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周辺からみた物理

「物理帝国主義」について

細矢治夫

〈お茶の水女子大学理学部情報科学科 112東京都文京区大塚2-1-1 e-mail: hosoya@is.ocha.ac.jp〉

「帝国主義」という言葉の歴史学的な意味はともかく,広い意味では「他の小国の権威・存立を犠牲にしても,自国の領土・権益の拡大をはかろうとする侵略的傾向」という,金田一の「新明解国語辞典(三省堂)」の解説がなかなか的をついていると思う.しかし,「物理帝国主義」という言葉はどんな辞書にも載っていないし,きちんと定義している文献も存在しないであろう.にもかかわらず,この会誌の読者諸氏のほとんどは,ほぼ同じような意味に解釈されていると思う.ところが一歩物理の外に出ると,自然科学に範囲を限っても,そんな言葉を聞いたことがないという人が結構多いのではないかと思う.つまりこの言葉は,物理学者或いは物理屋さん自身がつくりあげ,身内の間で,或いは専門の近い人の間でjargonのように使われている言葉であると,化学畑の私は認識している.

そもそも物理学とは何であろうか.天文学は天体を,化学は物質を,生物学は生命体を,それぞれ研究の対象とする自然科学として,それぞれの定義は明白である.しかし物理学には特定の対象はなく,自然界に存在するあらゆる物質とそれらのからむ現象を支配する法則を,厳密にかつ定量的に解明する学問であると言えよう.

歴史的に見ても,身近な物体の運動の解析から始まり,地球や天体,更には宇宙の運動からその歴史にまでさかのぼった研究を拡げたかと思えば,物質の根源である原子の内部構造を探り,ついには生命現象の基本的な理解を進めようという学問的な流れの中核に迫ろうとしている.

ギリシャ時代の自然哲学以来の自然科学の発展の歴史をたどって眺めたときに,天文学者,生物学者,化学者といわれる人達の活躍は,物理学者のそれに較べれば,はるかに後発,かつ断片的である.プラトン,アリストテレス,アルキメデスはともかく,ガリレイ,ケプラー,ニュートンというまぶしい名前を,化学や生物学の教科書の中に見つけることはできない.ところが,17世紀の後半から19世紀の初頭にかけて活躍した著名な科学者を見ると,ラボアジェは典型的な化学者であるが,ボイル,キャベンディッシュ,ドルトン,アボガドロ,ファラデーなどは,化学者であるか,物理学者であるか本人も意識をしていなかったと思う.両者の差は本質的ではないと私は思う.

ここで私自身が学生だった1950年代後半に突然話を移したい.高校,大学入試,教養の講義では,物理・化学・生物という区別が厳然として存在していた.専門の学科に進学した瞬間,物理と化学という別々のおまじないをかけられ,全く混じりあわない空間を,それぞれ異なる呪文を唱えながら這いずりまわる運命を授けられたような気さえした.

化学科の学生達の一部は,物理数学,力学,原子物理学というような物理学科の大先生の講義をもぐりこんで聴講していたが,逆のケースは皆無であったと思う.素粒子物理と物性物理が全盛であったから,その間にある原子・分子の面白い実験事実はおろか,量子力学的な応用と展開,特に化学結合の多様性と意外性について注目していた物理学者は小谷グループ以外は極く僅かだったと思われる.

量子力学誕生後間もなくパウリは,「原子や分子,更にはそれらに関わる全ての問題は量子力学で完全に説明される.化学の出番はもうなくなった.」という勝利宣言をした.しかしそれから70年近く経った今でも,第一原理計算で再現できる問題は化学の中のほんの一部である.

幸いにして最近はあまりないが,現実の化学物質について実験から得られた詳細な事実や,大がかりな理論計算から得られた結果を物理系の人と話をすると,「化学でそんなことまでやっていたのですか」とか,「そんな大きな分子についての結果が信用できるのですか」というような感嘆文や疑問文をもらうという経験が再三となくあった.

ヨーロッパ全土を蹂躪した悪名高きナポレオンは,その強大な力を持つ直前にエジプト遠征を行ったが,それは最近再評価されている(「日経サイエンス」1994年11月号).即ち150人という大勢の科学者を同行し,エジプトの現在から過去までのあらゆる文化と動植物を含めた自然を記録し,学び,それらをヨーロッパ全土に伝えたのである.その精神が遠征軍全体に伝わっていたからこそ,こわれかけた神殿の地面の中から,ヒエログリフの解読の鍵となったロゼッタストーンがフランス軍兵士の手によって見つけられたのである.なお当のナポレオンは,イギリスのネルソンに敗れてから密かにエジプトを脱出して復活を遂げるのだが,残されたフランスの科学者達はその後も現地で精力的に研究を続けた.200年前のフランスの科学者達は,断頭台の露と消えたラボアジェを始めとして,国の存亡も自らの生命の保障も全くない革命と激動の時代に,国を動かし,地球規模の測量をもとにメートル法を制定したり,それぞれの分野で世界的な業績を上げている.現代のフランスの政治家や原子力科学者が実にちっぽけに見える.

われわれ化学の人間が物理学者へ期待することは,帝国をつくるならば,ナポレオンのエジプト遠征のように,被征服者の築き上げた学問的成果を充分に理解したその上につくって欲しいということである.物質科学を制するにはバンド理論だけでは不十分だし欠陥もある.分子の化学結合の多様性と意外性を正しく理解する必要がある.宇宙天文学,生物物理学また然りである.

追記:最近伏見康治先生から,「物理帝国主義」という言葉は,桑原武夫が初めて使った,とお聞きした.