|
原子分子物理--国内研究50年の移り変わり--高柳和夫〈芝浦工業大学システム工学部 330埼玉県大宮市深作溜井原370〉過去半世紀にわたる国内での原子分子物理研究の流れを,衝突現象研究にたずさわってきた筆者の視点から概観する.いま再び活気を帯びてきた研究分野の一端を紹介し,今後の課題に触れる. 1. 原子分子研究前史と50年間の概要Schrdinger方程式が水素原子に適用されてちょうど20年たったところから今回の50年回顧の対象期間が始まる.この20年間,原子および簡単な分子について多くの理論研究があった.そもそも作られたばかりの量子力学の信頼度を確かめるには,原子分子を対象として適用し,結果を実験と比べるのが最もよい方法であった.こうして水素原子のスペクトルが説明され,多電子原子についてはD. R. Hartree, つづいてV. FockによるいわゆるSCF (Self-Consistent Field)法が考案され,化学結合ではW. Heitler, F. London, 杉浦義勝によりまず水素分子の化学結合が説明された.これが発展してVB (Valence Bond)法となり,さらにR. S. MullikenやF. Hundにはじまる分子軌道法が現われて電子状態を理解する手掛かりが与えられ,理論研究が進んでいった. 実験面では分光学が原子分子の量子力学というよりどころを得て進歩が早められたほか,衝突現象についてもある程度の展開が見られた.中でも1920年代から1930年代初めにかけて行われた低エネルギー電子と原子分子との衝突全断面積の測定(C. RamsauerやE. Brcheなど)や,同じく電子衝突による電離の断面積測定(J. T. Tate and P. T. Smithなど) はかなり精度の高いデータを与えている.これらに対応する理論としてはM. BornによるいわゆるBorn近似,それを大きく発展させたH. A. Betheの研究,歪み波近似やいわゆるPSS (Perturbed Stationary State)法を導入したH. S. W. Masseyたちの仕事などがある. この期間,日本での研究を眺めてみると,物理・化学両分野において分光研究が盛んであったほか,京都大学では佐々木申二を中心とする粒子ビーム実験が早くから行われ,東京大学では山内恭彦・小谷正雄らにより原子および分子の電子状態研究が進められた.話はさかのぼるが,Rutherfordの原子模型に先立って土星型原子模型を提出した長岡半太郎,Klein-Nishinaの公式で知られる仁科芳雄,前述の杉浦義勝などが,1917年に創設された理化学研究所の初期において分光研究や原子物理を推進した. 第二次世界大戦が終わると,まず理論研究から活動が再開された.文部省の科学研究費補助金に支えられた原子分子構造研究班(代表者:小谷正雄)が1950年に誕生し,この分野の研究者の多くがこれに参加していた.ついでながら,分子は物理と化学の境界を越えた研究対象であるが,科研費制度上の理由もあり,研究班もどちらかの専門を主として構成されることが多い.上記の研究班は物理系のもので1962年度まで続いたが,この間1952年からは毎年英文のProgress-Reportを作り,諸外国の同じ研究分野のグループに送り,情報交換に努めた.1953年に開かれた国際理論物理学会議で,原子分子理論の分野ではJ. C. Slater, R. S. Mulliken, C. A. Coulson, P. O. Lwdin, また衝突関係ではH. S. W. Masseyなどが来日し,本会議のほか日光で分子物理学のサテライト・ミーティングも行われ,まだ海外へ出かけることが難しかった国内の研究者に大きな刺激を与えた.初期の国際会議としては,このほか1962年に開催された分子構造・分光学国際会議(本会議は東京,サテライト・ミーティングは箱根)がある. 1960年ころから欧米では電子計算機が実用化され,それを用いての原子分子研究が盛んになってきた.しかし日本では電子計算機の普及は大分遅れていて,そのため海外と同じような規模で,いわゆる非経験的な原子分子の計算を行うことは困難であった.中には外国へ出かけてそこで電子計算機を使って仕事をしてくる人達もあった.一方,このころ個々の研究者が固体物理・生物物理・宇宙科学など関連他分野へ移っていく傾向も見られた.10年余り活発に研究成果を挙げてきた研究班は解散した.年会,分科会での原子分子分科は大変さびれた.しかし,やがて日本でも電子計算機が大型計算機センターなどで使えるようになり,研究も再び活発になった.これを反映して第2期の英文レポートが1968年に創刊され,石黒英一が中心となって1984年までに14回Progress Reportを出している. 