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物理学と周辺

日本の物理教育--戦前と戦後--

板倉聖宣

〈私立板倉研究室 169東京都新宿区高田馬場2-13-7〉

1. はじめに

「物理教育」というと,学校の中での授業・講義のことが念頭にのぼるのが普通である.しかし,ここでは「日本人はこれまでどこでどのようにして物理に関する知識を仕入れ,自分で物理現象を考えたり話しあったりしてきたか」ということを,できるだけ広く考えてみたい.そうしないと,今日の日本の物理教育の本当の姿が見えてこないと思うからである.

それなら,話をどこからはじめたらいいだろうか.

人間がオギァと生まれたときから話をはじめるというのも一つの行き方かも知れないが,私はそうは思わない.人間はオギァと生まれたときから物理現象に取り囲まれていることは間違いないが,それを物理現象として認識していなければ,それはいくら広義でも物理教育の始まりと見ることはできないと思うからである.

たとえば,ものが水に浮くのを見ても,それを「なぜか」と考えなければ,物理的な認識に達したとは言えない.江戸時代の日本人はテコを多用していたほか,サオ秤を日常的に用いていた.ところが,江戸時代の日本人は幕末に蘭学が入ってくるまで,〈力のモーメント〉の原理を知らなかったのである.1)和算家の中には,力のモーメントの概念を正しく理解していないと解けない問題に取り組んだ人びともあったが,彼らはほとんどまったく正しく解決することができなかったのである.それと同じく,幼児は自分自身の物理学をもっているとは言えない.


2. 物理教育の基本的な見方も変わった

しかし,今日の子どもたちは,小学校で物理学を学ぶ前から,自分自身で直観的な〈物理現象に対する解釈〉をもつようになっているのが普通である.じつは,戦前の科学教育研究と今日の科学教育研究との一番大きな違いは,そのことを確認したことにあると言ってもいいかも知れない.筆者が「仮説実験授業」を提唱したのは1963年のことであるが,その授業では子どもたちにまだ何も教えない段階から,「こういう実験をしたら,その結果はどうなると思うか」という予想を出させるようになっている.そこで,仮説実験授業の提唱当時は,「まだ何も教えていないのにそんな予想を聞くのは意味がない」と激しく批判されたものであった.しかし,何も教えてなくとも,子どもたちはそれなりの直観的な自然観をもとにして予想を立ててくれるのである.それらの予想が完全にデタラメに選ばれるのなら,予想の分布はまちまちになるはずなのに,彼らの予想はたいてい一つか二つに集中する.それは彼らがデタラメに選んでいない証拠である.

仮説実験授業2)というのは,〈子どもたちは学校で系統的に科学を教わる前から彼ら自身の独自な自然観をもっている〉ということを前提にして成り立っているのであるが,筆者が仮説実験授業を提唱してから20年ほどたってから,欧米諸国でも,「子どもたちは学校で科学を学ぶ前にもそれなりの〈物理学〉をもっている」ということが認められるようになった.それまで,科学の教育は,白紙のような子どもの頭に新しい知識を植えつける作業と見なされていたので,たくさんの知識を詰め込むのが効果的と思われていた.ところが,「自分たちなりの直観的な物理学」をもっている子どもたちは,外から「正しい物理学の知識」を注入しようとしても,それに抵抗することになって,効果的な物理教育が実現できないことが明らかになってきたのである.そこで,今日の物理教育の研究では,何かを教えようとする前に,子どもたち(や大人たちも同じ)はそのことについてどのような考え方をするか調査することの重要性が指摘されるようになっている.彼らの常識的直観的な自然観と近代科学の自然観を対決させる実験問題を用意してはじめて,彼らの自然観を近代科学のそれに置き換えさせることができるようになるからである.


3. 小学校での物理教育--戦前と戦後--

それなら,小学校では,これまでどんな物理教育が行われてきたのだろうか.

戦前の尋常小学校時代には,「理科」の授業は4年生から週2時間ずつ教えるようになっていた.ところが,1941年4月に発足した国民学校のときに小学校1〜3年生に「自然の観察」という「理科」の授業が行われるようになった.そして,敗戦後の新教育もそれを引き継いで,小学校1年から「理科」の授業が始められることになった.しかし,これを「物理教育の拡大」と見ていいかどうか,ということになると大いに疑問である.

