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祝 辞

日本物理学会の創立50周年を祝う--兄弟学会として,さらなる連帯を--

山本明夫

〈日本化学会会長 早稲田大学理工学部応用化学教室 169東京都新宿区大久保3-4-1〉

物理と化学が基礎的科学として並び称されるように,日本物理学会と日本化学会も兄弟学会として発展してきた.日本物理学会の前身である東京数学会社が設立されたのは,西南戦争のあった1877年であり,日本化学会の前身である化学会の創立は翌年の1878年である.その当時,内外に山積する問題を抱えながら,明治政府が日本の将来のために,教育と科学技術の育成に注ぎ込んだ投資額はまことに莫大なものがあった.国務大臣相当の給料を払って2,300人に及ぶお雇い外国人教師を欧米から招き,有望な若者を選んで欧米に留学させた費用は,一時は文部省予算の3分の1にも達したという.無鉄砲ともいえるこの様な投資と,先人の努力が実をむすび,大戦による中断はあったものの,日本の物理と化学は順調に発展を遂げ,欧米と肩を並べる水準にまで来た.

しかし,今後もこれまでのような発展が続くだろうかと考えると,幾つかの問題がある.一つは,政府の学術関係への過少投資が多年にわたって続いたために起きている大学の研究環境の劣悪化である.日本化学会は約10年前に全国の化学関係学科主任に対してアンケート調査を行い,「日本の化学をめぐる研究環境」と題する調査報告書を発表した.その内容は,日本の大学における研究環境が劣悪になっている事実の指摘と,その改善策の提言である.当時文部省の科学官をしていた私は,“劣悪”というような言葉を使ったら文部省は嫌がるかな,と思ったが,最近は文部省も劣悪という形容詞を当然のように使っている.報告書の提言内容は,新鋭計測機器の購入維持予算の大幅増額,科研費の早期倍増(当面の目標として1,000億円),大学院の充実,研究スペースの拡充,外国人博士研究員採用枠の大幅拡充等である.アンケートの回答には,学科主任からの研究環境の悪さに関するコメントがびっしりと書かれていた.報告書の発表後,ある新聞社から,「報告書を読みましたが,ほんとにこんなにひどいんですか」と聞かれた.こちらとしてはあまり大袈裟に響かないように書いた積もりなので,勿論,と答えると,「じゃあ,なぜ今まで黙っていたのですか」と言われた.余計な仕事に研究の時間が割かれるのが惜しい,というのが本音であるが,そう言われてみれば,その研究に悪影響がでるまで放って置いたのは我々の責任であった.

幸い,この問題は有馬朗人元東大学長,元日本物理学会長により取り上げて頂き,その説得力ある精力的な行動により,社会にも何とかしなければならない,という認識が定着し,事態はようやく少しずつ改善の方向に向かいつつある.研究室スペース問題も,日本学術会議化学研究連絡委員会と,日本化学会,日本化学工業協会の共同調査により,安全性に大きな問題があるのが指摘され,国立大学の研究室基準面積が33年振りに20パーセント引上げられることになった.しかし,まだまだ多くの問題が残っている.これまでの政府の対応は補正予算がらみであり,しっかりした科学技術政策に立脚したものではない.

もう一つの問題は,いわゆる“理科離れ”である.この問題に関しては,物理3学会のほうが対応が早く,社会の注目を集めた.日本化学会も続いてこの問題に関する声明を発表し,記者会見を行うなど,いくつかの対応を行った.その後日本物理学会,物理教育学会,日本化学会と小中学校の理科系の先生方との懇談会を開くなど,この問題との取組みを続けている.

“理科離れ”にはいくつかの原因があるが,その中で将来に亘って重要だと思われるのは,初中等教育にあたる教員の資質の問題である.教育系大学,学部が大学入試で文科系に位置づけられているため,理科がもともと得意でない学生が理科の先生になり,工学部卒業生は工業教育の免状しか取得できないとか,最近は新規教員の採用数が減ったために,理科教員になることを志望しても採用されないとか,制度的な問題が絡んでいる.理科が得意でない先生に教えられて,理科嫌いになる生徒が増えているようである.この様な,日本の将来を考えると極めて深刻な問題が,それほど社会の注目を引くことなく進行している.

明治の先達を駆り立て,教育と科学技術関係への集中的投資に向かわせたものは日本の将来への危機感であった.日本の経済成長は最近まで順調に続いてきたが,日本はこれから老齢化社会に入る.今後30年間に生産者人口は1,200万人減少し,老齢者は1,400万人増加する.科学技術の進歩による新技術,新産業の創出がなければ,今後経済成長を続けることは極めて難しくなるだろう.教育,科学,技術への投資は知的資産の蓄積であり,将来への安全保障である.基礎科学への過少投資のとがめは,あとからやって来る.バブルがはじけた後でも,パチンコ,競馬競輪等に20兆円以上,企業交際費に6兆円もの金を使っている国民が,絶えざる技術革新がなければ日本の将来は危ない,と気付くのはかなり先になりそうである.

兄弟学会である日本物理学会と日本化学会はこれからも手を携えていろいろな問題に当たらなければならない.

日本物理学会の創立50周年を祝し,一層の発展を祈ります.