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核融合をめざしたプラズマの研究宮本健郎〈成蹊大学工学部 180東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1〉はじめに核融合反応が発見されたのは1920年代のことである.これは原子番号の小さい元素を標的にして陽子や重陽子の粒子線をぶつけるものであった.このような方法では,粒子線の大部分は標的元素のイオン化,その他の非弾性衝突により熱化に費やされてしまい,核融合反応を起こす確率はきわめて小さい.現在研究されている核融合は,高温プラズマを用いるものである.水素プラズマ中において,水素イオンがさらに高次の電離をしたり,励起されたりすることはあり得ない.イオンや電子がCoulomb衝突をくりかえしても,もしプラズマがある領域内に断熱的に閉じ込められていれば温度は下がらない(ただし制動放射,シンクロトロン放射などは無視できるとした場合).したがって高温プラズマを長く閉じ込めておくことができれば,Coulomb反発力を乗り越えて核融合反応を起こす粒子数がふえ,エネルギーを取り出すことが期待できる.重水素D-三重水素Tプラズマの場合,1億度(〜10
keV)以上に加熱し,プラズマ密度nとエネルギー閉じ込め時間tEの積ntEを少くとも〜1020m−3・s以上にする必要がある.1)
高温プラズマの不安定性をいかに抑制するか,放射,対流,熱伝導によるエネルギー損失をいかに小さくするかが,核融合をめざすプラズマ物理の最も重要な課題である.数数のプラズマ閉じ込め装置,加熱法などが考案され,試みられてきた.それらから得られた多くの成果の積み上げにより,途方もないように思われた炉心プラズマ臨界条件(核融合出力=加熱入力)も,ようやく大型トカマク実験によって実現されつつある.このような時期に,日本におけるこれまでの道のりをたどってみるのは有意義なことと思われる.
1. 1958-1961年(黎明期)制御熱核融合に関する研究は,第2次大戦後米国,英国,ソ連などで極秘裡に進められていた.当時としてはかなり大型の実験装置
(Stellarator C, Zeta, Ograなど)が建設されていた.しかし最初の期待に反して,プラズマは激しいMHD(電磁流体力学的)不安定性を示すことが観測され,核融合の実用化はほど遠いものとなった.そしてプラズマの基礎的研究,国際的な情報交換の重要性が認識されるに至った.1958年に第2回原子力平和利用国際会議がGenevaで開かれ,この会議の核融合部会では,これまで秘密のベールに包まれていた研究内容が堰を切ったように発表された.そして核融合研究は国際的な研究活動に広がっていった.このような状勢は,フランス,ドイツ同様,後発の日本の核融合分野にとっては,先発の国々に追いつき肩を並べる機会をもたらすことになったわけで,幸運なことであったかも知れない.
1958年には現在のプラズマ・核融合学会の前身となる核融合懇談会が発足し,学術雑誌『核融合研究』が誕生した.新しい分野であるので核融合研究に投じてきた研究者の出身分野は原子核,電気工学,放電物理など様々であった.プラズマ・ベータートロン(宮本梧楼),ヘリオトロン(宇尾光治),環状放電(山本賢三),Zピンチ(岡田実)などの研究が始っていた. 同じく1958年総理府,原子力委員会に核融合専門部会が設置され,湯川秀樹を部会長として研究の方策が検討された.多くの議論が重ねられ,学術会議核融合特別委員会でも意見の調整が行われたが,結局,湯川部会長は菊池正士原子力委員,伏見康治核融合特別委員会委員長,嵯峨根遼吉原子力研究所理事と相談の結果,プラズマを総合的,基礎的に研究する研究所として,1961年全国的協力体制のもとに名古屋大学にプラズマ研究所を開設することになった.2,
3)初代研究所長は伏見康治である.プラズマ研の設置にあたって,名古屋大学に既にあったプラズマ研究施設(山本賢三施設長)は包摂されることになった.名古屋大学側の大局的見地からの判断であったと推察される.
2. 1961-1971年(立ち上げ期)国際原子力機関(IAEA)の主催によるプラズマ物理・制御核融合に関する国際会議(以下IAEA会議4)と略する)の第1回が1961年Salzburgで開催され,それ以来この会議は最近1994年までに既に15回を重ねている.
