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50年をかえりみる

素粒子の究極理論を求めて

武田 暁

〈東北学院大学教養学部 981-31仙台市泉区市名坂字天神沢9-1〉

物理学会の編集委員会より,湯川,朝永先生以後のこれまでの日本の素粒子論研究の展開について書くようにと依頼された.また,素粒子モデルの日本の研究については小川修三さんが別に書かれた(会誌51 (1996) 90, 2月号参照).素粒子理論の発展については多くの優れた啓蒙書が出されている.比較的最近に刊行され,私自身が読んだ本の中から幾つかをあげると,S. Weinbergの『究極理論への夢』,A. Zee の『宇宙のデザイン原理』等の素粒子研究の第一線の学者により書かれた素晴らしい本があり,また,素粒子理論と宇宙論の関係を論じた本を取りあげれば,今は古典とも言えるS. Weinbergの『宇宙創成はじめの3分間』とか,S. W. Hawkingの『ホーキング宇宙を語る』等の優れた本も出されている.1)したがって,読者が素粒子理論の展開の全体像を得るにはこと欠かない.このようなことは物理学の諸分野の中でも素粒子物理学と宇宙物理学に顕著に見られる特徴であり,物質世界の究極理論,宇宙の誕生と進化の統一理論を求めるこれらの分野が多くの若い人々を引き付ける魅力を具えている証拠である.

これらの本に書かれている素粒子論の発展の背景と内容を熟知している読者には,この半世紀の素粒子研究の歴史を短い文章にまとめても訴えるところは少ないものと思われる.また,素粒子物理が専門外の会員にとっては,素粒子物理学の進展の中で個々の人々があげた業績を通して日本の研究の歩みを語っても,全体の素粒子理論の研究の流れの中でこれらの仕事が果した役割を感じていただくのは難しいと思われる.そもそも自分自身がその流れの中に置かれてきた研究の歴史を語ることは困難であり,過去の文献を改めて読み直し,その頃の知識の状況と研究の動向を再認識し,それ以降に集積され既成概念となっている常識を一旦は自分の頭の中から払拭しなければならないが,私にはできそうにも思えない.

日本の研究者による幾つかの代表的な論文を改めて眺めてみると,論文に書かれている研究の動機,問題意識,得られた結論の何れについても現在においてなお説得性のあるものが多い.また,それらの論文には多くの外国の論文も参照され,素粒子研究者の作る社会共同体の各時代に存在したパラダイムの中での位置付けが行われているが,1950, 60, 70, 80年代と年代が進むにつれこのような傾向は著しく,国際的な共同作業と与論形成の傾向は益々顕著になっている.このことは,素粒子理論に標準理論と呼ばれる理論が次第に作り上げられ,受け入れられて来たことと無縁ではない傾向と思われる.したがって日本人の研究を主体にして素粒子理論の展開を語るのは非常に難しいし,また必ずしも理に適ったこととは思えない.

別の試みとして,会う人ごとに各人が素粒子研究を始めてからこれまでに大きな影響を受けた日本人の論文を数編ずつあげて貰ってみた.皆さんが挙げる論文は案外に共通しており,また予想した以上にそこであげられた原論文を当人は読んでおらず,身近に行われたセミナーや講義録あるいは研究者社会の与論を通して影響を受けたと言う人が多い.原論文がいかに優れていても理解されるには時間が必要であり,別の人がその論文を評価し原著者自身ですら気が付かなかった意義を認めて論文の重要性を指摘したり,原論文より受け入れ易い見通し良い形に表現し直されてから初めて一般的に受け入れられるようになることを示している

. 1978年に初めて日本で高エネルギー物理学の国際会議が開かれた.その直後になされた南部とPolitzerの対話を読むと,2)強い相互作用の標準理論であるQCDの重要な特徴である漸近的自由性(高エネルギーで相互作用定数が漸近的に0になり,素粒子が自由粒子のように振舞うこと)を発見したPolitzerの仕事,素粒子物理学における自発的対称性の破れの重要性を初めて議論した南部の仕事の場合にも,周りに誰も理解し励ましてくれる人がいなかったと述べている.1967年のWeinbergの電弱統一理論は殆どすべての実験的な検証にこれまで耐えてきた理論であり,電磁相互作用と弱い相互作用の統一理論の標準理論としての地位を今日では確保しているが,このWeinbergの論文の場合でも3年後の70年に初めて1回,71年に3回,そして72年から突如多数回引用されたと著者自身が『究極理論への夢』の中で述べている.この統一理論は独立にSalamも同じ内容の理論を提出したので,Weinberg-Salam理論と呼ばれている.

研究者が新しい概念を受け入れるには多大の困難が伴うものであり,重要な仕事ほどそれを受け入れるには意識の変革が必要で,一般に認知されるまでの時間が相当に長いことを示している.多数の研究者が同一の目標を持って研究している素粒子物理学の場合には,少しでも異端的な考えは無視するか聞き流すような与論形成が行われ易いとも言えるので,理論形式がすつきりしている,物理的描像が明確に描ける,実験的な検証がある等の3拍子揃った形に理論の内容が整理されるまでは,なかなか受け入れられない背景があるように思われる.このようなことは原論文には殆ど望めないことなので,研究者社会の与論の支持を受け認知されるまでには数年の歳月を必要とするのであろう.