電子計算機の進歩・普及が理論計算一般について規模・精度を格段に進歩させたことはいうまでもないが,また実験面でも装置の制御やデータの蓄積・解析などで強力な援軍となった.電子計算機の発達と並んで重要なのは,メーザー,レーザーの発明と技術的発展で,原子分子物理ではそれまで考えられなかった多くの実験を可能にした.この分野で現在先端的な実験の多くはレーザー技術なしには成り立たないものである. 衝突現象の実験では,電子やイオンなどの粒子ビームを使う技術が進み,エネルギーをよく選別することが可能となった.その一つの成果として,1960年頃には低エネルギー電子衝突で多くの共鳴現象が発見された.実験でも理論でも共鳴以外の話題は時代遅れと言わんばかりに人々がこの現象にとりつかれた一時期があった.衝突・散乱後の粒子のエネルギーを調べることにより,非弾性衝突を特定できるようになって粒子線スペクトロスコピーという学問の分野が生まれた.微弱なシグナルを検出・蓄積できるようになった結果,ビーム同士を交差させ,小さな交差部分での衝突で発生する数少ない粒子・光子のエネルギーや角分布を測定できるようになり,二つの粒子の同時計測も可能となった.一方,原子核実験に使われている加速器を用い,MeV以上の高いエネルギー領域で内殻電離や励起,イオンビームでは更に電子移行(電荷移行ともいう)の断面積が測られるようになった.こうして原子衝突では温度10Kくらいの冷たい星間分子雲中の衝突からMeV以上のエネルギーの現象まで,10桁以上も変わるエネルギー範囲を研究対象とするようになった. 加速器がでてきたついでにもう一つ付け加えると,軌道放射光の利用も原子分子研究に新しい手段を提供している.連続スペクトルの短波長光源として分光目的にも使われるし,選別されたエネルギーの光子を用いての各種現象の断面積測定も行われている. 第2次世界大戦後,放射線科学,つづいて宇宙科学,さらには核融合研究などからの要請により広いエネルギー範囲で多種多様な原子分子過程の知識が必要とされ,原子の構造・衝突研究を促した.国内における原子衝突研究は1960年代後半から次第に盛んになり,2年毎に開かれている国際会議(International Conferenceon the Physics of Electronic and Atomic Collisions, ICPEAC)へも1970年代からは毎回多数の研究者が参加し,論文を発表するようになり,招待講演で登壇する人も増えてきた.1979年には第11回会議が京都で開催され,また1999年には再度日本で開催されることが決まっている.1968年度を初めとしてこの分野でしばしば文部省科学研究費による総合研究,特定研究,重点領域研究などが実施され,この分野における国内研究を大きく前進させるのに貢献した.大学共同利用研究機関や理化学研究所などがこの分野の研究に寄与したところも大きい.昔は原子衝突実験といえばいくらも予算をかけずにやれる研究といわれた時代もあったが,現在では世界の第一線の仕事をしようとすると,ある程度まとまった予算が必要になってきていることも注目される. 近年の特徴としては高励起状態にある原子やそのイオン,また多価イオンの関与する現象が重点的に取り上げられている.これらに加えて物理学の基礎法則を検証する材料として簡単な原子が選ばれていることはいまも変わっていない.これらは隔年に開かれる原子物理学国際会議(International Conference on Atomic Physics, ICAP)で主要なテーマの一つとなっている.ポジトロニウムや,電子の代わりにm-粒子が核のまわりをまわるなどの変わり種原子(exotic atom)もこの会議でしばしば取り上げられる.わが国では原子核・素粒子の研究者と原子物理の研究者は比較的疎遠であるが,この会議はそのような分野の交流の場となっている.1986年に東京で開かれた第10回会議では,両分野にまたがるテーマを半世紀の間追求しつづけてきた鳴海元が組織委員長を務めた. 以下,もう少し具体的に50年間の展望を書くことにするが,広範な原子分子の全分野の研究を要約することは筆者一人でなしうるところではない.紙面の制約もあるので,比較的よく知っている研究のいくつかを列挙することでおよその流れをつかみとって頂くことにしたい. 2. 原子分子構造研究東京大学の山内・小谷らによって1930年代から原子分子の電子状態の研究が進められていたことは先に述べたが,置換群などの群論的方法にもとづき一般論が展開され具体例に適用されたほか,分子計算で必要となる各種の積分の数表作成が計画され,実行に移されていた.電子計算機はおろか電動計算器もなく,手回し計算器だけが頼りであった時代であるから,その労力は大変なものであった.しかし,そのような時代であったからこそ,個々の分子の計算のたびに厄介な積分の数値計算をしなくてよいように内挿に耐えられる数表を作成しておこうという計画が実現したのである.