1961年に開設されたプラズマ研究所で最初に進められていたのは線形プラズマの研究である.トーラス(環状)装置より装置が簡単で不安定性を避け,プラズマの物性をよく調べられることを期待したためである.比較的大型のQP (長尾重夫),BSG計画 (内田岱二郎) とTPD (高山一男),TPM (池上英雄),TPC計画が進められた.QPマシンにおいては,PIGプラズマ源によってプラズマを線形磁場に導き,イオン・サイクロトロン波加熱やシーターピンチを加えてプラズマを加熱する研究が行われた (IAEA会議'68).BSG装置においては,シーターピンチで発生した高温プラズマを弱い磁場に膨張させ,高速プラズマ流をミラー磁場で止めることによって起こるショック加熱の機構が調べられた.TPDは高密度,定常プラズマ(1020 m−3)の発生とその応用,TPMにおいては,ミラー磁場における電子サイクロトロン波の統計加熱 (IAEA会議'68) や速度空間における非等方性によるwhistler不安定性の研究,TPCにおいては,セシウムプラズマを用いて,ドリフト波の抑制 (IAEA会議'68),イオン波によるエコー現象などの研究が行われた. 実験プロジェクトに追われ,海外から洪水のように入ってくる研究情報を理解し,咀嚼するのに無我夢中であったと思われる.ハードウェアにおいても,大電流密度の高精度ホロー・コンダクター・コイルの製作,大出力RF発振器,高圧大電流高速スウィッチ,高速高精度の各種計測法など,どれをとっても新たな挑戦であった. 大阪大学超高温理工学研究施設 (伊藤博) のコニカル・ピンチ・ガン・プラズマのカスプ入射実験 (IAEA会議'68),日本大学 (吉村久光) のシーターピンチ・プラズマ (IAEA会議'68),日本原子力研究所 (森茂) のコニカル・ガン・プラズマ入射実験グループが活発に研究を続けていた.京都大学工学部のヘリオトロンC (宇尾光治,IAEA会議'68),名古屋大学工学部のトカマク計画(山本賢三)は当時数少ないトーラス・プラズマ研究への挑戦であった.また浜田繁雄 (日大) がトーラス系解析のため1962年に導入した自然座標系はHamada Coordinatesとよばれて,その後のトーラスの平衡,安定性の解析に広く用いられている.5) 日本において研究体制が整いはじめた1965年頃,ようやくプラズマのMHD不安定性の理解が進み,安定化の方法が明らかになってきた.米国のGeneral Atomicsにいた大河千弘は,トロイダル・オクタポール磁場で平均最小磁場 (磁場圧力の磁気面上の平均値がプラズマの外側に向かって増加する配位) を構成し,トーラス・プラズマが安定に閉じ込められることを初めて実証し,注目を集めた (IAEA会議'65).平均最小磁場や磁気シアー (捩じれ) がMHD安定化に有効であることが示され,最適なトーラス配位が模索された. プラズマ研においてはこのような世界のトーラス閉じ込め研究の進展に対応すべく,平均最小磁場の性質をもったステラレータJIPP-1計画
(宮本健郎) を1970年に発足させた.日本原子力研究所においてはトロイダル・ヘキサポール計画
(森茂,IAEA会議'71) が,京都大学ではヘリオトロンD (宇尾光治,IAEA会議'71)
が進められた.JIPP-1ではトーラスプラズマにおける対流セルによる損失が探針によって観測された
(IAEA会議'71).Princeton大学プラズマ物理研究所で活躍していた吉川庄一は内部導体系のspheratorを提案し,静かなプラズマ閉じ込めを実証した
(IAEA会議'71).
3. 1968-1973年(Artimovichの時代)第3回IAEA会議はソ連のNovosibirskで1968年に開かれた.この会議の最大のトピックスはKurchatov研究所のL.
A. Artimovich が率いるトカマク・グループの発表であった.T-3装置によって電子温度1
keV (〜1.16×107 K)の高温プラズマをボーム時間の30倍にあたる数msにわたり閉じ込めたという内容である.トカマク計画を始めてから10年あまり,世界からはあまり注目されないまま,トーラス磁場の精度を高め,回転対称性を追求し,MHD安定化のための導体シェルを導入し,真空容器をステンレス・ライナーにし,徹底的に放電洗浄をくり返し,プラズマと真空壁との相互作用を少なくするリミッターを導入するなど,改良に改良を重ねての結果である.またトカマク・プラズマの平衡,不安定性について解析を進めたV.