この数年間は素粒子物理学の進展は小康状態にあると思い込み,私自身は脳神経科学や言語学の勉強に凝っていたので,この小論では言語学的観点を加味して素粒子研究の歩みを振り返ることにしよう.紙数の制限から多くの日本の研究者の業績をあげながら研究の歩みを論ずることはできないので,色々な人に尋ねたときに共通に挙げられた湯川・朝永以後の少数の日本人の論文のみを取り上げながら,自分自身の意識の変遷をたどる気持ちで素粒子論研究の歩みを論ずることにする.

素粒子物理学の進展の半世紀の歴史を一言で言えば,物質世界の究極の構成要素とそれらの間の相互作用の究極の法則を探し求めて来た歴史であり,素粒子の統一理論の探求である.私が未だ学生であった頃に湯川先生が『存在の理法』という題の本を書かれ,その題名に引かれて読んだ覚えがある.何時の間にかこの本は手元からなくなり出版元さえ不明であるが,それぞれの素粒子が存在する理由づけを当時は私なりに考えた覚えがある.究極理論の探求とは素粒子の存在の理法の追及であり,同時に素粒子を記述する言語そのものである相対論的量子場の理論の深層構造の追及と言っても良い.

Weinbergの『究極理論への夢』の中にも強調してあるが,究極理論とは素粒子物理学の還元論的性格の研究の終末点であり,ある一群の法則はより深い階層の法則により説明され,更にそれらの法則は更に次の階層の法則により説明され,究極理論に現れる最終段階の法則はそれより深層の法則を持ち得ない法則と考える.そのような究極理論があるとすれば,その理論の持つ美しさの一つの特徴は理論の持つ必然性であり,その中の一つの法則,一つの定数すら僅かに変える自由度も残されていない,極めて制限の強い論理体系であることが望ましい.本当に究極理論が存在し得るかどうかはともかくとして,現在までの素粒子の統一理論探求の歴史を振り返ると,ある意味でより基礎的,より包括的,そしてより制限の強い任意性のない法則を探し続けてきたように見える.この意味で現在の標準理論は未だ多くの実験的にのみ決め得るパラメータを含んでおり,実験事実には良く合うが理論的には不満足なものと考えられている.

最近,Watsonと共にDNAの構造を明らかにしたCrickが『驚くべき仮説』と言う本を書いている.3)彼の言う驚くべき仮説というのは,人間の記憶,自由意志,自己認識等の人間の心的活動のすべては,多数のニューロンの集合体の機能として理解できるという還元論的仮説であり,脳神経科学で最も良く調べられている視覚のニューロンレベルでの知識を基にして,視覚の高次機能にゆくに連れて自己認識が生ずる可能性を論じている.脳神経科学の現状はとても自己認識の問題にまともに取り組む段階まで進んでいないという方が常識であろうが,多くの実験的に得られた素材が断片的に蓄積されており,重要な,しかも現実的な問題提起として受け取るべきものと思われる.このような脳神経科学の状況は,多数の素粒子やその共鳴状態が発見され個別の知識が急増しながら,理論の全体像が見えなかった1950年代から60年代にかけての素粒子物理学の状況を想起させる.素粒子理論の最近の傾向を眺めると,実験事実や近い将来の実験的な検証可能性を越えた色々なアイディアが提出されており,究極理論のあるべき姿が純理論的に議論されている.そろそろ人間の認識機構,認識能力の限界,あるいは認識能力の学習とその限界の問題を抜きにしては素粒子理論は論じられない側面を見せて来ているようにも思われる.

素粒子物理学は他の分野と異なる幾つかの特徴を持っている.第1の特徴は多くの素粒子研究者が意識的に,あるいは意識下に,物質の究極理論の探求という知的な好奇心と目的を共有していることである.多くの研究者が素粒子研究のすべての側面に関心を持ち,すべての研究は物質世界の究極原理の探求につながる可能性があるという意識である.あるいは,意識されていない無意識の動機を共有しているという方が正しいかも知れない.このような研究者間の暗黙の一体感は,例えばクォーク・レプトンとそれらを結ぶゲージ粒子からなる物質世界像の形成,強い相互作用の標準理論であるQCD, 電磁相互作用と弱い相互作用を統一した標準理論である電弱理論の形成,更に進んで大統一理論や重力相互作用まで含む超弦理論の可能性の追及等の共同作業に大きな役割を果してきたものと思われる.