数回に分けて雑誌に発表された数表はuseful tablesと呼ばれて広く利用されたが,のちに単行本にまとめられた.1)1960年代になると原子分子の研究にも徐々に電子計算機が使われるようになったが,小谷らの数表は計算機による分子積分プログラムのチェックのために最善の拠り所となった.2) 物理学会の第1回年会は1946年春開かれたが,そこでの原子分子分野のプログラムを見ると,まずHg, In+の超微細構造,原子スペクトルのisotope shiftや群論的方法による強度計算,錯イオンの磁気モーメント,つづいて実験では放電による水分子の分解,酸素分子の真空紫外スペクトル,ほかにX線スペクトル関係の報告が数件並んでいる.これが5年後の1951年秋の年会になると,Li2, (C2H2)2, CH3など分子の計算が目につくようになる.このほかベン ゼンの1重項・3重項遷移,加圧吸収の理論,気体水素の第2ビリアル係数の計算,衝突における電荷移行の理論などプログラムの内容は多彩になっている 先に述べたように1950年度から原子分子構造研究班が発足した.班は五つのグループに分かれていた.班員の一部を以下に示す.少数ながら実験家も参加していることが分かる.
さて原子分子の構造の理論となると,まず定常状態のエネルギー固有値,波動関数を求めることが必要である.それらが得られたら,少なくも原理的には光吸収・放出の確率や振動子強度が計算され,静的・動的分極率その他の性質が求められる.1電子系については非相対論的波動方程式が変数分離できて正確なエネルギーや波動関数が得られる場合もあるが,多電子系ではもうそのようなことはできない.原理的には十分柔軟性に富んだ試験関数を用い,変分法を適用することによって少なくも基底状態及び若干の低い励起状態のエネルギーや波動関数をかなり正確に求めることができる.しかし,電子の数が増すのに従い,同じ精度を保ってこの種の変分計算をすることは急速に困難になる.個々の電子を一定の軌道関数に当てはめるHartree-FockのSCF法が広く用いられる所以である.しかし,本来のSCF法にとどまる限り,電子相関が無視されているので十分正確なエネルギー値を期待することはできない.そこで,さまざまな電子配置の混合を考慮する,いわゆるCI (Configuration Interaction) 法が次の改善策として考え出された.こうして非相対論的波動方程式の解が十分な精度で得られたら,それに相対論的補正を加え(または,初めから相対論的波動方程式を扱うDirac-Fock法を用い),さらに核の運動や量子電磁力学による補正も加えて,はじめて実測値との詳細な比較に耐えられる理論値が得られる.とりわけ,近年話題の中心の一つになっている多価イオンでは上記諸補正が大きくなるので,その正確な見積りが必要である. 分子においては,それを構成する各原子の核を中心とする原子軌道関数(AO)を基底に選んで分子の電子状態を表す関数を組み立てる原子価結合法(VB法),分子全体にひろがり分子の対称性を反映した分子軌道関数(MO)を出発点とする分子軌道法(MO法)がある.MO法でもMOとしてAOの一次結合を使う(LCAO MO)のが普通である.素材となるAOとしてはSlater型関数を用いたり,積分計算に便利なようにGauss型関数を使ったりする.基底関数の選び方,考慮に入れる電子配置の選び方などについて多くの研究が国内国外で行われてきたが,ここではその詳細は省く. 話を1960年ころまでの電子状態研究に戻して,小谷グループにおける研究成果を二つ紹介しよう.一つは前述の分子積分表を活用して行ったO2, Li2の電子状態の研究である.酸素分子については16通り,リチウム分子については22通りの異なった近似の波動関数を用い,結合エネルギー・励起エネルギーはもとより,4極子モーメント,振動子強度,核の位置での電場勾配なども計算し,電子密度解析を行っている.酸素ではさらに反磁性磁化率や電気分極率も求めている.電子計算機以前であるにもかかわらず,大変徹底した画期的な研究であった.3)もう一つは時期的には少しさかのぼるが,錯イオンの研究である.結晶場(配位子場)の中に置かれた自由な錯イオンに注目する.小谷はスピン・軌道相互作用を考慮してイオンの磁気モーメントが3d電子の数によってどう変わるかを論じ実測値を説明し,4)田辺行人・菅野暁はdn (n=2−9)配置から生ずるエネルギー準位が結晶場の強さに応じて変わる様子を,田辺・菅野ダイヤグラムと呼ばれる簡単なグラフで表すことに成功した.5)ほかの研究については省略するが,これらの研究はやがてヘモグロビンの磁性から始まって,小谷とその協力者たちによる一連の生物物理分野での研究へと発展していった. 