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物理学と周辺

会誌表紙の変遷

会誌編集委員会


50周年を機に過去の会誌の表紙について調べたところ,本号表紙に掲載いたしましたが,特集号の表紙を除くと以下のような変遷を遂げてきたことがわかりました.より詳しくは,会誌11 (1956) 35, 22 (1967)886, 43 (1988) 82でその経緯が説明されていますのでご参照下さい.

まず,1 (1946)から6 (1951)までは,本文の用紙よりは辛うじて少し厚手の白い紙で,目次が印刷されています.しかし,これでは “感じがかたすぎる” ということで,7 (1952)よりオレンジ色のケント紙になります.ところが,“学会の赤字対策として広告収入を増加させる必要のため”,表紙を変える問題が再浮上し,そのために9 (1954) 6号はオレンジ色の硬質紙,7号はクリーム色,8号以後は薄緑色の硬質紙と試行錯誤します.ちなみに9 (1954) 9号が空色になったのは,事務手違いのためだそうです.

このような経緯を経て,11 (1956)から表紙を大幅に変更することになりました.ただし費用の点から2色刷は困難であったためあずき色1色にし,まず1年分をまとめて印刷し,あとで巻,号,目次等を黒で刷りこむという方法がとられています.

23 (1968)の変更は,欧文誌自由購読制発足に対応したJournalの体裁変更を受け,その表紙に見合うような新鮮な感覚のものを,という理由だったようです.専門家のデザインということですが,残念ながらその方のお名前を捜し出すことはできませんでした.墨で書かれたBu Tsu Riという文字が印象的で,今でもこの表紙に愛着をもたれている会員の方も少なくないことでしょう.

43 (1988)以来昨年まで使われていた表紙は,山本美智代さんにお願いしてデザインされたもので,それ以前に比べてかなり雰囲気を異にします.この際に会誌サイズがA4判化され,会員間で賛否両論の意見が活発に交わされました.

ところで,雑誌は合冊の時に表紙をはずしてしまうことが多いため,初期の会誌の本物の表紙を捜し出すことは容易ではありませんでした.特に第一巻の表紙は捜し出せなくて諦めかけていたところ,実は目次と思っていた頁が本当の表紙であることが判明しました.当時の紙の事情を反映して,なるべく少ない紙数で多くの情報を収めようとした苦労がしのばれます.

本号表紙では,1 (1946)〜6 (1951), 7 (1952)〜10 (1955), 11 (1956)〜22 (1967), 23 (1968)〜42 (1987), 43 (1988)〜50 (1995)の5種類の表紙に加えて,5 (1950) 6号の表紙をお目にかけることにいたしました.5 (1950) 6号は半世紀の回顧記念号と銘打って,20世紀前半の物理学を振り返っている特集号なのですが,今回の物理学会50周年記念特集としてもふさわしいタイトルと雰囲気をそなえた表紙であるように感じました.会誌編集委員会では,50周年を契機に会誌の表紙も一新しようかという議論も始まっています.会員の皆様もご意見をお寄せください.

参考のため,50年間の物理学会の量的推移(会員数,年会費,欧文誌の総頁数,年会の講演題数)をグラフにしてみました(図1).会員数は西暦をYとして,Y>1956ではおよそ300×(Y−1945)1.04でよくフィットできるようです(破線).毎年約300人ずつほぼ一定に増加しているということですね.1960年から1985年にかけてのbumpの理由はいくつか考えられます.思いつくものでは団塊の世代(『広辞苑』によれば,団塊の世代は1947-49年のベビー・ブームの時代に生まれた世代.1947+25=1972),大学院増設(新制大学院設置は1953年から.その卒業生が学会に入り始めるのは1958年頃.1961年4月文部省,高校生急増対策),理工ブーム(1961年9月文部省,1964年までに理工系大学生を2万人とする増募計画を発表)などです.半世紀の回顧記念号と『数学物理学会誌』2巻1号付録(中村清二:日本数学物理学会創立五十周年記念大会に於ける演説)に同種のグラフがあります.比べてみてください.

図1

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