第2の特徴は素粒子理論と素粒子実験の関係であり,極言すると素粒子物理学は通常の実験施設・設備のほかに量子場の理論という第2の実験場を併せ持っていることである.人間が言葉を用いるときに,会話や文書を通しての外部との情報伝達により言語理解や構文能力を高めるのは実験物理学の場に相当し,脳の中の言語野等におけるニューロン間のシナプス結合とその変化を通して言語理解や構文能力を理解しようとするのは,場の理論の探求に相当する.脳の中の様子は外から見えないが,脳は言語形成の中枢であり,五感を通して外部の実験場での経験と互いに相互作用しながら言語形成を行っている.これら二つの実験場の存在は必ずしも素粒子研究のみに見られる訳ではないけれども,相対論的量子場の理論は極めて奥深く,かつ,制限の強い理論であり,最も顕著にこれらの特徴が見られる物理学の分野であることは間違いない.

この半世紀の素粒子理論の展開を強いて言語論的な言い方で分類すると,1950年代は日常言語としての場の理論の有効性検証の時代,60年代は場の理論の科学用語としての文法探求の時代,70年代はクォーク・レプトンを用いた言語の時代,80年代はゲージ場理論と呼ぶ内容豊富で,かつ,制限の強い統一言語に基づく素粒子の統一理論の時代,90年代は多様化の時代,あるいは少し不謹慎な言い方をすると分離脳の時代と位置づけたい.

私が素粒子研究を始めた50年代のことを振り返ると,湯川理論の成功は,素粒子間の相互作用は場に付随する素粒子により媒介されるという概念を定着させ,朝永等の繰り込み理論の成功は,量子場の理論は素粒子物理学を定量的にも記述できる優れた理論形式であり得ることを認識させた.両者が相俟って,量子場の理論は当面は素粒子物理学を記述できる言語そのものであるという意識を定着させたように思われる.また,朝永等の繰り込み理論に一つの実体を与えた坂田グループのCメソンの導入によるQEDの発散除去は,場の理論の繰り込み可能性と素粒子のモデルが有機的に結合することを示唆していたが,このことが明確に認識され本格的に取り入れられるようになつたのは,後に場の理論が超対称性を持つ場の理論という形に拡張されてからである.

量子場の理論は1929年のHeisenbergとPauliの論文に始まるが,電子と電磁場の量子場の理論(QED), 湯川の中間子理論の成功は,場の理論が極めて内容のある素粒子物理学の言語であることを示してきた.相対論的場の理論は相対論的不変性,局所的因果律等の一般的要請を満足するように構成され,場の量子化により,場には素粒子が付随し,素粒子の放出と吸収過程,それらを組み合わせて得られる素粒子の交換による力の媒介,反粒子の存在等のことが組み込まれている.これらは基本的な実験事実と整合し,場の理論はすべての素粒子現象を語る為の素材を含んだ素粒子の言語体系,あるいは極限すれば場の理論は素粒子理論そのものであるという感じを与えてきた.

1940年代の終わりに提出された朝永, Schwinger, Feynman等によるQEDの研究により,場の理論はQEDに関する限り定量的な数値計算にも耐え得ることが示された.また,Feynmanダイヤグラムは色々な物理過程を視覚的にも明らかにし,その正当性が十分に議論される前に,50年代半ばには多くの人々が日常用語として使う素粒子言語として定着し,Feynmanダイアグラムによる計算法は今日まで場の理論の汎用的なアルゴリズムとも言える役割を果すことになる.したがって,素粒子物理学を語る日常言語としての場の理論の有用性の検証は50年代には完成したと言つても良い.

勿論,当時から場の理論には多くの問題点も抱えていた.電子・光子の質量や電荷の計算値が無限大になる発散の問題,次々に発見される素粒子の何れに基本的な量子場を対応させるか,QEDと異なり強い相互作用のように結合定数が大きい場合にどのようにして有効な計算を行うか等の問題,これらは場の理論から導かれる結果と実験との比較を可能にする為にどうしても解決しなければならない問題であった.しかし,QEDの成功と,Feynmanダイヤグラムを日常言語として用いるとすべての物理現象を語れること等から見て,これらの残された問題の解決には多分に楽観的な空気があったような感じもする.

一方,場の理論を素粒子物理学の言語体系として眺めると,その言語体系に隠されている,あるいは内在している新たな物理的内容の発見や,言語体系の無矛盾性を検討する先駆的な試みが1950年代になされており,その中の幾つかの日本の優れた研究をあげることにしよう.51-52年の坂田,梅沢,亀淵による繰り込み理論の適用性の研究では,相互作用定数の長さの次元が負の値を持つ場の理論は繰り込み可能,正の値を持つ場合には一般に繰り込み不可能なことを示しただけでなく,後者の場合でも実ベクトル場のベクトル相互作用という特殊な場合には繰り込み可能であることを示している.4)

更に1957年には50年に提出されたWardの恒等式を一般化して,電子の伝播関数と電子と光の相互作用の強さを表すvertex関数との間に成立する一般的な関係式が高橋により証明された.5)この関係式はQEDだけでなくゲージ場の理論に一般的に適用される関係式であり,異なる物理過程の振幅を関連づける極めて有用な等式である.高橋-Ward恒等式は今日までしばしば引用され,ゲージ理論に基づく素粒子の言語体系に共通の文法規則とも言える役割を果している.また59年には中西,Landauにより独立にFeynmanダイアグラムの解析性の研究もなされており,6)日常言語としてのFeynmanダイアグラムの持つ数学的な性格を明らかにした研究である.