1961年には専門にまたがる総合研究「分子科学--分子の化学物理的研究」(代表者:小谷)が発足した.ここでは分担者を二つのグループに分けている.第1は「分子の諸性質と電子構造」,第2は「分子間の電子移動と分子性結晶の性質」である.第1グループには前述の物理系の班からの7人のほかに東健一,福井謙一,小寺明,森野米三,久保昌二,伊藤順吉,田中郁三の名が並んでいる.フロンティア電子理論6)によって福井がノーベル化学賞を受賞したことはまだ記憶に新しい(1981年).第2グループには赤松秀雄,長倉三郎,井口洋夫など,のちに分子科学研究所の設立・運営の中心になった人々の名が見える.さて化学となると,簡単な分子にばかり限っていられないから,経験的に値を決めるパラメターを含む半経験的理論(Pariser, Parr, PopleのいわゆるPPP法など)が多く用いられるのは,これもまた自然のなりゆきである.ただし,のちに電子計算機が日本でも広く使えるようになって,かなり大きい分子の電子状態まで詳細な計算が可能になってきた.また分子の定数,たとえば回転定数などは分光実験によって決めるのが普通であるが,最近は理論計算の精度が向上したことにより,かなりの正確さで数値を与えることができるようになった.星間分子の未同定電波スペクトルから分子を特定するときにそのような計算が室内実験とともにしばしば役立っている.7) ところで物理学会の年会・分科会のプログラムを見るかぎり,分子の電子構造についての成果発表が極めて少ないのが近年の状況である.分子計算は非経験的,半経験的とも大学の化学系教室や分子科学研究所など主に化学系の人達の手で進められている. なお,原子についてはこの半世紀の間Thomas-Fermiモデルの展開が梅田魁,富島康雄らによって精力的につづけられてきた.原子の波動関数,エネルギーの精度向上については,北海道大学理学部(大野公男,佐々木不可止など)や奈良女子大学(香川貴司)で研究が進められてきた.香川は相対論を取り入れた計算に力をいれている. 衝突などの原子分子過程に話を移す前に,原子分子構造と縁の深い分光研究について少し述べておく.可視域から紫外・真空紫外にかけての分光は電子状態の研究に極めて重要である.この領域の研究を推進したチームの一つに,1921年に理化学研究所にできた高嶺俊夫研究室がある.8)室員には福田光治,藤岡由夫,富山小太郎,村川,田中善雄,森一夫などがいた.1930年代に3種の真空紫外分光器を製作し,原子,つづいて2原子分子の本格的研究に移ったが戦争のため中断した.戦後1952年に高嶺研究室は解散,引き継いだ藤岡研究室は1956年まで続いた.一方,藤岡は終戦直後,東京文理科大学に光学研究所を設立,田中善雄とともに後進の育成に努め,真空紫外分光を推進した.1952年にこのグループの瀬谷正男・波岡武が考案したモノクロメーターは真空紫外から可視域までの分光で広く用いられている.やがて田中は米国へ移り,そこで多くの研究成果を挙げた.光学研究所は東京教育大学が筑波大学へ転身した際に解消してしまい,その後この分野では少数の個人の活動が続く状況となった.しかし,真空紫外分光は宇宙科学の進展とともに上層大気や太陽の研究にも必要となった.後年,放射光が利用できるようになって真空紫外からX線領域にかけて再び研究が活発化して現在に至っている.放射光利用については次章で述べる. 電子状態と並んで分子の内部自由度として重要なのは振動・回転運動である.これらに関する分子定数の研究法には,古くからあるラマン・赤外分光法や,戦後に始まったマイクロ波・電波分光法がある.後者ではメーザーやのちのレーザーに関連して霜田光一のグループなどの仕事があるが,ここでは東京大学理学部化学教室の物理化学講座を例にとろう.水島三一郎・森野米三はラマン・赤外分光などによる分子振動の解析にもとづいて内部回転異性体の存在を明らかにし,島内武彦は多原子分子の分子内力場・基準振動の系統的研究を行った.戦後,森野,広田栄治らにより,マイクロ波分光を利用した分子内ポテンシアルの高次項決定へと発展した.このグループから出た斎藤修二(分子科学研究所)は広田とともにラジカルの分子定数決定に成果を挙げ,とくに電波天文グループと協力して多くの星間分子の同定に貢献している.9) 3. 原子分子過程研究京都大学の佐々木申二は,化学反応の素過程を研究する目的で,粒子ビームの手法を用いた原子同士の衝突や,電子衝突実験を1930年という早い時期から始めている.とくに電子による水素分子の解離を伴う電離では,生ずる陽子のエネルギー分布のほか異方性も測り,分子の向きと電子の流れのなす角度により反応確率が変わることを確認した.海外での同様の研究に先立つこと20年であった.このグループはのちに小寺熊三郎に引き継がれ,多くの粒子線実験家を育てた. 