D. Shafranovの貢献も大きい.
会場においては,プラズマ抵抗から算定された電子温度は電子の少数高温成分の温度ではないかという疑いが残ったが,もしこれがバルクの電子温度であるとすれば画期的な実験結果である.英国Culham研究所所長のR. S.Peaseは国際的共同研究としてレーザー散乱による電子温度測定チームを派遣し,トカマク・グループの実験結果を確認した.6)当時のソ連の体制下では特別の計らいであった.T-3実験の影響は世界の核融合研究分野に衝撃波のように伝わり,各国で新しくトカマク計画が発足した.Princeton大学プラズマ物理研究所(PPPL)は1年足らずでステラレーターCをSTトカマクに造り変え,1971年のIAEA会議においてT-3の結果を再確認する報告をしている. アカデミシァンArtimovichは1968年のIAEA会議のまとめにおいて,「熱核融合への道が切り開かれた」と述べているが,惜しくも1973年に急逝した. 日本原子力研究所 (原研) ではトカマク装置JFT-2,
JFT-2Aを1971年に建設し始めた.1974年東京で開催された第4回IAEA会議では,JFT-2,
JFT-2Aの結果が吉川允二により発表された.日本からは18件の発表があり,ようやく先発国のレベルに仲間入りすることができた.プラズマ研においては第2次計画を策定し,1974年にトカマクとステラレーターのhybrid
型 JIPP-T2の建設を始めた.おりしも1973年秋の第一次石油ショックは核融合研究にとっては追い風となった.
4. 1974年(IAEA東京会議)以降のトカマクの発展4.1 大型トカマクへトカマク・プラズマの研究は世界の磁気閉じ込め研究の主流になった.研究の進展にともなって装置の規模は拡大し,新しい特徴を持った装置が数多く加わった.日本原子力研究所のトカマク装置の概略断面図を図1に示す.第一次石油ショックの前後からTFTR (Tokamak Fusion Test Reactor, 米国,1973年発足),JET (Joint European Torus, 1972年発足),JT60 (Japan Torus 60 m3, 1975年発足),T-15 (Tokamak series 15)の大型トカマクが計画された.TFTRは当時最も優れたデータを出していたPLTの延長線上の,無駄のないオーソドックスな円形断面トカマクの設計であった (1982年末運転開始).JETの設計原則はトカマク・プラズマ閉じ込めにとっての基本パラメーターをプラズマ電流値であると考え (プラズマ電流値は平均プラズマ半径とポロイダルLarmor半径の比に比例),これを最大にするために縦長断面トカマク (円形も可能) を採用した (1983年運転開始).JT60の特徴は外側ダイバーター配位の円形断面トカマクであった7)(1985年運転開始).T-15はKurchatov研究所の受電容量の制約とそれまでの超伝導コイルの実績から大型超伝導コイル・トカマクを計画した.しかし政治経済情勢のため技術開発コストを負担できず現在中断しているのは惜しまれる.これらの大型トカマクの建設が始ってからも,オープン・ダイバーターの有効性,ダイバーター配位におけるHモードの閉じ込め状態の発見,縦長断面プラズマの高ベーターにおける安定性の実証などの相次ぐ新たな進展があり,JT60は1991年からJT60U(図1)に改造されて現在に至っている.8)JT60Uの鳥瞰図を図2に示す.また会誌の本号表紙にJT60U組み立て時の写真が掲載されており,装置内部構造がわかりやすく写っている.主なパラメーターは後出の表1に示す. 平均密度eとエネルギー閉じ込め時間tEの積etEと中心イオン温度Ti(0)のダイアグラムにおける研究の進展を図3に示す. 4.2 日本の貢献数多くのトカマクの成果の中で日本が大きく貢献したと思われるものを述べていく.