相対論的量子場の理論は素粒子を記述する言語として色々な角度から検討されたが,その中からゲージ場の理論が今日のように特別の位置を占めるまでには長い期間を必要とした.現在の素粒子理論の状況は,局所ゲージ変換に対して不変性を持つゲージ場の理論の正当性が広く受け入れられ,素粒子物理学を記述する最も魅力のある言語としての役割を果している.QEDは場の位相の局所変換に対する不変性を持つ局所ゲージ場の理論であるが,このようなゲージ理論の一般化が1950年代になされている.54年のYang-MillsのSU(2)対称性を持つゲージ理論は,素粒子の内部対称性である荷電スピンの局所回転に対するゲージ理論であり,56年の内山によるゲージ理論の定式化は,一般のLie群に対するゲージ理論への拡張と,Einsteinの重力理論をゲージ理論として解釈する研究である.7)素粒子物理学にゲージ理論を一般的に用いる必然性については,当時の実験事実やゲージ理論の理解の状況からは余り意識されていなかったが,これらの仕事は極めて先見的な研究として位置付けられる.

ゲージ場の理論を素粒子物理に適用する際の当時の最大の難点は,ゲージ場に対応するゲージ粒子は光子のように質量0になることであった.光子以外にはゲージ粒子に対応するスピン1,質量0の素粒子が発見されなかったことから,当時の多数意見はゲージ理論の普遍的な適用性について否定的であったと思われる.60年代の初めに桜井等は当時までに存在が確認されていた有限質量,スピン1の数種のベクトル中間子の役割を強調する論文を書き,8)ハドロン相互作用を記述する現象論として一定の成功を収めた.これらの仕事は素粒子物理学におけるベクトル粒子の役割の重要性を示したものと言えるが,局所ゲージ場の理論の正当性を確認するまでには至らなかった.1960年頃にSchwingerが来日したときに呼び出され,東京で2人で宝塚歌劇を見ながら盛んに彼がゲージ場の質量のことを気にしていたことを思い出す.彼のようにゲージ場の理論には有限質量のゲージ粒子の存在が隠されている可能性を感じていた人々がいたけれども,有限質量を生み出す明確なメカニズムを明らかにするまでには至らなかった.

ゲージ場の理論に隠された物理的内容の豊かさが次第に明らかになってきたのは60年代,クォーク・レプトンを基本的構成粒子とする系にゲージ場の理論が適用され,実験的な検証を受け成功を収めたのが70年代,ゲージ場の理論に基づく素粒子の統一理論の妥当性が一般常識となり,ゲージ場の理論が素粒子理論の構成に不可欠な言語として定着するようになったのは80年代のことである.60年代の初めに南部により初めて素粒子物理学における対称性の自発的破れの機構とその重要性が指摘された.すなわち物理法則は色々な内部対称性を示すけれども,系の基底状態(真空)がその対称性の幾つかを破る為に現実の素粒子間には対称性が破れているように見えることが示された.また,内部対称性の自発的破れに伴って,スピン0,質量0を持つ南部-Goldstone粒子と呼ばれる粒子が現れることが南部,Goldstone等により論ぜられ,更にハドロンの中で最も軽いπ中間子はカイラル対称性の自発的破れに伴う南部-Goldstone粒子であることが南部により論ぜられた9)

1966年にはHiggsにより,局所ゲージ理論における対称性の破れに伴い生ずるスピン0を持つ南部-Goldstone粒子は,その局所対称性に関するゲージ粒子の縦方向のスピン成分となり,質量0のゲージ粒子の横方向の2成分と併せて3成分を持つ有限質量のゲージ粒子になることを示す場の理論のモデルが提出された.この機構は今日ではHiggs機構と呼ばれており,対称性の自発的破れに伴いゲージ粒子が有限質量を持ち得る物理的な機構が明らかになった.自発的対称性の破れを伴う場の理論の探求は,最近30年間の素粒子研究の進歩の背景にある原動力であると思われる.唯,どの内部対称性に対して自発的対称性の破れが起こるかは実験との比較からは決定できるが,純理論的に決定するには未だ任意性が残されている.

関連する多くの仕事を総合すると,ゲージ場の理論は極めて内容豊かな素粒子の言語体系であり,対称性の自発的破れに伴い南部-Goldstone粒子を生み出す機構,この粒子がゲージ粒子と一体になるときにはゲージ粒子に有限の質量が生ずる機構,等が内在していることが示された.それでも強い相互作用や弱い相互作用のゲージ理論が素粒子を記述する現実的な言語体系として認知されるには,これらの理論が繰り込み可能であり,また摂動展開等が可能で計算能力のあるアルゴリズムを持つことが明らかになるまで待たなければならなかった.したがって,1960年代は科学用語としての場の理論,特にゲージ場の理論に内在する豊富な文法の骨子,物理的内容が明らかにされてきた時代と考えられる.