東京大学では原子分子の電子状態の研究を行っていた山内恭彦・小谷正雄らが,歪み波近似で電子衝突による酸素原子の励起断面積計算を実行している.さらに山内は酸素の原子やそのイオンの光電離とその逆の放射再結合の計算も行った.これらは上層大気中の重要過程と考えられたためである.戦前・戦中のことである.1950年代半ばになると,山内グループの大村充は,原子核における散乱理論にならって低速電子の水素原子などによる散乱を論じた.彼がTa-You Wu(呉大猷)とともに書いた The Quantum Theory of Scattering は,それまで成書としてはMottとMasseyの本しかなかった原子衝突の分野で大いに歓迎された.10)残念なことに大村は1969年若くして他界した. 小谷グループの高柳和夫は1950年超音波の異常吸収・分散に関連して分子の非弾性衝突の研究を開始した.波数修正法(MWN (Modified Wave Number)法)と呼ぶ近似法で3次元空間の衝突問題を1次元問題に還元することを考案し,はじめて水素分子の回転遷移に対して定量的見積りを与えた.MWN法は米国にいたK. F. Herzfeldらが直ちに振動緩和に利用して,いわゆるSSH理論を発表し,長らくこの分野で唯一の現実的計算法として広く用いられた.高柳は1963年に分子の非弾性衝突の理論について初めて詳細なreviewを書き,11)海外でも多くの研究者に読まれた.電子衝突の理論研究では富山大学の永原茂が水素分子による電子の弾性散乱を2中心座標を用いて計算している.12) 1960年代初めまで,衝突分野で実験をやる人はほとんどいなかった.ただ大阪大学の堀江忠男研究室では水やアルコール類などOHを含む化合物が電子衝撃で解離する際に生ずるOHの回転分布を発光スペクトルによって調べ始めており,13)後年ビーム交差法実験もやっている.またイオン衝突や光解離も実験している. 諸外国では1950年代から原子衝突の研究が盛んになり,1958年にはNewYorkではじめての国際会議(ICPEAC)が開かれた.日本からは山内が招かれ出席した.1961年には第2回会議がBoulder, Coloradoで開かれ,これから隔年に開催されている. 1961年は日本の原子衝突グループが生まれた年といえる.それまでは個別の研究はあったが,研究室間の交流の適当な場はなかった.この年の1月,東京大学工学部の雨宮綾夫教授室を使って10人ほどの研究会が開かれた.同様の会がこの年10回開かれている.とくに8月には虎の門共済会館で3日間の衝突論研究会が開かれ,電荷移行,電子・原子非弾性衝突,原子間のエネルギー移行が論じられた.出席者は伊藤礼吉,井口道生,勝浦寛治,金子洋三郎,高柳和夫,水野幸夫,渡部力ほかであった.雨宮研究室での研究会は翌年からは頻度を減らし,そのかわり参加者を次第に増やしつつ東京近辺の機関のまわりもちで会場を移して開催された.放射線物理,質量分析,放電,化学,宇宙科学,天文などさまざまな分野からの参加を得て仲間が増えていった.放射線物理で活躍していた織田暢夫や鈴木洋はやがて原子衝突実験を本格的に行うようになり,都立大学では質量分析関連の研究をしていた鹿又一郎研究室で金子洋三郎が電子衝突による原子の電離の実験を始めていた. 1961年11月,高柳は多くの研究室へ手紙を送り,原子衝突および関連分野の研究者名簿を作成した.65名の名前が並んだ.10年後に行った同様のアンケート調査では47グループ,179名になった.1970年代にはこの分野の研究者はさらにその数を増した.1968年度,この分野では初めての総合研究(A)「宇宙空間における原子衝突過程の実験室的研究」(代表者:高柳)が採択され,3年間続いた.この機会に「原子衝突サーキュラー」が作られ関係者に配布された.これは2カ月ごとに発行され情報交換に貢献したが,日本でのICPEAC開催の主催団体として1976年に原子衝突研究協会が設立されてからは協会の機関誌として引き継がれ,現在に至っている.前記の総合研究班では3年間の終わりの1971年に,英文でProgress Reportを作り海外へも送って好評を得た.同様の英文報告は1974,1977年にも作られた.1978年のNo. 4からは研究協会の出版物の一つとなり,毎年発行されている. その後採択された総合研究の一つで,1975年度に実施された総合研究(B)「原子分子過程研究の将来像の検討」を土台として,1979年度から特定研究「原子過程科学の基礎」(代表者:高柳)が始まった.このとき新たに作られた装置,改良された装置がその後5年10年にわたって活躍し,多くの論文となって国際会議や学術誌を賑わした.その後15年のこの分野の研究活動は,もはや主なものを列挙するだけでも困難なほど多彩となっている.