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50年をかえりみる

50周年記念特集を企画するにあたって

会誌編集委員会


今,手元に1995年日本物理学会秋の分科会のプログラムがあります.それをざっと眺めてみると,二つの分科会場をあわせ29分科あり,登壇者の数はほぼ3,500人にも達しています.ここで発表される研究の分野の広がりや内容の水準は,欧米の物理学会のそれらと比べて決して見劣りはしません.

ここにたまたま最近のPhysical Review Letters (11 September 1995)があります.この号には日本人が著者として関係している論文が4編載っています.近頃ではこれより多くの日本からの投稿論文が掲載される号を見ることもめずらしくありません.米国物理学会の1993-4年の統計によると,日本からのPhysical Review及びPhysical Review Lettersへの投稿件数は全体の7パーセント,掲載ページ数は6パーセントになっているということです.

第2次大戦の終戦直後の1946年に日本物理学会として新しく生まれ変わってから今年で50年の歳月が過ぎました.戦争の終結をきっかけにして堰をきったように入ってくる欧米の科学研究の進展はまばゆいほど目覚ましいものでした.なるべく早くその水準に追いつきたいと多くの研究者が海外に出かけ吸収に励みました.また,それがかなわない時は手を尽くして外国からの情報を集め,それを読み漁りました.そうして半世紀が流れました.この間FeynmanやTownesなど多くの著名な外国人物理学者が日本を訪れ,触れあった研究者に忘れがたい鮮烈な印象を残していきました.湯川秀樹のノーベル賞授賞は物理学を志す若者に夢を与え,その後に続いた朝永振一郎,江崎玲於奈の受賞は物理学者に自信をよみがえらせました.そうして日本の物理学は今や量質ともに世界的な水準に達したと物理学者もそれ以外の人も思っているのではないでしょうか.

しかし,日本の物理学の隆盛への内外からの感嘆や,それを築きあげてきた諸先輩の輝かしい成果にたいする賞賛も何かよそよそしく響くように感じるのは気のせいでしょうか.研究者や研究費は増えても,それに伴って真に独創的な発見は増えたのかどうかは問題です.コンピュータが運ぶ圧倒的な情報の波に押し流され,自分を見失ってはいないだろうかと懸念させられます.科学の発展もその証しとして,環境の破壊という負の遺産だけを残す結果に終る恐れがあるのなら何か行動を起こす必要があります.マスコミを通しての擬似科学の横行は,残念なことに科学者が解明してきたことが人々の共有の財産にはなっていないことを示しています.輝かしい成果とともに,数多くの問題を作りながら無我夢中で走り続けてきたこの50年は,一体,日本の物理学にとって歴史的にどのような意味を持つのでしょうか.それを考えてみるちょうどよい時期にきています.

生まれてから半世紀を生きてきた満足感,終りゆく世紀の反省,新しい世紀への期待.いろいろな想いが交錯するなかで,会誌編集委員会は,今月号から1年間12回にわたって日本の物理学の過去50年の活動を回顧する特集を企画いたしました.正直言って,このような歴史の回顧の企画は往々にして大事をなし終えたそれぞれの分野の権威による苦労話や“今から思えば”調の結果論だけに終始したり,内容のない人名と業績だけの羅列になる恐れがあります.もちろんそれはそれで面白く為になるかもしれませんが,いま現在研究に忙殺されている者にとってはそんな昔話はどうでもいいことかもしれません.何のためにこの特集を企画するのかを自問することから始まり,この2年間,編集委員会はこの企画を重要な仕事と考えて議論を重ねてきました.“歴史の流れを出来るだけ広くかつ公正に俯瞰しよう.多くの読者にとって解りやすく面白いものにしよう.”など,考慮すべき意見はいろいろ出はしましたが,それらを実行するには相当の覚悟と準備が必要となることは確かです.しかし,それだけの心掛けと努力を,日頃から研究者として仕事に追われる身でもある編集委員に要求しても,それは困難というより不可能なことは誰にも明白に見えました.結局,我々が出来ることは,歴史の評価は読者にまかせ,そのための資料となる原稿を集めることに専念する,ということでした.私達は,この企画は執筆者の方々に個々の研究を評価していただき優秀な研究に対し賛辞を贈ることだけに目的があるのではなく,研究の当事者が回顧する歴史を次代を担う研究者でもある読者が批判的に評価することも大切だと考えています.この特集は,ある読者には誇りとなり勇気づけとなるでしょう.一方,べつの読者にとっては反省となったり憤りとなるかもしれません.しかし,やがてそのことが新しい歴史を創造する種となることを期待するからです.

歴史を回顧する記事をどのような視点で執筆していただくか,最終的にはもちろん執筆者の判断に委ねられることですが,あらかじめ編集委員の考えをまとめておくことも必要です.編集委員会では,大きく分けて研究者の集団としての活動と,一研究者と集団との関係という二つの視点から歴史の流れを捉えてみようと考えました.例えば,多くの研究者が一つの大型装置を用いて行うような実験的研究や,様々なアプローチはあってもめざす先は現象の解明というはっきりしたゴールが定まっている理論的研究などでは,大きい集団が形成されました.それは,個人の努力だけではなく,社会的環境やグループとしての協調作用が重要であったからでしょう.一方,その様な大きい流れの集団とは少し距離を保ち,もしくは大きな流れのさきがけとなり卓越した成果をあげた研究では,その成功の背景を知ることは特に興味があります.このような見方に立って次の二つのカテゴリーを設け執筆をお願いすることになりました.その一つは(便宜上これをA群と呼ぶことにします)活動の幅が広く多くの研究者が引き続き研究に携わってきた分野についての解説で,執筆者には特にどのようにして大きな流れが形成されたのか,そのいきさつを書いていただくものです.もう一つ,B群として,特に顕著な成果があったとされる研究について,その研究の背景を書き留めてもらうものです.

お願いする分野や執筆者の選択は編集委員にとって最も頭の痛い問題でした.物理学のすべての分野を網羅することは時間的・空間的な制約上不可能なことは明らかです.編集委員会では議論の始めからそれを目指すことは考えませんでした.日本が世界に誇れる研究がなされたと思われる分野を選択の第一条件としました.執筆者については出来るだけ研究の当事者であることが望ましいのですが,特にA群に関してはなるべく広い視野で書いていただける方にということが人選の方針でした.このような趣旨でA群については19名の方々に,またB群については11名の方々にお願いすることになりました.ここで特に強調しておきたいことは,これらの選択を決定する最終的な要因はつまるところ編集委員の個人的偏見であり,その適切もしくは不適切さは全く編集委員会の責任にあるということです.これらの判断については読者の皆様からの忌憚のないご批判を甘んじてお受けする覚悟であり,皆様のご意見は今後の学会誌の編集を通して新しい企画などに生かしていくつもりです.

最後に,ここに執筆をお願いした諸先生方のご苦労は編集委員の想像をはるかに越える大変なものに違いなかったと思われます.その御苦労にたいして心から感謝いたします.