(1)ポロイダル・ダイバーター 不純物イオンの混入による放射損失は,高温プラズマ閉じ込めにとっては,最初からいつも悩まされてきた課題である.プラズマの境界をリミターの物質で決める代わりに,磁気面のセパラトリックス*決める配位がポロイダル・ダイバーターである. JFT-2A (図1,通称DIVA) のダイバーター配位による不純物制御の実証は世界最初の試みであり,注目された (IAEA会議'76,'78). 米国GAのDoublet III (大河千弘) との共同研究によるオープン・ダイバーター (図1) の有効性の実証と物理機構の解明も注目された (IAEA会議'80). この共同研究は日米が対等に予算を出し,日米両チームがそれぞれの研究課題についてマシンタイムを分割使用するというスタイルをとった.この配位は特別なダイバーター室を必要とせず,大型トカマクJETおよびJT60Uに取り入れられている.またトカマク核融合炉の国際的な共同設計装置INTOR, ITERにも取り入れられている. (2)電流駆動 トカマク配位ではトーラス・プラズマ中に電流を流し,その作るポロイダル磁場によって, プラズマの平衡と閉じ込めが保たれている.プラズマ電流を駆動するためには,通常変流器を用いて誘導しているため,有限の時間 (1,000秒程度) しかプラズマ電流を駆動できない.トカマク配位を定常に保つためには誘導電流以外の手段が必要である.また電流分布を変化させて,磁気シアーを制御する方法としても重要である. 大河千弘は1970年高速中性粒子入射により高速イオンをプラズマ中に入射し,その運動量をイオンや電子に与え,結果としてプラズマ電流を駆動できることを提案した.9)この提案は1980年DITE (Culham Lab.)によって実証された. N. J.Fischは低域混成波 (LH波) をプラズマに入射し,波のモーメンタムを電子に与え,電流を駆動する方法を1978年に提案した.この提案は1980年JFT-2(原研)において最初に実証された.10) 電子サイクロトロン加熱によってターゲット・プラズマをつくり,これに低域混成波を入射してプラズマ電流を零から立ちあげる実験がWT-2 (京大理) において初めて行われた(1983年11)).ひきつづいてJIPP-T2 (プラズマ研),PLT (PPPL)等でも行われた (IAEA会議'84). 超伝導トロイダルコイルをもつTRIAM-1M (九大応用力学研) において3分もの間,プラズマ電流がLH波により駆動された(IAEA会議'88).さらに1991年には70分の電流駆動(Ip=22 kA, ne=2×1018 m−3)に成功し注目を集めた. 大型トカマクJT60Uにおいてはプラズマ電流Ip3 MAをLH波駆動効率hCDRneIp/PRE=3.5×1019m−2A/Wで駆動し,しばらくは他の追従を許さない結果を得ている (IAEA会議'94). (3)ブート・ストラップ電流 高温プラズマにおいては,径方向のプラズマ圧力勾配によってトーラス方向にプラズマ電流が駆動されることが,理論的に指摘されている.JT60Uにおいては高ベーター・ポロイダル** をもつ急峻なイオン温度分布をもつプラズマをつくり,条件によってはブートストラップ電流が全プラズマ電流の80%になるような状態を実現した (IAEA会議'90).このようなデータ・ベースを基にしてSSTRのような定常核融合炉の概念が提案されている (IAEA会議'90). (4)イオンBernstein波加熱 JIPP-T2UにおいてイオンBernstein波による本格的なプラズマ加熱実験が初めて行われ,その有効性が実証され,注目された.12) (5)プラズマ閉じ込め 実験で観測されるエネルギー閉じ込め時間は通常Lモードとよばれる比例則に従っていた (図4参照).しかしASDEX (Max-Planckプラズマ物理研究所) においては,ダイバーター配位で加熱入力があるしきい値を超えると,エネルギー閉じ込め時間がLモードに対して2-3倍改善されるHモードが発見された(1982年).13)このL-H遷移の現象は多くの理論家によって研究されたが,伊藤早苗,伊藤公孝は,このL-H遷移においてプラズマ周辺の径電場が重要な役割を果たすことを最初に指摘し,この分野の研究に影響を与えた.14) JT60Uにおいては高ベーター・ポロイダルの急峻なイオン温度分布をもつプラズマを形成すると閉じ込めのよい状態になることが発見され (IAEA会議'92),さらにこの状態とHモードの特性を合わせもつhighbpHモード が発見されている (IAEA会議'94). 4.3 トカマク核融合炉の設計JT60Uを含む3大トカマクの装置および代表的なプラズマ・パラメーターを表1に示す.一つのマイルストーンであった臨界条件
(核融合出力=加熱入力) はほぼ達成される段階にきた (図3参照).