じつは,1989年の文部省の『学習指導要領』の改定によって,小学校1〜2年の「理科」は,「社会科」とともに廃止になって,その内容は新たに発足した「生活科」に吸収されることになった.そこで,今日の小学校では「理科」の授業は3年生から始まることになっているので,小学校4年始まりだった戦前の状況に近くなって,これを退歩と見る見方があるのだが,戦前と戦後とでは「理科」以外の教科の有り方がまったく違うので,単に「理科」と称する時間数の増減を問題にしても無意味なのである.

戦前の「国語」の国定教科書は『小学国語読本』と題されていて,単なる言語や文学の教科書ではなかった.物理的な事項を意図的に教えるための読み物が取り入れられていたのである.3)たとえば,尋常小学校時代最後のいわゆる『サイタ,サイタ読本』には,物理教材といえるものに,1年前期に「シャボンダマ」,後期に「カゲエ」,2年後期に「月と雲」,3年後期に「磁石」と「僕の望遠鏡」,4年前期に「振子時計」と「コロンブスの卵」,5年前期に「飛行機の発明」と「星の話」,後期に「科学博物館」と「汽車の発明」,6年前期に「電話の発明」と「月の世界」,後期に「太陽」といった読み物がとり上げられていた.これらの物語は,読み物としてもすぐれていたが,単なる文学的な教材文ではなく,子どもたちに科学的な感動を呼び起こすようなものであった.相対性理論の研究者としても名高い石原 純が「月と雲」という読み物を,〈小学校2年生に運動の相対性を教える画期的な文章として高く評価した〉という話はかなり知られている.「磁石」を読んだ3年生は好んで磁石遊びをするようになったし,「僕の望遠鏡」を教わった3年生のときに自分で望遠鏡を作って物理学に興味をもやすようになった人も少なくなかったのである.

しかし,戦後の--いまの国語の検定教科書に,当時の国語読本のこれらの読み物に相当する教材文を探しても,ほとんど見当たらない.いまの国語の教科書も,「理科的説明文教材」と称して,1〜2の理科的な文章が載ってはいるのだが,その大部分は昆虫や魚の観察をとり上げたもので,物理的な話題はほとんどとり上げられていないのである.国定教科書時代の『国語読本』は,「国民常識を養う」という意図から,物理学的な読み物を意図的にとり上げようとしていたのに,いまの国語の検定教科書の編集陣は物理的な内容を意図的にとり上げることなど,まるで考えていないからである.

同じようなことは,「算術=算数科」の教科書にも当てはまる.じつは,尋常小学校時代の国定『小学理科書』では,5年生に「重力/梃子/秤/慣性/摩擦/振子と時計/ポンプ」,6年生に「熱の移り方/熱と気体の圧力/平面鏡/光の屈折/レンズ/色/音/磁石/電気/電流/電灯/電信機・電鈴/電話機」という物理教材がとり上げられてはいた.ところが,せっかく物理的な事柄を教えるというのに,それらの教材では数量的な事項はまったくとり上げないようになっていたのである.テコでも秤でもそうである.じつは,当時の教科の縄張りは今日とは著しく違っていて,数量的な事項はすべて算術の授業でとり上げるようになっていたからでもある.3)

尋常小学校最後のいわゆる「緑表紙の算術教科書」=『(尋常)小学算術』の中から物理教材を拾い上げると,まず,3年上に「重さ」と「温度計」があり,4年下には「速さ」があって,長さ1mの振子を使って時間を測定するようになっている.また,5年上では,いろいろなものの重さの測定がある.この算術の教科書では,計算だけでなく,実験や測定も教えるようになっていたのである.そして,6年上では,そのものずばり「機械」と「電灯」という項目をたてて,「てこ--力の能率・距離と力の反比例関係/時計--回転運動の伝達など/自転車--力の伝達・力のモーメントの応用など/ねじ」,「明るさと光源までの距離/影の大きさと光源から障害物,スクリーンまでの距離との関係/電力と燭光/電力と電灯料金/電灯の普及/発電所・発電力・発電気量」などを教えるようになっていた.

