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巻 頭 言

100人の専門家より18,900人の素人に

湯川哲之

〈会誌編集委員長,e-mail: yukawa@theory.kek.jp〉

幸か不幸か,たぶん不幸にも,物理学会50周年の節目の年に,会誌の編集委員長を引き受ける羽目になりました.物理学会誌は年間1万1千円也の会費を払った見返りとして,全ての会員に定期的に送られる唯一の品物です.近頃,気のせいかもしれませんが,物理学会の会員でない若手や中堅の研究者がやたらと目につきます.なぜこの方々は会員にならないのだろうか.その理由を知りたくなったり,それは会誌がつまらないからではないかと疑ったり,そう考えるのは取り越し苦労であることを願ったりします.

それでは,会誌は本当に面白いのでしょうか.会誌の内容には,物理学研究に関する記事,物理学と社会についてのエッセイの類,会員への種々の連絡,書評などがあります.どの記事もそれぞれ大切ですが,やはり中心となるのは「交流」「解説」「最近の研究から」などの物理学研究に関するものです.ここの記事が興味深く,読みやすく,ためになるかが,会誌の善し悪しの決め手となります.これらの記事は,ほとんどの場合,編集委員がテーマと執筆者を委員会に提案し,そこで採否の議論を経て,執筆依頼を出します.依頼の手紙には必ず“執筆の手引き”がつき,なるべく多くの方に興味深く読んでもらえるよう,分かりやすく書いていただきたいと念を押します.しかし,“分かりやすい”の意味が人によりずいぶん違うようです.

物理学者が自分の専門を記事にするとき,ふつう読者を想定します.先ず第一に頭に浮かぶ読者としては,同じ分野の専門家でしょうか.会誌の記事だから専門家はあまり気にすることはないと思ってはいても,つい彼らの目が気になります.間違った事を書いて,仲間の笑いものになるようなことはなるべく避けたいものです.こんな時,内容はつい論文調になり,専門用語の多い,難しく長たらしいものとなりがちです.担当の編集委員が,もう少し短く,分かりやすく書いてほしいと言ってきても,これ以上変えると内容が正しく伝えられなくなるから受け付けません.それに,心のどこかで,あまり自分の業績にはならない会誌の記事にそんなに時間をつぶしたくはない,と言っています.

次に思い浮かぶ読者としては,物理学を志す学生です.彼らこそ将来仲間となるかもしれない貴重な人材なのです.彼らの心をつかむため,著者の研究がいかに重要であり面白いものであるかを,うまく伝えるよう腐心します.なるべく現代的な香りのする専門用語をちりばめ,多くの先端的研究を引用して,この研究分野はいかに活気があるかをアピールします.厳密性はあまり問題にしません.何を言っているか少々分からなくても,何かとてつもなく重要なことをやっているようだ,と読者が感じてくれればそれで大成功なのです.もちろん,物理の内容の割には面白く書けすぎたとしても,一向に気にはしません.

第三は,専門を異にする読者で,著者にとってこの場合が最も骨が折れます.専門用語はなるべく避けるか,きちんと説明してから使うことを先ず心がけなければなりません.専門家の間だと普段は説明を省略することを,きちんと説明するのはいかに大変であるか,を思い知らされるのはこの時です.もう一度勉強のやり直しを迫られる場合も珍しくありません.非専門家といえども,読者は物理学研究者なのです.あやふやな説明は許されないし,かと言って程度を落とすことは好ましくありません.執筆を引き受けたことに後悔をするのもこの時です.しかし,物理学会員のうち,著者に関係した専門家や学生は少数で,ほとんどは素人です.著者が最も気にしなければならないのは,この読者層であることは明らかです.

今ほど科学者が互いに他分野の科学を理解することを求められている時代はないと言えます.研究を推進する中で,他分野に対する無理解が悲しい結果を生んだ経験には事欠きません.この頃よく話題になる若者の理科離れも,元を正せば異なる分野間の無理解にも原因があると言えるのではないでしょうか.

自由主義と社会主義という二つの社会があった頃,大国はその社会の優位さを示す看板として,物質の基本的要素をつきつめる素粒子実験や,人類が地球の重力という檻から脱出しようとする宇宙開発などの巨大科学を推進しました.それらは,餓死者を減らすことや,環境の破壊を止める役には立たなかったかもしれませんが,人々にその社会で生きる誇りを与えました.少なくとも,与えることが出来ると思われていました.そして,二つの社会という構図が消え去り,イデオロギーの競争がなくなった時,巨大科学は無駄遣いだという声が,科学者の中にさえ出てきました.“環境問題や,エネルギー問題など重要な問題が山積みしているのに,なぜHiggs粒子なのか.脳や精神の解明などもっと身近に重要問題があるのに,なぜトップ・クォークなのか.”こんな声が至るところから聞こえて来ました.ほとんどの科学者にとっては無縁な極微の世界の探求に,巨額のお金を投じる意義が理解できなかったのです.そして,SSC計画が消えて行きました.夢を売っていた科学者を見る学生の目は醒め,大計画中止のおかげで資金を得た小計画があったとはいえ,それとて幻滅した若者を呼び戻す力にはなりませんでした.

世界情勢が変わったからと言って,科学に対する夢と期待がなくなった訳ではありません.互いに他分野の研究を知ることは,決して研究に序列をつけることではなく,互いの研究が持つ意義を認めあう素地を持つことです.先ず,研究者が自らの研究を他分野の研究者に理解してもらうよう努力することは,より多くの人々に科学を理解してもらう第一歩です.会誌に寄稿される全ての著者が,19,000人の会員の中の,自分の周りの100人の専門家より,18,900人の非専門家に話しかけることを心がければ,きっと面白い会誌が出来るに違いありません.