ゲージ場の理論に内在する物理的内容の探求はその後も引き続き行われてきた.量子場の理論は時空の各点での場の値が独立に揺らぐことができるので無限の自由度を持つ系であり,基礎法則は有限自由度の量子力学系の場合と似ていても無限自由度の存在の為に今日では量子異常と呼ばれる現象が存在する.40年代から無限自由度を持つ場の揺らぎの為に色々な物理量を計算すると無限大になり,また,予期しない効果が現れる場合があることが知られていた.ゲージ理論における基本的な相互作用はゲージ場と対応する電流との相互作用であり,ゲージ場の理論における電流の役割は極めて重要である.各種の電流間の代数関係はカレント代数と呼ばれるが,この代数は量子異常項による修正を受ける.このような異常項の存在は55年に既に今村,後藤により指摘され,その後のSchwingerの仕事と併せて後藤-今村-Schwinger異常項とも呼ばれている.10)また,カレント代数は60年代に場の理論に内在する重要な文法規則として研究されたが,カレント代数に基づく場の理論の構成を行った菅原の論文等の優れた研究がある.11)

また,1960年代の終りには別種の異常項の存在により電流の保存則も修正を受けることがあることが示され,特にカイラル異常と呼ばれる異常項はゲージ場の存在によりカイラル電流の保存則を修正し,実験的にもp0中間子の2光崩壊等を通してその存在が確かめられてきた.このような2種類の量子異常は自由度無限大の場の理論に内在するものであり,一見しただけでは分からない場の理論の持つ新たな物理的内容を明らかにしたものである.今日ではゲージ理論の構成に量子異常の有無と理解が不可欠の要素であることが広く認識されている.また,量子異常項を摂動論に頼らずに一般的に導出する方法が79年に藤川により提出され,量子異常はゲージ場の幾何学的性質の現れであることが明らかにされた.藤川の方法は今日まで広く用いられている最も一般的に量子異常項を導く方法である.12)

以上のような書き方をすると50年代後半から60年代にかけての研究は場の理論一辺倒のように思われるが,実はこの時代は素粒子衝突実験により多数の素粒子とその共鳴状態が発見され,強い相互作用についてのモデルと理解の仕方の理論研究が主流を占めていた時代である.また新たな素粒子の弱い相互作用による崩壊の研究,特に空間反転に対する対称性の破れの発見等により弱い相互作用についての知見が画期的に変化した時代でもある.共鳴の役割と共鳴状態間の対称性,素粒子衝突,素粒子の多重発生等の理論的研究が盛んに行われたが,当時の場の理論では強い相互作用を定量的に記述できないという状況の中で,分散公式やS行列理論を用いて精力的な研究が行われた.私自身は50年代の中頃はアメリカに在住してr中間子の存在の予言や(55),有限の運動量変化に対する分散公式の導出等の研究をしていたが,当時のアメリカの状況を振り返ると次々に素粒子や共鳴状態が発見された素粒子実験の黄金時代であった.

S行列理論や分散式は実験で測定が原理的に可能な量の間に成立する関係のみを取り上げて論ずる研究方法であり,特に力を媒介する素粒子・共鳴粒子群と衝突の際に現れる共鳴粒子群との関係をセルフコンシステントに決めるブーストラップ方と呼ばれる枠組等が提出され,後にハドロンの弦理論へと発展することになる.それらの研究の中で猪木-松田理論と呼ばれる有限エネルギー和則等は当時の研究に大きな影響を与えた優れた研究である.13)

当時の強い相互作用に関する研究の日本の状況を強いて言えば,東京の大学出身の研究者はより実験結果に敏感に反応し,関西の大学出身の研究者は場の理論によりこだわったと言えるかも知れない.基礎物理学研究所の15周年記念シンポジューム(1968年)での宮沢氏の講演を読み直すと,『S 行列と対称性』という題の講演で解析性,ユニタリー性,対称性を基にして理論を組み立てる枠組の日本の研究の総括が述べられている.『S 行列的研究方法は新しい考え方で素粒子モデルや構造の研究と違ってボスがおらず,自由な研究の雰囲気の中で非常に多数の研究成果があげられた』と述べている.一方,S 行列理論に批判的であった梅沢氏が60年代前半の素粒子研究の様子を懐古している随筆(80年)の中に,『当時の素粒子研究は分散公式一辺倒で場の理論の影が薄かった.しかし,分散公式もつまるところは場の理論の一部であり,本当の場の理論はこれまで考えられていたような簡単なものではない,ということを漠然と感じていた』と書いている.

素粒子衝突における素粒子の多重発生は素粒子の放出・吸収の自由度を持つ場の理論の象徴的な現象であり,多くの研究者の関心を引き付けた.しかし定量的に場の理論に基づいて議論するのは極めて困難な問題であり,各種のモデルに基づく研究が盛んに行われた.日本の多くの研究の中でも木庭等により提出されたKNO則は多重発生におけるスケーリング則の一つであり,14)極めて良く多くの実験結果を再現すること等から,長期にわたりその後の研究に影響を与えた研究と評価できる.その後の高エネルギー領域での素粒子反応の理解にはスケーリング則は欠かせないものになってきており,KNO則はこのような研究の流れに先鞭を付けたものである.木庭氏は私が学生時代から親しく指導を受けた先輩であり,最も優れた見識と能力を持つ研究者であっただけに,氏が早く亡くなられたことは誠に残念な気持ちがする.