しかし,もちろん今日の算数の教科書には,こんな実験や測定はとり上げられていない.いまの理科の教科書には数量的な問題もとり上げられているから,そんな必要もないからでもある.

それなら,現行の文部省の『小学校学習指導要領』では1〜2年の「生活科」でどんな物理教材を教えることになっているかを見ると,〈土,砂などで遊んだり,身の回りにある自然の材料などを用いて遊びや生活に使うものを作り,遊びなどを工夫する〉といった内容になっていて,これでは,ほとんど物理教育とは言えないことになる.そのあと3〜6年で週各3時間の「理科」の中で,〈空気と水/光と熱/乾電池と回路/磁石〉〈熱膨張と熱の伝わり方/水の三態変化/天秤と重さ/乾電池・光電池とモーター〉〈溶解/てこ/振り子〉〈電磁石/電流による発熱〉を教えるというわけである.

ところで,いまの教科と違うのは国語と算術=算数だけではない.当時の「工作」も,いまの「図工」と違って,多分に「理科工作」の性格をもっていた.当時の子どもたちは「工作」の授業で模型のグライダーや模型飛行機を作って,滞空時間や飛行距離を競ったものである.ところが,いまの図工の授業は芸術教科の側面ばかりが強くなっていて,物理的要素がほとんどないと言っていいだろう.

じつは,私もこの時代の小学生だった.そして,理科は嫌いだったが,国語読本の中の「科学読み物」や「算術の中の物理教材」や「理科工作」は大好きと言ってよかったことを思いだす.戦前の小学校での物理教育は「理科」だけでなく,「国語読本」や「算術」「工作」の中でも行われていた,ということに注目すべきである.


4. 尋常中学校と戦後の中学・高校での物理教育

今度は,戦前の尋常中学校での物理教育を見てみよう.戦前の尋常中学校は5年制だったが,1919年度以後,旧制高等学校への受験資格が4年修了程度となったために,5年制とはいいながら,4年制とも言える性格をもつ学校であった.そのためもあって,文部省が1931年に改定した「中学校教授要目」では,二つのコースが設けられた.いまそのうち高等学校進学希望者向きコースの乙表「理科」の科目編成をみると,

  • 1年で〈一般理科〉週2時間, 
  • 2年で〈博物〉週2時間,〈物理及び化学〉週1時間 
  • 3年で〈博物〉週1時間,〈物理及び化学〉週2時間 
  • 4年で〈博物〉週2時間,〈物理及び化学〉週2時間 
  • 5年で〈応用理科〉週4時間

となっている.最近の高等学校の「理科」でも,「一般理科」とか「基礎理科」などと,紛らわしい科目がいろいろ設けられるようになってきているが,その伝統は1931年の「中学校教授要目」に始まるといっていいであろう.

旧制中学校のこの科目編成では,物理と化学は併せて一つの科目とされているが,じつは『理化学教科書』などと題して物理と化学を統合した教科書はほとんどなく,物理と化学は別々の教科書で教えられるのが普通であった.そこで,1931年の「中学校教授要目」の〈一般理科〉と〈物理及び化学〉と〈応用理科〉の中の物理関係の内容を取り出すと,--

1年の〈一般理科〉で「空気・燃焼・熱/水/楽器・蓄音機/鏡・レンズ/静電気」を教え,

2〜4年の〈物理〉で「密度及び比重/固体・液体及び気体の性質/比熱/熱の作用/大気の乾湿/光度/光の反射及び屈折/光の分散/磁気/電流の強さ・電動力・抵抗/電流の作用/感応電流/真空放電/放射能/力・器械・運動/落体及び放物体/円運動及び回転運動/仕事及びエネルギー/振動及び波動/音波・光波・電波」を教え,

5年の〈応用理科〉では「光学機械/動力機」を教えるというようになっていた.