トカマク研究の進展にしたがって,あるべき核融合炉の概念設計が進められてきた.INTOR (International Tokamak Reactor) Workshopは国際原子力機関によって組織された核融合炉の国際共同設計の最初の試みである.森茂はINTORのワーキング・グループ議長として,概念設計をまとめるのに心をくだいた (1979-1987, IAEA会議'86).3大トカマクのデータ・ベースが整い始めた段階で,発展的にITER (International Thermonuclear Experimental Reactor, 1988- )に引き継がれた.ITERの1995年における設計パラメーターを表2に示す15) (IAEA会議'94).ITERの目標は核燃焼条件 (DT核融合反応で生成されるα粒子によってプラズマが加熱され,外部からの加熱が必要でなくなる条件) の長時間 (1,000秒以上) 実証である.
5. トカマク以外の磁気閉じ込め研究トカマク以外の磁気閉じ込めとして,ヘリカル系,コンパクト・トーラス
(逆転磁場ピンチ,スフェロマック,反転磁場配位),タンデム・ミラーをとりあげる.それぞれトカマクにはない長所はあるが,他方トカマクのもつ長所を欠いている.ヘリカル系によって実現されているプラズマ・パラメーターは,およそ20年前のトカマク,逆転磁場ピンチの場合はおよそ30年前のトカマクのパラメーター領域にある.これまで得られている実験比例則の延長線上に,現実的な核融合炉へのシナリオを描くことはできそうもない.新しい突破口を切り開く以外に核融合炉の候補として生き残るすべはないように思われる.
5.1 ヘリカル系,外部導体系外部導体に流す電流のみでつくられる磁場によってプラズマを閉じ込めることができるので,定常的なプラズマ維持の可能性をもっている.
ヘリオトロンE (ヘリオトロン核融合研究センター,初代センター長宇尾光治,R=2.2 m, a=0.2 m, B=2T, l/m=2/19のヘリオトロン・トルサトロン型ヘリカル・コイル) において,電子サイクロトロン波加熱(ECH)によりターゲットプラズマをつくり,それを中性粒子入射(NBI)によって加熱し,e=2×1019m−3, Ti(0)=0.85 keV,tE=数msの無電流プラズマを閉じ込めた (IAEA会議'84).また須藤滋等は世界の実験データからヘリカル系のエネルギー閉じ込め時間の実験的比例則を導いている.16) CHS (プラズマ研,IAEA'88) はR/a=1.0/0.2=5のファットなヘリカル系で,ECH, NBIで無電流プラズマを生成した.それにオーム加熱電流を重畳すると,エネルギー閉じ込め時間がわずかであるが15%程度改善されるトカマクのHモードに似た現象が発見され,その機構の解明が進められている(IAEA会議'92). トカマクのHモードにおいては,径電場によるシアーのあるプラズマ流の存在がプラズマ中の対流セルをすり潰し,熱伝導損失を押さえていることが知られている.磁場のリップルの大きいヘリカル系CHSとリップルの無視できるトカマクJIPPT-2Uについて,径電場の詳細な比較測定を行い,プラズマの流れの制御法や機構を明らかにする実験が行われた (IAEA会議'94). 5.2 逆転磁場ピンチ(RFP),スフェロマック,反転磁場配位(FRC)RFPプラズマにおいてはトカマクと同様回転対称系であるが,トーラス磁場の大きさがポロイダル磁場の大きさと同じ程度で,かつトーラス磁場の大部分がRFPプラズマのMHD緩和
(ダイナモ効果) によって自己形成される特徴を持っている.