強い相互作用を示すハドロンは複雑な構造と相互作用を持ち,たとえ今日のクォーク,レプトンを基本とする素粒子物理学のゲージ理論を用いても,共鳴エネルギー領域の素粒子衝突実験や多重発生の問題を定量的に論ずるのは難しい.ハドロン衝突については多くのことが理解不十分のまま今日まで残されたが,これらの中で共鳴状態の役割等の問題は核物理学の観点から再び取り上げられ,核理論研究者のより定量的な研究に任かされているように見える.クォークが直接には顔を出さないエネルギー領域でのハドロンの相互作用を記述する有効理論を,いかにして構築するかが重要な鍵となるが,r中間子等のベクトル中間子を有効理論に現れるゲージ粒子として理解すること等を含む現実的な枠組が出されている.これらの研究の中で坂東・九後・山脇等による精力的な研究等は非常に評価すべき成果である.15)

素粒子の言語体系としてのゲージ場理論の内容が研究される一方で,1964年にはGell-Mann, Zweigにより素粒子のクォークモデルが提出された.そこに到る日本の研究との関連は小川修三氏が書かれたので,ここでは触れないことにする.70年代の初めにはクォークを素材とし,グルーオンをゲージ場とする量子色力学が提出され,QCDと呼ばれる素粒子の強い相互作用を記述する場の理論が誕生した.このQCDはSU(3)カラー対称性を持つゲージ理論であり,クォークのカラーと名付けた属性の局所変換に対する不変性に基づいている.クォークはハドロンを構成する素材であり,核子は3個のクォーク,中間子はクォークと反クォークの複合体として理解される.しかし,クォークは半端の電荷を持ち,また,ハドロンの中に閉じ込められ外に取り出せない等の不思議な性質を示している.

QCDのゲージ粒子であるグルーオンとクォークの相互作用の強さは,電磁気力の場合と異なり,短距離で弱く,長距離で強くなり(反スクリーニング),高エネルギー領域ではクォークは漸近的自由な性質を示す一方で,長距離では相互作用は強くなりクォークやグルーオンを単独で外に取り出すことができできなくなる.これら奇妙なクォークやグルーオンの性質の物理的描像も明らかにされ,70年代はクォークモデルの定着した時代といって良い.クォークの閉じ込め機構等については日本の研究者による多くの優れた仕事があるが,紙数の都合で個々の研究には触れないことにする.

一方,素粒子の高エネルギーでの実験が1970年代に盛んに行われ,ハドロンが質点状の構成粒子からなるとして実験結果を解析するFeynmanのパートンモデルが大きな成功を収めた.Feynmanがパートンはクォークであることを認め,併せてゲージ理論の有効性を認めたのは,ゲージ理論がパートンモデルで示されたように計算可能なアルゴリズムを持ち,かつ,高エネルギーの実験事実が良く説明できることが分かってきた70年代末であると言われている.

強い相互作用のQCDと平行して,1967年にはWeinberg, Salamにより独立に電磁相互作用と弱い相互作用の統一理論が出された.ゲージ理論の全盛時代の幕開けであったに違いないが,先に触れたようにこの統一理論が受け入れられると言うよりは,広く真剣に検討されるまでには5年以上の歳月が経過している.この理論はクォーク,レプトンのそれぞれを弱荷電スピンと呼ばれる性質により2組に分類し,それら2組の素粒子間の内部変換に対する局所変換不変性に基づく場の理論であり,ゲージ場としてW±, Z0の3種の重い質量を持つゲージ粒子と電磁場の光子を持つように構成されている.

QCD, Weinberg-Salam理論は共に質点状の素粒子であるクォーク,レプトンに局所ゲージ対称性を適用したものであり,初めて現実的なゲージ場の理論が構成されたことになる.これら二つの標準理論は70年代には各種の実験的な検証を受け,前述の東京での国際会議の頃までには広く受け入れられるようになっていた.70年代はクォーク,レプトンを用いた言語の時代と言っても良い.その後,当然の成り行きとして標準理論の構成の線に沿い二つの標準理論を統一する大統一理論の探求が行われた.クォーク,レプトンをまとめて異なる世代のファミリーに分け,各ファミリー内の素粒子を関連付ける対称性としてSU(5), SO(10)等の内部対称性が議論されてきた.これらはゲージ場の理論と自発的対称性の破れが柱となっている理論であり,80年代はゲージ場の理論が素粒子を記述する言語として定着した時代である.

QCD, 電弱理論が素粒子の標準理論として定着し,更にこれらを統一する大統一理論等が真剣に定量的にも取り上げられている現在でも,素粒子物理学は幾つかの当面の問題,あるいは長く抱えている問題を持っている.K0中間子の崩壊に見られるCP不変性の破れの原因,宇宙の粒子数と反粒子数の非対称性の原因,ニュートリノの質量の値,クォーク等の質量の原因であるHiggs粒子の存在の有無,クォーク・レプトンのファミリー数等の問題があり,これらの諸問題は現在の大統一理論の枠組にも制限を与えるし,また,更により深い新しい考察を必要とする問題とも思われる. このような問題に対して重要な役割を果した日本の研究の幾つかに触れることにしよう.