ここで,いまの高等学校の物理教育と対比するとき,戦前の物理教育はみな必修だったことに注意することが必要である.学校によっては,「理科」の甲表を採用する学校もあったわけだが,その場合でも,〈物理及び化学〉を3年週1時間,4年で週2時間,5年で週4時間教えられることになっていて,教える学年こそ違うというものの,その〈物理〉の内容はほとんど同じといってよかったのである.

それなら,これに対して戦後の中学校と高等学校での物理教育はどのようになっているのだろうか.

そこでまず注意する必要があるのは,戦前の中学校と違って,戦後の3年制の中学校は義務制で,最近の高等学校は進学率が95%近くなり,卒業率でも88%ほどになっていることであろう.そして,戦前の尋常中学校が5年制だったのに,戦後の中学・高校を併せると全部で6年制になっていることである.また,戦後の中学校の「理科」は必修だが,高等学校の「物理」は必修でなく,とくに最近では「物理」を選択する生徒が激減して,物理学関係者たちに「物理離れ」の強い危機感をもたらすことになったであろう.

いま,現行の文部省の『中学校学習指導要領』(1989)によると,「理科」の授業時数は,1年週3時間,2年週3時間,3年週3〜4時間となっており,「理科」の「第一分野」の中から物理関係事項を取り出すと,

物質とその変化--水溶液/物質の状態変化

身の回りの物理現象--光と音/熱と温度/力/圧力化学変化と原子と分子--原子と分子

電流--電流と電圧/電流の働きと電子の流れ運動とエネルギー--力の働き/物体の運動/仕事とエネルギー

となる.

また,現行の文部省『高等学校学習指導要領』(1989)によると,「理科」は13科目にも分かれていて,

  1. 〈総合理科〉4単位,
  2. 〈物理IA〉2単位または〈物理IB〉4単位, 
  3. 〈化学IA〉2単位または〈化学IB〉4単位,
  4. 〈生物IA〉2単位または〈生物IB〉4単位, 
  5. 〈地学IA〉2単位または〈地学IB〉4単位,

の五つのグループの中の「どれか2科目を必修」という仕組みになっている.ところが,最近の高校生は,化学と生物の2科目を選択するものが多く,物理を選択するものが激減する結果になり,物理教育関係者に危機感を感じさせているのである.

また,4単位の〈物理IB〉の内容はというと,「運動−力と運動・運動量/エネルギー−力学的エネルギー・熱とエネルギー・エネルギーに関する探究活動/波動−波の性質・音波・光波/電流と電子−電界と電流・電子と原子・電流と電子に関する探究活動」となっている.「円運動と万有引力・気体分子の運動/電流と磁界・電磁誘導と電磁波/波動性と粒子性・原子の構造」といった内容は完全選択の2単位の〈物理II〉ではじめてとり上げるのである.


5. 学校の外での物理教育

しかし,今日の物理教育は,学校の理科教育の中でだけ行われているわけではない.戦前にはラジオしかなかったが,戦後はテレビがあって,物理実験の様子なども茶の間で見ることができるようになった.科学映画にも岩波の科学教育体系の物理編のようにすぐれた内容のものができている.それに,物理啓蒙書や科学雑誌や科学博物館の類も増えてきた.たまには物理の講演会も開かれている.

しかし,それらの機会は,特別に物理学に関心をもってはじめて意味のあるものでしかない.物理に興味をもちさえすれば,そういうものを見て自分でかなり高度の物理を学ぶことができるようになってはいるのだが,学校で物理嫌いを大量生産しているようでは,そういう教育のチャンスはほとんど意味を持たないことになる.

しかし,戦前は国語読本などで物理に興味をもった子どもたちは,月刊の『子供の科学』を読み,科学博物館に通ったり科学啓蒙書を読んで,自分で物理に対する興味を深めることができた.

戦後は,学習研究社の雑誌『〇年の科学』の付録で科学実験の真似事をして物理に対する興味を高めたという人が少なくない.しかし,そういう人びとも中学・高校で物理に対する興味を持続するようになっているかというと,そういうようにはなっていないといっていいだろう.