ここでは二,三の大きな研究機関を中心とした研究の一端を紹介し,そのあと研究室または個人単位の研究のいくつかを例示することで満足したい. まず名古屋大学プラズマ研究所(現在の核融合科学研究所)であるが,1960年代の終わり頃,核融合研究にはプラズマ物理だけではなく原子過程の知識が重要であることが認識され,客員部門による原子過程研究が始まった.理論では広島大学から鳴海元が客員教授として赴任しプラズマ原子過程の研究を推進,実験では東京大学から赴任した佐々木泰三が菱沼直志と協力し,希ガス原子からそのイオンへの電子移行断面積を測定した.つづいて上智大学から鈴木洋が客員教授として迎えられ電子衝突実験を行った.また,東京都立大学からの金子洋三郎,大阪大学からの岩井鶴二,所内の大谷俊介が中心となり,所内外の多くの研究者の協力を得てNICE計画(Naked Ion Collision Experiment)をスタートさせた.EBIS(Electron Beam Ion Source)型のイオン源(イオントラップ中に高電流密度の電子ビームを流し,次々に電荷数の大きいイオンを作る装置)を用いて多価イオンを作り,水素やヘリウムの原子と衝突させて電子移行を研究した.世界に先駆けて,移行した電子がどの軌道に入ったかをイオンエネルギーの利得スペクトルを測定することによって特定した.14)多くの機関に属する10名余の研究者が協力して装置を作り,10年以上にわたってチームワークを保持し成果を挙げ続けたことは,日本の原子衝突研究では初めてのことであって特筆に値する.この成果は現在進行中の重点領域研究「多価イオン原子物理学」(代表者:大谷俊介)へとつながっている. 鳴海元のあと理論部門に席を置いた高柳は,同じ時期に客員教授であった鈴木と相談して,これも所内外の多くの研究者の協力を得て原子データ収集活動を始めた.断面積などのデータを広く集めて評価し,データ集を作ったりデータバンクに蓄積することは,通常研究者の間ではあまり好まれない仕事である.しかし研究者でなければ十分な信頼性評価はできない.1974年と翌年完成した2冊のデータ集15)は,これも世界に先駆けたものであったので,IAEA(国際原子力機関)やその参加各国で高く評価された.その後このデータ関連活動は研究所の研究企画情報センターの設立につながり,市川行和(現在宇宙科学研究所),俵博之,加藤隆子らを中心として,地道に,しかし休みなく続けられ,IAEAによる国際データセンター網の中心的役割を果している. 理化学研究所では1960年代に重イオン加速が可能な160 cmサイクロトロンが建設され,1972年から原子物理の実験が始まった.以後リニアック・AVFサイクロトロン・リングサイクロトロンが次々に作られ,世界でも数少ない高エネルギー領域(>MeV/u)での重イオン衝突実験が可能になった.粟屋容子と協力者たちは国内国外の研究者と協力しつつ内殻電離のスケーリング則や衝突径数依存性,ビームフォイル分光,電荷移行,多重電離の系統的研究などで成果を挙げている.独自に開発したエネルギー高分解能のX線測定装置が用いられている.内殻電離は近距離衝突で起こるので核間Coulomb力がきいて測定可能な散乱を伴う.そこでイオンの散乱角から衝突径数が決められる.同時に,発生するX線や反跳イオンも計測し,特定過程の衝突径数依存性が得られる.16)高速衝突での電荷移行では低速とは違って光放出を伴うことが多い.17)多重電離では放出されるX線スペクトルに見られるサテライト線などが入射粒子の原子番号と速度,標的の原子番号へ依存する状況が系統的に追求された.18)また内殻励起・電離に伴うAuger電子のエネルギー・スペクトルも測定されている. ここで軌道放射光の利用について少し述べよう.一般に放射光は短波長まで安定した光源を与え,波長を任意に選べるし,偏光特性を利用してより多くの情報を引き出すことが可能などの長所を持つ.東京大学原子核研究所で始まった我国の放射光利用原子物理では,ArやN2の内殻電離による吸収スペクトル測定,PCI (Post-Collision Interaction)効果,すなわち光電離の終状態での粒子間相互作用効果,その他多くの研究を行ってきた.その後,高エネルギー物理学研究所の放射光実験施設(PF)をはじめ,分子科学研究所その他にさまざまな規模の施設が作られ,原子分子研究に役立っている.軌道放射光を研究に利用する上で最初から中心的役割を演じてきた佐々木泰三や,分子の振動子強度分布の研究を推進してきた籏野嘉彦の仕事をはじめ,数多くの成果がある中から,ここではPFでの最近の成果を二つだけ紹介したい.いずれも世界で初めて実現したことである.その一つは,Li原子の2個または3個の電子を同時に励起させることで一連の中空3重励起状態を作りだすことに成功した.19)もう一つは放射光の偏光性を利用したもので,まずN2に応用された.s軌道にある内殻電子が励起され,行先の軌道がsかqかによってそれが起こる確率の分子軸の向きへの依存性が決まる.