1973年に小林,益川は,現在の標準理論の枠内でK0中間子の崩壊で発見されたCP不変性の破れを説明するためには,クォーク,レプトンのファミリーは3世代以上が必要であることを初めて指摘した.16)この研究は3世代目のクォーク,レプトンが発見される大分以前になされた先駆的な研究であり,また今日でもCPの破れを定量的に説明できる唯一の現象論としての立場を維持している.78年の吉村による研究は,17)大統一理論で予期されるCPの破れ,バリオン数の非保存,宇宙膨張初期における熱平衡からの僅かなずれを用いて,宇宙のバリオン数と非バリオン数の非対称性の発生の機構を示したものであり,初めて我々の宇宙が核子優勢の宇宙であること,宇宙のバリオン数と光子数の割合が極めて小さいこと等を理解することを可能にした.また,ニュートリノの質量の上限はクォークの質量に比べても非常に小さいが,ニュートリノ質量の小さいことを説明する為に柳田等により導入されたシーソー機構は今でもニュートリノ質量を理解する最も有力な考え方として残っている.18)これらの仕事はそれぞれの難問の解決に初めて糸口を与えた研究であり,今日でもその正当性を主張できる内容を持っている.

対称性の行きつくところは,スピン整数のBose場と半整数のFermi場との間の対称性である超対称性である.60年代の終りには宮沢により既にスピン整数と半整数のハドロン間の超対称性が論じられたが,19)時期尚早であったことと審美的に訴えることが少なくて,余り本気で取り上げられなかったように思われる.60年代には色々な対称性が提唱され論じられたが,素粒子の内部対称性を表すLie群と時空の対称性を表すPoincaré群とを単なる直積ではない形で統合する対称群の可能性が議論された.宮沢の仕事はその可能性を示す一つの研究であったが,1971年にはLie群の概念を拡張すれば直積以外の方法で内部対称性を含ませることができることが,より厳密にGelfand等により示された.この拡張には超対称性の演算子が含まれる.74年にはWess, Zuminoにより4次元の超対称性を持つ場の理論のモデルが定式化され,超対称性を持つ素粒子を記述する言語体系の原型が用意されたことになる.

超対称性理論の良い点はBose場とFermi場との共存により場の理論の発散が消去され繰り込み可能になること,すべての素粒子を超対称性まで含めた対称性の観点から統一的に理解できる道筋を与えたことである.一方で,釈然としない点は既存の素粒子の中には超対称性を通して対をなす素粒子の候補者は見当たらず,超対称性を仮定すると素粒子の数は倍増し,新たに加えられる素粒子は超対称性の自発的な破れにより質量が大きくなり,現在までの実験では見付からないという言い訳をすべての超対称性によるパートナーに用意しなければならないことである.

しかし,素粒子の統一理論を作る為には超対称性を取り込むことは有用であることが次第に示されてきている.大統一理論では強い相互作用,電磁相互作用,弱い相互作用はある高エネルギー領域で統合され,一つの共通の結合定数を持つことが要請されるが,例えばSU(5)の大統一理論ではうまく行かないが,SU(5)の超対称性大統一理論では1017GeVの辺のエネルギーで三つの相互作用定数が一致することが示されており,この外にも色々と超対称性の存在を示唆する傍証がある.それ以上に,超対称性を持つ統一理論は繰り込み可能な場の理論であり,80年代後半から現在まで素粒子を記述する現実的な言語の一つとして機能している.

超対称性理論研究の詳細には詳しくないので,身近に接した幾つかの優れた日本の研究をあげよう.1982年頃の坂井による超対称性を緩やかに破る項を持つSU(5)超対称性モデルの提唱,井上等による素粒子の標準モデルの超対称性版の提案と輻射補正による対称性の破れを取り入れた計算,柳田等によるSU(5)超対称性モデルによる陽子の寿命やHiggs粒子の質量計算,これらは日本の素粒子研究が純論理的な面だけでなく,実験との定量的な対比を含めて世界各地の実験計画にも影響を与えるまでに成長していることを示す研究の例である.20)

超対称性については年配の研究者には一種の嫌悪感がある.直接的証拠の存在しない概念は昔であったら顧みられないのが物理社会の規範であったと思われるが,素粒子の究極理論追及を暗黙のコンセンサスとする素粒子社会の与論では,超対称性の概念はすでに80年代に入ってから社会的認知を受けているように思われる.超という字には素晴らしいという意味と,うさん臭いという意味が同居しているが,古典物理学は実数,量子力学は複素数,そして超対称性理論では反可換なGrassmann数を必要とすることから,我々の脳の機能と構造は複素数はともかくとしてGrassmann数までも許容するのか等と思い悩むこともある.