いまは,電気機器など物理学を利用した多種多様な家庭製品が身近なものになっている.ところが,そういうものの物理的な原理についての知識はまったく貧弱としかいいようがない.今日の物理教育は,学校でも社会でも,人びとの興味をかき立てるのに成功していないのである.

それだけではない.若者たちは,いくらか物理に関心をもった者も含めて,近代科学の基本的な自然観に反する超能力などの疑似科学のほうに向かっている.そして,最近はオウム事件まで引き起こしているのである.急速に科学教育を再建しないと,物理学を生み育ててきた近代社会の存続さえ危うくなりかねないのである.


6. 物理教育の内容を充実させ程度を高めること

それなら,今後どうしたらいいのだろうか.

それには大きく言って二種類の解決方法が考えられる.その一つは,これまでの物理教育の内容を大きく削減し,その程度を思い切って下げて人びとの能力にあうように改めていくというやり方である.実際,これまでの文部省の学習指導要領は,そのようにして物理離れを防ごうとしてきたように思える.しかし,そのような試みは成功しているとは言えない.

もう一つは,これとは正反対といえる解決方法である.それは「これまでよりも内容を充実し,その程度を思い切って高めることによって,人びとの興味を引き出そう」というものである.私自身の場合,小学校の理科はまるで役にたちそうにも思えなくて,嫌いだった.私は旧制中学の高学年から旧制高等学校に進学してはじめて物理に興味を持ちうるようになったのである.物理学者には似た思いをした経験のある人が少なくないことだろうが,内容の貧弱な程度の低い物理教育では,興味のもちようもないのである.私はそう考えて,これまで私なりの研究を積み上げて,きたつもりである.それなら「内容を充実し,程度を上げる」というのはどういうことか,具体的に説明しよう.

筆者はこれまで主として学校での授業用に仮説実験授業の教材=授業書の開発に力を注いできたが,仮説実験授業というのは,これまでの物理教育よりも二つの意味で程度が高いのである.その一つは,その授業が一流の科学者の研究の進め方を模している点にある.三流四流の科学者たちは日夜測定実験に明け暮れるかも知れないが,一流の科学者は豊富な仮説をもって自然に切り込んでいく.実験は自分たちの立てた仮説を検証するためにこそある.一つの仮説の当否は一つの実験では決まらないのがふつうである.そこで,一つの仮説を検証するために一連の実験問題をとり上げて追求することが必要になる.だから,一つのことを教えるのに一つの実験で済ませる授業よりもずっと時間がかかることにもなる.しかし,そういう授業は確実にたのしくなる.筆者はいま『たのしい授業』という月刊教育雑誌の編集に当たっているが,それは仮説実験授業の研究によって,「だれにでも楽しい授業が実現できうる」ということを確信しえたことによっている.

仮説実験授業がだれにでも楽しい授業を保証しうるようになったのは,それがもう一つの意味でも「内容を充実し程度を上げる」ものになっていることによっている.たとえば,仮説実験授業では小学校から分子模型を導入して,徹底的に原子分子論的な教育を行う.子どもたちはそれを楽しんで受け入れるのである.原子分子の世界は内容が豊富だし,程度が高いから応用範囲がとても広い.だから,とても高度なことを学んだようで,みんな楽しくなるのである.こんなことをいうと,「そんな授業は特別すぐれた子どもたちにしかできないのではないか」という人があるかも知れないが,そんなことはない.脳に生理的な欠陥のある子どもでなければ,誰でも興味をもって学べるのである.


7. 物理教育も進歩する

こんなことを言っても,事情を知らない人は単なる自己宣伝に思ってしまうだろうから,これ以上は言及しないことにして,物理教育は今後どのように進歩しうるか,具体的に私の試みを書くことにしよう.

じつは,私は1995年に国立教育研究所を定年退職したのをきっかけに,学校の枠を離れて,「サイエンス・シアター運動」というのをはじめている.「ふつうのシアター=劇場のように,思い切って贅沢をしたら,科学教育をどれほど楽しいものにしうるか」という実験を始めたのである.19世紀の半ばにファラデーが英国でやったクリスマス講演の現代版といってもいい.