分子軸と光の電場ベクトルとのなす角をqとして,cos2qかsin2qに比例するのである.そこで解離して飛び出すイオンをq=0°, 90°方向で測定することによって対称性の異なる励起が分離された.20) これも最近のことであるが,原子核研究所ではクーラーリングTARNII(電子冷却装置を備えたビーム貯蔵リング)を用いた原子物理実験が行われている.田辺徹美らは電子とHeH+, HeD+, HD+との解離再結合(e-+HeH+→He+Hなど)の測定をし,衝突エネルギーが増すと断面積が単調に小さくなるという従来の知識に反して,10-40 eVの領域に2電子励起状態への共鳴再結合による断面積のピークがあることを見いだした.21)またエネルギー分解能が高いため,低エネルギー(<100 meV)断面積に構造があることが見いだされた.22)これらは高木秀一の多チャンネル量子欠損理論23)で説明される. このほか京都大学(宇治)や東北大学などでも加速器を用いた実験が長年にわたって行われているが,紙面の都合上割愛させていただき,大学学部の研究室の例として東京都立大学の場合を紹介しよう.金子洋三郎,小林信夫,奥野和彦らは30年以上にわたってイオン・分子衝突を広いエネルギー範囲で研究してきた.金子が英国留学中に考案した移動管(drift tube)を用いて低エネルギーイオン・分子間の化学反応,電子移行の断面積やイオン移動度の測定を行うことから始めた.24)ついでkeV領域にまでわたりイオンのエネルギー損失スペクトル(Energy Loss Spectrum, ELS)を高分解能で得る装置が作られ,分子振動や希ガスイオンの微細構造準位の励起,電子移行や準安定原子の関与する衝突などが測定された.25)さらに8極イオンビームガイド(Octupole Ion Beam Guide, OPIG)によって低エネルギー領域までの詳細なビーム実験が開始され,とくに最近ではミニEBISで作られる多価イオンを用いて多重電子移行の研究が進行中である.26)数々の興味ある成果の一つに,初期の移動管による希ガス原子とそのイオン間の1または2電子移行の断面積測定がある.27)断面積曲線が低エネルギーで折れ曲がり,Langevin理論(分極力による軌道 計算をして,衝突断面積が相対速度に反比例することを示した)にのるようになる様を示しているのは見事である.移動管は液体ヘリウム温度からさらに低くして,量子力学的効果を明確に捉える計画が進められている. 電子衝突でも多くの実験研究が行われてきたが,中でも西村浩之(新潟大学)は早くからN2, O2, CO2などの発光断面積を測定,28)上智大学(鈴木洋,脇谷一義,高柳俊暢)ではHe, O2などの各種励起断面積をELS法によって詳細に測定,最近は電気通信大学のグループと協力して希ガス原子励起の一般化振動子強度を系統的に求めている.29)また,Auger効果におけるPCI効果をいち早く見つけ,研究を続けている.30)織田暢夫 (東京工業大学) は電離衝突における2次電子のエネルギー及び角分布を精密測定した.31)蟻川達男(東京農工大学)は多くの特長をもつ完全収束型の衝突実験装置Perfectronを考案し,光吸収や電子衝突による分子解離などに応用している.32)上記の織田研究室とそれに協力した同じ東京工業大学の籏野研究室,これと独立に東京大学の朽津耕三研究室,九州大学の小川禎一郎研究室などで電子衝突による分子解離を,解離生成物の出す光を観測することによって研究した.籏野は電子衝突の他,のちに放射光を用いた分子解離の研究も行い,分子の超励起状態(電離エネルギー以上にある励起状態)の解離について系統的研究を進めている.33) 理論の各個研究についても多くの成果が挙げられているが,ここでも少数の例を紹介するにとどめる.最近の注目すべき成果の一つに中村宏樹(分子科学研究所)によるLandau-Zener (LZ)公式の改良・拡張がある.ポテンシャル曲線の(擬)交差のあるところ,電子の非断熱遷移は原子衝突や各種分子過程において常に重要な役割を演ずる.その確率を与えるLZ公式は60年以上の長きにわたって広く用いられてきたが,その適用性にはいろいろと制約があった.中村らはLZ公式よりはるかに広い範囲の問題に応用できる,しかも決して複雑でない一連の公式を導出することに成功した.34)画期的な仕事といえる. イオン・原子衝突でのX線放出や電子移行はU. Fano, W. Lichten, M. Baratなどによるいわゆる電子昇位モデルを土台として理解が進んできた.わが国でも,実験がさかんであることに呼応して,この分野の理論研究も盛んである.