会 夜も更けてきましたので,この辺でお開きにしましょう.どうもお疲れさまでした.

(2001年6月5日原稿受付)
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