素粒子理論の夢の一つは大統一理論を越えて重力まで含めた統一理論の探求であり,80年代はこのような統一理論の研究が盛んに行われたが,素粒子を質点と考える代わりにすべての素粒子を一つの弦の振動状態に対応させる弦理論が最有力の候補者として登場した.60年代終りにハドロンの多数の共鳴状態の存在とそれらの関連を良く説明できる双対共鳴モデルと呼ばれるモデルが提出され,その後このモデルは一つの弦の振動状態をこれらのハドロンの共鳴状態に対応させることにより理解できることが明らかになった.弦理論の最初の相対論的形式化は1970年頃に後藤,南部により独立に提出され,弦理論の原型としてその後の弦理論の展開に大きな影響を与えている.21)74年には弦の場の理論の本格的な形式化が初めて吉川等によりなされ,また,同じ年に米谷により弦理論はある条件下で重力相互作用を含み得ることが示されている.22)また,崎田が色々な局面で弦理論の発展に重要な寄与をしたことも付け加えたい.

1980年代後半から本格的に登場した超対称性を取り入れた超弦理論は,素粒子の究極理論に近い一つの候補者として多くの若い人々を引き付けている.弦の長さは極めて短く通常のスケールでは質点と見なせるものであり,また,弦の振動の基底状態と励起状態のエネルギー差はPlanckエネルギーの程度であり,通常のエネルギー範囲では基底状態のみを考えれば良い.標準モデルに現れるクォーク,レプトン等の素粒子は弦の基底状態の一つに対応し,また基底状態には光子や重力を媒介する重力子が含まれることも示されている.時空の次元は10次元のように拡大しないと論理的な整合性が得られないが,4次元以外はコンパクト化される次元であり,特に不都合は生じないと思われている.

これらの研究を眺めると,90年代は多様化の時代,あるいは分離脳の時代と名付けたい.超弦理論は左脳で考えると論理的に可能な素粒子の統一描像を与え,また,現在の標準理論を内蔵するように見えるが,低エネルギーでの実効理論である標準理論を導くアルゴリズムを作るのは今のところ困難であり,また,Planckエネルギーでの実験を行い弦の振動の様子を調べるのは永久に不可能である.実験物理学との決別の当否は左脳ではイエスと肯定し,右脳では経験的に否定する.必要により脳を分離して機能させること,あるいは人間の脳機能についてのより深い理解,あるいは学習により脳機能を高めることが究極理論探求の条件なのかも知れない.超弦理論は数学的にあまりに複雑であり,私のようにその詳細についていけないものには両脳とも弦の妙えなる調べを長期記憶として脳に埋め込むのは難しい.

40数年前初めてアメリカに行ったとき,一つの実験事実からは一つのことのみ検証するのが西欧科学の伝統であるとアメリカ人のS教授から言われ,すべてのことを一度に理解しようとするのは東洋的だと言われた覚えがある.4年ほどアメリカに滞在したが,当時Chicago大学に居たGell-Mannが我々アメリカ中西部で研究していた日本人の仕事振りを身近に見て,東洋思想の汚染あるいはそれに近い言葉を言っていたような覚えがある.しかし,70年代からの素粒子理論の展開はある意味で東洋的な様相を示しているように思われるし,また,これからの素粒子論の発展には右脳と左脳の微妙な使い分け,調整まで要請されるようにも思われる.

紙数も尽きたので最後に文化-文明論といわゆる頭脳流失について一言付け加えよう.司馬遼太郎の『アメリカ素描』という本に色々と面白い観察が書かれている.文明は誰でも参加できる普遍的・合理的なもの,文化はむしろ不合理なもので特定の集団にのみ通用する特種なもの,アメリカは文明だけで出来あがっている特種な国であるが,アメリカという人工国家がなければ世の中は息苦しい等々のことが書かれている.50年代から60年代にかけて6年間ほど2度に分けてアメリカに滞在したが,何人かのアメリカ人から日本の素粒子研究の論文にはあらゆるアイディアが書かれていてアイディアの泉であると言われたことを思い出す.日本やヨーロッパで育ったアイディアはその国の文化を反映して多彩でユニークのものが多いが,それらのアイディアが合理的・普遍的なものに成長するにはアメリカの存在が必要であった,というのが70年代前半までの素粒子物理学の状況であったような感じがする.

素粒子物理学の研究者で海外で長く活躍して優れた業績をあげている人々は多い.しかし,ヨーロッパや他の地域の国々と比べると言葉の障壁等も一因であろうが,いわゆる頭脳流失の程度は微々たるように思われる.50年代のアメリカの様子を見ると,自国の文化の重苦しさを敏感に意識して自由な研究雰囲気を求めて色々な国から優秀な研究者が来ていたように思われる.日本の頭脳流出の場合でも似たような事情があったことは否めない.しかし,結果としてそれほど目立った頭脳流失は起こらず,日本に研究場所を設定する研究者と海外,特にアメリカに居を構える研究者とが適当な数の比率で推移してきた.このことが日本の研究の文化的特徴と文明的普遍性との良いバランスを支えてきたようにも思われる.


参考文献

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