代表者の一人,渡部力は,龍福廣らと協力して電子移行の理論を進めてきたが,とくに多価イオンへの電子移行についての,いわゆるover-the-barrierモデルを提唱し,実験結果を解釈する上での拠り所を与えた.35) このほか,電気通信大学の松澤通生は長年にわたり高励起原子の関与する衝突過程の理論研究を続けている.36)高励起原子といっても主量子数nが100以上のものは,希薄な宇宙空間にはあっても,実験室で作ることは困難と思われていたが,最近n=1,100という超高励起原子が作られたという海外の報告がある.37)島村勲は原子核反応理論でWignerによって開発されたR行列法による電子衝突の計算の他,同一分子の振動遷移や回転遷移の断面積の間に成り立つ関係式を系統的に導出している.38)高柳和夫らはイオン・分子の低速衝突で分子回転に断熱基底を用いると物理的に解釈しやすい上に計算の収束性もよいことを見いだし,39)このやり方(PRS法と呼ぶ)によって,星間分子雲でのイオン・極性分子の間の反応速度が,従来用いられてきたLangevin公式による値の10倍以上にもなりうることを示した.40) 4. 今後の展望くわしく説明するスペースがないので,主なものを列挙する.今後の課題については文献41に詳しい記述がある. 〇物理学の基礎諸法則の検証 相対論的効果,量子電磁力学の検証など.とくに多価イオンでは従来考慮されなかった高次の補正が必要となると思われる. 〇原子核と核外電子の相互作用 核が単なる点電荷でないことによる効果.例えば超微細構造の更に高精度の測定.多価イオンでは核外電子の遷移によって核遷移が誘発される可能性もある. 〇原子の変わり種 不安定核をもつ原子,反粒子を含む原子などの研究.ポジトロニウムは古くから知られている変わり種の例である.またm粒子を触媒とする核融合の研究では,水素分子イオンの二つの核を水素の同位核D, Tなどに置き換え,電子を負電荷のm粒子に置き換えたものが中心的役割を演ずる.さらにHe原子に反陽子が入り,電子1個を押し退けてもう1個の電子とともに核のまわりを回るという変わった原子も作られている.その中に通常の反陽子原子よりも6桁も長いms程度の寿命のものが山崎敏光らにより見いだされ,レーザー誘起遷移も観測されているなど,42)今後への期待は大きい. 〇多電子原子 多重励起原子,とりわけ中空原子で電子集団の運動を系統的に整理する新しい理論の枠組みが求められている.一般に電子相関についての一層の研究が望まれる.なお,2電子励起状態での電子相関の研究には超球座標(hyperspherical coordinate)を用いる方法が有効で,精密計算にも威力を発揮している.43) 〇原子系の過渡的状態 解離途中の分子や反応中間体などについてレーザー技術を駆使しての研究が始まっている.今後ますます広範囲の系についての研究が望まれる. 〇原子・分子・クラスターから固体へ 原子や分子の2量体,3量体さらにはもっと大きいクラスターについて,主として実験的研究が進んでいる.最終的には電子状態や物性について,原子から固体まで一貫した理解が望まれる. 〇電子衝突 実験的には Heなど少数の標的については多くの断面積測定があるが,大多数の原子分子については基底状態から少数の状態への励起が限られたエネルギー範囲で測られているだけである.励起状態からの励起・電離,イオンを標的とする衝突のデータは極めて乏しい.理論的にはR行列法などにより比較的低いエネルギーではかなり正確な断面積計算が可能であるが,最も簡単な標的である水素原子でさえ,2s励起などで実験との一致が得られていない.理論・実験双方で質的・量的に更に努力する必要がある. 〇偏極原子分子過程 理論・実験とも今までの研究では原子や分子の向きについて平均した量を求めるのが普通であった.実験技術の進歩に伴い,今後平均しない諸量を問題にしなければならない. 〇外場中の原子分子やその衝突過程 強いレーザー光照射下の原子分子,それらの衝突過程, また中性子星表面など強い磁場があるときの原子分子や衝突現象について既にある程度の研究があるが,さらにそれを深める必要がある. 〇高密度プラズマ中の原子過程 複数の光子を吸収して励起や電離されることは今では広く研究されているが,複数の入射粒子と同時に相互作用をして原子や分子が励起される過程についての研究は極めて少ない.慣性核融合で出会う固体よりも高密度のプラズマでは多重衝突がごく普通に起こっているはずなので,その研究が必要である. 筆者が渡部力氏とともに準備中の国内原子衝突研究小史(英文,発表場所未定)の下書きが今回の執筆の出発点とし て役立った.また資料をお送り頂いたり,中間段階の原稿を見て有益なご意見をお寄せくださった粟屋容子,石黒英一,大野公男,大谷俊介,小林信夫,斎藤修二,島村勲,鈴木洋,柳下明の諸氏に厚く御礼申し上げます. 文 献
|