戻る
周辺からみた物理

21世紀の物理学者への期待

武田康嗣

〈日立製作所 100 東京都千代田区丸の内1-5-1新丸ビル e-mail: takeda@cm.head.hitachi.co.jp〉

本稿執筆の最中に,日本人宇宙ミッションスペシャリストの若田光一さんらを乗せたスペースシャトル「エンデバー」が地球を141回周回し,全ての予定の仕事を終えて無事帰還したとのニュースが報じられた.先に宇宙に打ち上げてあった日・米の二つの観測実験衛星をロボット・アームを用いてエンデバー内の格納倉庫に回収することにも成功したことと合わせて,科学技術の進歩のすばらしさに驚嘆せざるを得ない.その科学技術の中でもとりわけ20世紀においては,物理学が世の中に多大の影響を与えてきたと考える.

即ち,電磁気学が発電,電動力,照明,電信,電話,テレビ等を世に送り出し,家庭の電化と情報化の道を拓いた.

力学は船,鉄道,自動車の格段の進歩を促し,航空機,ロケットさらには人工衛星を実現した.

量子力学は半導体,レーザ等の発明を誘発し,超高速コンピュータ,大容量通信への道を開拓した.

相対論にルーツを有する核物理学は原子力発電の実用化に貢献し,人類のエネルギー資源の選択の幅を広げた.まさに「驚異の世紀」のリードに物理学の果たした役割は絶大であった.

しかも,これも有名な話であるが,20世紀に人類が実現したこれらの快挙の大部分が,今世紀初頭(1901年1月1日,2日)時の報知新聞に極めて的確かつユーモラスに予言されていたのである.「カラーTV,エアコン,TV電話,無線電話の出現,自動車の普及,空飛ぶジャンボ機の希観」等は大当りである.「鉄道の進歩により東京−神戸間が2時間半でむすばれる」に至っては脱帽である.さすがに有人宇宙飛行や原子力発電には言及していない.また「サハラ砂漠が沃野と化す」など,いまだに実現していないものもある.しかし,その予言の大胆さとあざやかさには頭が下がる.逆に云えば20世紀を迎えた頃の人々が,当時黎明期にあった諸技術の将来に豊かな夢を抱いていたことのすばらしさに胸を打たれるのである.そこで,この先例に習って21世紀は如何なる時代であろうかを大胆に予想しつつ,科学技術の招く未来のシナリオを記してみることにする.

  • 予想(I) 情報インフラが進展し,教育のやり方が一変する.在宅勤務や生涯教育は極くあたりまえのこととなる.ネットワークとデータベースを介して世界の文化遺産を人類が共有するようになる.

  • 予想(II) 電子翻訳技術により,同時通訳機が誰でも使えるようになり,言語によるコミュニケーションバリアは(大幅に)解消する.

  • 予想(III) ガン,エイズなどの難病治療技術が進歩し,人間の平均寿命はさらに延びる.一方,人口爆発の危機意識も広く浸透し,地球上の多くの国が静止人口状態へと近づく.

  • 予想(IV) 地球の温暖化,資源の枯渇等,人間活動が招く問題の定量的把握がなされ,自然と共生するための条件が明確になる.一方,資源のリサイクル技術や廃熱・自然エネルギー利用などの技術が進み,人類の穏やかな繁栄継続のシナリオが完成する.

  • 予想(V) 地球における人類の生存条件にかかわる主要なパラメータの相互関係が明確になる.すなわち地震,竜巻,異常気象などの予知が可能となり,その災いから人類が救われる.

  • 予想(VI) 生命もしくは意識のある限りの個人の表現力,あるいは個人の責任における行動力が限りなく拡大し,人類の大いなる恐れを緩和する.即ち人間の生きることへの尊厳をより確かなものとする.

楽観的なシナリオにすぎるのではないかと若干不安ではあるが,夢を大いに語ることが若者の志を高め,科学技術への情熱をかきたてることにつながると信じ,あえて試みた.

これらの予想において,科学技術が果たす役割と,20世紀のそれとの決定的な差異は次のように説明できるだろう.即ち,20世紀のそれが主に物理を中心に据えた電気・機械系の中でのすばらしい発明や工夫が人間社会を前進させる原動力であったのに対し,21世紀のそれは人間そのものと自然の生態系をもとり込んだ総合的,相互主義的な発明・工夫が社会前進の原動力となるということである.

古来,物理学者の多数の大先輩が,大自然や生命現象を視野に入れて宇宙や生命の原理を極めようと試み,思考を深めた.21世紀にはこの試みが単なる思考の段階を超えて,現実の社会でのバイタリティの源泉にまで踏み込むことになろう.

来世紀に生きる物理学者にとっては,天文学,生物学,医学,心理学,情報科学,社会科学等多くの他分野の科学との対話と協力が極めて重要になるであろう.物理学者が視野を広め,心を開いて,多くの関係者の協力を得つつ「希望の世紀」の創造に大きな役割を果たすことを願う.