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周辺からみた物理

物理学者への期待

吉田夏彦

〈立正大学文学部哲学科 141東京都品川区大崎4-2-16 e-mail: JCC00545@niftyserve.or.jp〉

五感でとらえられる森羅万象は,まことに複雑なものであるが,これを少数の簡単な概念をもちいてのべられる,やはり少数な基本原理で記述乃至説明することは,昔から多くの人々によって試みられてきたことである.この努力の結果の多くは,五感でとらえられる現象のいわば背後に,現象とはかなり構造のちがう世界を想定し,この世界が人間の感覚に映じて現象となると説くものであった.このように,現象と「真相」との二重構造を設定する世界観を「形而上学」と呼ぶことにする.時には,真相がまた何重にもなる階層を持つとしているものもある.方々の文化圏で伝えられている神話や,古来の哲學者が提示してきた存在論には,この形而上学的な性格を持つものが多い.その一つ,一つについて,その根據をたずねてみると,現代人には理解のむずかしいものが少くない.すなわち,独断的に世界観を提示しているに過ぎないようにみえるものや,つじつまのあわない,あるいは飛躍した論法にもとづいてたてられているようにみえるものが多い.こういうところから,「形而上学」という言葉を,「時代遅れの,今となっては間違いであることが明かになった世界観」といった否定的な意味で使う人も多い.逆にまた,「堕落した現代人には理解がむずかしくなってはいるが,しかし,実は深遠な真理を説いているもの」という,有難い意味で使う人もいる.しかし,ここでは,価値判断からは離れ,とにかく,現象とは別の構造を設定し,この構造との関係で現象を説明しようとしている世界観であれば,すべて形而上学と呼ぶことにする.この意味では,自然科学,特に物理学の理論は形而上学の一種であるということができよう.

多くの神話の説く形而上学は,さきほど述べたように,現代人には必ずしも受入れやすいものではないが,この形而上学を信ずることと精神の安定とがつながると思った人人がかなりいたことは歴史的事実らしいし,現代でも,こういう神話を信ずることに価値を見出している人が,地球上の方々にいるようである.その反面,形而上学を「信ずる」,すなわち無根拠に受入れることにあきたらない人は,物理学に代表される自然科学を正しい形而上学と考えているようである.

たしかに,物理学は,天下りに世界観を押つけるものではなく,証明によってその正しさが示された主張の積重ねによって成立するものであることを標榜しているようである.神秘的な話を好まない人が物理学にひきつけられるのは,物理学のこの性格に注目してのことであろう.だが,逆説的なことだが,現代にあって神秘的な話を好む人々も,物理学にひきつけられることが結構多いようである.それは,相対性理論や量子論が登場して以来の現代物理学の提示する世界観が,多くの人の常識に逆らう面の多いものだからである.そこに,古来のさまざまな宗教の神話にもはるかにまさって摩訶不思議な形而上学を見出し,それ故に,物理学を尊重する人もいるようである.

これは,物理学者の本意にかなうことであろうか.物理学者が一般の人のために「数式を使わずに」現代物理学を解説した本の中には,常識を超越している面をことさら強調しているため,読者に物理学とはもっとも神秘的な学問なのだという印象を与えているものも多い.しかし,これは,数式をきらう読者にも責任のあることかも知れない.そう思って必要な数学を勉強した上で理科系の学生のために書かれた教科書を読んだ一般人もいた.だが,今度は,そういう教科書での数学の使い方が不思議で,新しく途方にくれるといった経験をしたものもかなりいたようである.

そういう人間のために数学者が書いた物理学の教科書というものもある.そこでは,数学は論理的に使われていることが多いから,そういう本を読んだものの中には,物理学はやはり神秘的なものではなかったのだと安心したものがいた.しかし,物理学者が,数学者の手になるそのような「合理化」を必ずしも好まないという話がきこえてくると安心ばかりもしていられない.そういう合理化によって殺されてしまうという物理学的精神を理解するためには,やはり神秘家としての修行をつまなくてはならないのかと感ずるものもいたようである.

というと,「これは一昔以上前の話だ.今では物理学と数学とは,はるかに密接な関係にある」という声がきこえて来そうである.そうかも知れない.しかし,現代物理学の先端を行く人達が惜しみなく道具として投入している現代数学の成果は,一般の人々には難解に見えるので,このためまた新しい神秘主義が起って来るようにも思われる.

というわけで,物理学は神秘主義とは無縁のものか,或は,神秘主義を必要とするならどの面においてであるかを,たとえ話に逃げずに,しかもわかりやすく,一般人に教えて下さる物理学者の出現を期待するのである.必ずしも,数学書のスタイルで記述して頂きたいわけではないが,たとえば古典論から現代物理学に移る時の諸概念の内容の変化が,どこまで定義の論理的な展開として書けるのかを明確に述べて頂けると有難いのである.一般の人の中には,漠然とした直観でこの概念の内容の変化をとらえるために神秘主義者になる人もいるようだから.

櫛状のテルル結晶
CdTe粉末を約900℃に加熱すると熱分解し,約400℃の温度域に銀白状の金属光沢をもったTe結晶が成長した.

図(a)はc軸方面に成長している1本の太い結晶から約45°傾斜した方向に伸びている幹結晶があり,それからc軸に平行な細い枝結晶が上下方向に伸びているSEM写真である.A領域の2本の枝結晶が図(b)に示されている.これらの結晶の中心部にはc軸に平行な空洞が伸びている.また,上部に存在するすべての枝結晶の先端は左上部が尖っている.ところが下部Bの枝結晶の先端は反対に右下部が尖っている.これはTe蒸気の供給のされ方の違いによるものと思われる.

一方,水平方向に伸びた幹結晶から枝結晶が成長している場合には図(c)に見られるように,上下に存在している枝結晶はC,Dで示すように尖った向きは一定していないことがわかる.