RFPプラズマの研究は電子技術総合研究所において着実に進められている (図5).特にTPE 1RM (小川潔) においては放電管をメタル・ライナーに変え,プラズマ電流密度を大きくとり,中心電子温度0.6 keVという,当時のRFPとしては非常に良い実験結果を出し,この分野の注目をあびた (IAEA会議'82).それ以来TPE 1RM-15, TPE 1RM-20と発展している. プラズマ研のSTP3MではRFPプラズマの位置制御をおこない,小型ながら0.8 keVという高い電子温度を得ている (IAEA会議'88). 東大REPUTE-1においては,RFPプラズマのMHD緩和とダイナモ現象の物理的過程の実験と理論との対応,イオンの異常加熱現象が研究された (IAEA会議'90).またULQ (超低qプラズマ) のMHD安定性,緩和現象が調べられた (IAEA会議'88). スフェロマック磁場配位は,与えられた初期条件と境界条件のもとにMHD緩和によって落ち着く回転対称な配位である.CTCC装置 (阪大超高温,IAEA会議'88),TS-3 (東大工,IAEA会議'92) において,MHD緩和現象について興味ある実験結果を出している. 反転磁場配位(FRC)は逆バイアス磁場をかけたリニアー・テーター・ピンチから発展した配位である.OCT, PIACE-1 (阪大超高温,IAEA会議'82),NUCTE3 (日大,IAEA会議'90) において,FRCに見られる回転不安定性の抑制に成功している. 佐藤哲也等はトーラス・プラズマの振舞を,三次元非線形MHD運動方程式を用いて計算機シミュレーションで解き,スフェロマックやRFPのMHD緩和現象,自己形成の過程を見事に再現した.磁力線の駆動再結合によるプラズマのトポロジー変化の物理過程を明らかにしている (IAEA会議'82,'84). 5.3 タンデム・ミラーミラー磁場にとっては,その両端からの端損失の抑制が最も重要な課題である.イオンの端損失抑制のため,正の静電ポテンシャル領域を設けるためのミラーをタンデムに並べたタンデム・ミラーの実験はTMX
(米国) で始められ,Gamma-10 (筑波大プラズマ研究センター,初代センター長三好昭一),Hiei
(京大工) によって続けられている.Gamma-10 (装置の長さL〜27 m, a=0.18
m, B=0.5 T,図6) において,2 kV程の静電ポテンシャルを作り,粒子閉じ込め時間がPastukovの理論的比例則に従っていることを示した
(IAEA会議'90).そしてイオン・サイクロトロン周波数領域加熱(ICRF)により,Ti〜10
keV, Te〜0.13 keV, e=2×1018m−3,tEi〜8
ms, tEe〜2 ms, (B=0.57
T)のプラズマを生成し閉じ込めた.強い径電場によりドリフト波揺動が押さえられ,磁場を横切る損失が端損失より小さくなっていることを測定している
(IAEA会議'94).
HieiにおいてはICRFのヘリコン速波によってプラズマ生成加熱,安定化に加えて,静電ポテンシャルも発生させている.中央ミラーのリミターにバイアス電圧を加えて径電場を誘起し,トカマクのHモードの場合のように,径方向損失が減ることを最初に確かめた (IAEA会議'92).
6. 慣性閉じ込めイオンの慣性により,プラズマが膨脹し始めるまでにはある短時間を必要とする.その極短時間内に超高密度の高温プラズマを発生し,核融合反応を完了してしまおうとする試みが慣性閉じ込めである.慣性核融合は1952年,中部太平洋において水爆という大規模な形で実証されているが,これをどこまで小さく,制御可能な規模で実現できるかの鍵は,爆縮の物理過程の究明にかかっている.