大部分の人が誤解しているのだが,「ロウソクの科学」などのクリスマス講演は,子ども好きだったファラデーが無料サービスしたものではない.ファラデーの勤めていた王認会館=Royal Institutionは,日本でいうと財団法人のようなもので,国王や政府からの財政支援など皆無で,その存続も危うく給料も少なかった.そこで,ファラデーは金儲けのためにクリスマス講演を企画して実現させたのである.その企画は成功だった.千人に近い人びとを収容できる王認会館の「シアター」に,たくさんの人びとが高い聴講料を出して集まったからである.科学の講演会も本格的なものをやれば,高い会費を払っても沢山の人びとが集まってくるのである.

私たちは1995年春には,早稲田大学の豪華な国際会議場を借りて,「電磁波をさぐる--電波と光の世界」と題して二日間にわたって実験講座を開き,豪華な実験器具をお土産として持ちかえってもらった.そして,年末クリスマスの時期に「温度と分子運動」をテーマに第二回のシアターを開催した.電磁波といい,分子運動というと,現行の学校教育では高等学校の〈物理II〉の中ではじめてとり上げられる教材だが,それ以上の内容を小学生にも分かるようにしているのである.

たとえば私は小中学生時代に「暑い夏に水を蒔くと涼しくなるのは,蒔いた水が気化熱を奪うからだ」という説明を聞かされて,どうしても納得できなかった記憶がある.沸騰した湯を熱しつづけたとき,「水蒸気が気化熱を奪うから温度が上がらない」というのは何とか納得できても,「外から加熱していない水がどうして周りから熱を奪ってまでも蒸発しなければならないのか」納得がいかなかったのである.しかし,いま考えてみると,この場合は「納得しえなかった私のほうが正しかったのだ」ということになる.「水蒸気が回りから熱を奪う」などという擬人化した表現は,物理現象の説明にはなりえないからである.

生物学教育では,昔から目的論的な説明法に対する批判が行われてきたが,物理教育でも昔から説明にならない説明が少なくない.たとえば,「空気は熱せられると軽くなって上昇する」などというのは,〈重さ〉でない〈軽さ〉の概念が採用されていた時代の説明法である.そういう説明に嫌気がさして物理が嫌いになる子どもたちも少なくないのである.水が蒸発するのは,何も気化熱を奪うためではない.たまたまスピードがついた水の分子が飛び出すから,後に残された分子の運動エネルギーの平均が減少することになり,それで温度が下がるだけである.分子運動論的に正しく蒸発熱を説明すれば,誰にでも納得しうるし,感動することもできるのである.

「もっと本格的な物理教育を早くから始めれば,物理離れなど問題にならなくなる」--私は真剣にそう考えて,今後ともそれを証明していきたいと思っている.しかし,そういう教育は現行のように文部省の『学習指導要領』の束縛がある学校教育の中ではなかなか実現できない.そういう意味でも,『学習指導要領』の実施の思い切った弾力化を要望したい.


文献と注

  1. このことについては,中村邦光,板倉聖宣:『科学史研究』(岩波書店,1984)−日本における〈てこの原理〉の数学的理解の歴史,板倉,中村ほか:『日本における科学研究の萌芽と挫折』(仮説社,1990)所収,を参考のこと. 
  2. 仮説実験授業については,たとえば板倉聖宣:『仮説実験授業』(仮説社,1974)を参照のこと. 
  3. 日本の理科教育史については,板倉聖宣ほか編著:『理科教育史資料』全6巻(東京法令,1986)という資料集があり,本文に書いたことを容易に裏付けることができる.

 非会員著者紹介:板倉聖宣氏は1930年東京生まれ.1953年東大教養学部教養学科・科学史科学哲学分科卒.1968年東大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程を修了,国立教育研究所勤務.1963年仮説実験授業を提唱し,その代表となる.1983年『たのしい授業』(仮説社)を創刊.1995年国立教育研究所を定年退職し,私立板倉研究室を創設.専門は科学史・科学教育学を中心に教育学・歴史学・哲学全般にわたり,『長岡半太郎伝』(朝日新聞社),『ぼくらはガリレオ』(岩波書店),『日本史再発見』(朝日新聞社)など,著書多数.