阪大レーザー核融合研究センター (ILE,初代センター長山中千代衛) においては1981年から,激光XII号レーザ装置を用いて爆縮による核融合の研究が精力的に行われている.12ビームから成り,3倍高調波の波長351 nm, エネルギー10 KJの性能を持つに至っている (図7).爆縮過程では,レーザー照射によって球状ペレットの表面から高速でアブレイトする低密度プラズマが,球状ロケットのように内部の高密度燃料を加速するため,本質的にRayleigh-Taylor不安定である.したがってその影響を押さえるために,均一な球形燃料ペレット・シェルを作り,そのペレット表面全体を均一にレーザー光で照射する必要がある.17)ILEではランダム位相板をレーザー光の集光レンズの瞳に置き,12ビームのレーザーにより,平均14%程度以下に照度の不均一性を押さえ,重水素化,三重水素化したプラスチックの中空球状シェルに直接照射し,固体密度の600倍(〜600 g/cm3)の爆縮に成功している (IAEA会議'90).さらに照度の不均一性を4%程度に減らしている. 計測法として爆縮過程のスタグネイション200 psの間に25コマ撮れるX線高速フレイムカメラを開発し,これらの観測によりRichtmyer-Meshkov不安定性 (Rayleigh-Taylor不安定性の一変形) による,燃料とプッシャー(pusher)とのミキシングの機構を解析している (IAEA会議'94).その他,軽イオン・ビームのドライバー研究もILEで進められている. 電子技術総合研究所のKrFレーザー開発も注目されている.Super-ASHRAは短波長250 nm,エネルギー効率10%以上,エネルギー8KJの高性能を目指している (IAEA会議'94). 爆縮に関する分野で高い水準にある米国の研究者が,研究成果を国際会議で発表したとき,その核心にふれる質問を受けると「それに答えることは許されていない」と応答せざるをえない状況が1993年まで続いた.したがって研究業績のプライオリティーが曖昧である状態が最近まで続いたことは,この分野の研究者にとっては不幸なことであった.
7. LHD (Large Helical Device)計画これまで述べたように,非トカマク方式や小,中規模のトカマクは原研以外の研究所,大学の研究センター,研究室において様々な規模で研究されてきた.1979年頃からはプラズマ研において核反応プラズマ研究計画
(略称R計画) が立案検討された.実際にDT核融合反応が起きるような高温プラズマの物理を研究することを目指したトカマク計画であったが,これが提案された理由の一つは,JT60がDTプラズマ実験を対象にしていなかったことであった.1979-1985年のあいだ精力的に検討されたが,実現するに至らず,結果として大学による本格的なトカマク実験参入の機会を逸することになった.
3大トカマクがいよいよ運転を開始しようとする1982年から,諸大学における研究の位置付け,次に進むべき方向が検討され始め,多くの議論が重ねられた.その結果,いくつかの潜在的な利点が予見されるが,データが不十分と考えられる外部電流系方式 (ヘリカル系) がとりあげられ,大学の研究努力の約半分をヘリカル系の研究に集中することになった.18) その受け入れのための国立研究所 (文部省) の創設準備室が名古屋大学に付置された.当時の名古屋大学学長および文部省学術審議会核融合部会部会長早川幸雄は1988年につぎのように述べている.18)「この選択には,次期のトカマクが大学で実施するには大きすぎる規模になるという消極的理由もあった.また,データ不足のヘリカル系については目に見える結果が得やすいという安易な理由もあった.しかし積極的理由は,これによって環状系に共通する知見を比較的明確に得たいということであった.」 名大プラズマ研,京大ヘリオトロン核融合研究センター,広島大核融合理論センターを統合して核融合科学研究所(飯吉厚夫所長)が1989年 (平成元年) に発足した.LHD装置の断面図を図8に示す.トーラス半径R=3.9 m,プラズマ平均半径a=0.975 m,トーラス磁場B=3.0 T, ヘリカル巻線の極数l/m=2/10のパラメーターを持っている19) (IAEA会議'90).超伝導コイルのLHDの運転開始は1998年に予定されている. 後記 我が国のプラズマ・核融合の分野は,この50年の間に,全く零の状態から先発国に伍して,やがて第一線に立ち,世界の研究動向に影響を与えるようになった.プラズマ物理・核融合の分野は多様であり,これらを与えられた紙面に紹介することは著者の能力を超えることであった.大きな研究の流れを紹介することを意図したため,紹介しきれなかった業績も多く,また公正を欠くことがあると思われるが,読者の寛容を切に請う次第である.
参考文献
*磁力線がトーラスを何周もまわることによって作る面を磁気面という.図1のJT60U,JFT-2Aが示すように,X点型の特異点を含む磁気面をセパラトリックスといい,その内側の磁力線はトーラス状に閉じている.しかしその外側の磁力線は真空容壁のダイバーター板(熱負荷に対して保護する板)にダイバートされる. **プラズマ電流Ipによるポロイダル磁場Bp=m0Ip/2paの磁気圧とプラズマ圧力p=nk(Ti+Te)の比bp≡p/(Bp2/2m0)をポロイダル・ベータ値あるいはベーター・ポロイダルという. |