Vol.53-54(1998-1999)「新著紹介」より


このページでは,物理学会誌「新著紹介」の欄より, 一部を, 紹介者のご了解の上で転載しています. ただし,転載にあたって多少の変更が加わっている場合もあります. また,価格等は掲載時のもので,変動があり得ます.



野本陽代,R. ウィリアムス 著

ハッブル望遠鏡が見た宇宙

岩波新書,東京,1997,viii+212p., 17.5×10.5cm, 本体940円 (岩波新書 499)

池内 了 (名大理)

 今や,全国(全世界というべきか)至る所, 宇宙に興味を持つスタッフや 院生がいる大学には, ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったきれいな天体写真が廊下の壁に貼られている. インターネットでアメリカ航空宇宙局(NASA)のホームページに入れば, その写真を自在に見ることができるし,カラーコピー機があれば, そのまますぐにプリントアウトできるからだ. これらの写真を見れば,つい取り出して掲示し皆んなに見せたくなる, 確かにそんな気にさせる感動的な画像である.
 私たちの頭上500kmの高さを周回しているハッブル望遠鏡は, 大気の乱れに煩わされることなく, 地上では実現できない高分解能画像を刻々と送ってきている. フィルターをかけて多色で撮ったCCD写真はコンピューター処理されて, コントラストのついた迫力ある図柄で私たちを楽しませてくれる. 宇宙を身近に引き寄せるのにハッブル望遠鏡が大きな力を発揮しているのは, 同じ業界に住む人間として誠に慶賀すべきことであると考えている.
 とはいえ,この写真は何を撮ったもの?,どこがこれまでの天体写真と違うの?, それで何がわかるの?,と学生たちにきかれたとき, しかるべき的確な返答ができないと,単なる天体写真のマニアとしか思われない. 現在は,単純な博物学では満足しない時代なのである. これはね,若い星が生まれつつある現場をクローズアップしたものなんだ. 良く見ると太陽系のような惑星が生まれるガスの円盤がくっついているだろう? ここに写っている何千個もの銀河には,生まれたての若い銀河もたくさんあって, それは100億光年も彼方の宇宙の果てで輝いているんだ. こんな姿は地上からの観測ではとても撮影できないんだよと, とりあえずの解説ができ,だからハッブル望遠鏡は人類の宇宙への眼を飛躍的に拡大したんだと, その威力の大きさが語れれば若い人の科学への夢も広がるに違いない. たとえ宇宙の研究者ではなくても,その程度は語って欲しいと思う.
 本書は,誰でもわかるように書かれた,ハッブル望遠鏡が撮った興味深い写真集であり, それがどんな新しい情報をもたらしてくれたかをコンパクトにまとめた 天文学最前線の解説集でもある. 球面収差のために焦点ボケであったハッブル望遠鏡の旅立ちや, その修理のためのサービスミッションの逸話を交えながら, 太陽系から天の川の星々,そして相互作用する銀河や 巨大ブラックホールが潜むクェーサーまで,宇宙のさまざまな相貌を楽しむことができる. 同時に,悠久に見えながら進化転生を繰り返す天の世界の時間の進みを, ハッブル望遠鏡のレンズを通してたどることもできるだろう.
 この本を繰りながら学生たちと対話をすれば, きっと自然への関心が強くなると思う.

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A. スコット 著 伊藤源石訳

心の階梯

産業図書,東京,1997,xii+264p.,21.5cm×15cm, 本体 3,000円

美宅成樹 (農工大工)

 物理の対象は次第に拡大しつつある. 50年ほど前迄は,生物は物理の対象ではなかったが, 生物物理という学問分野ができ, 対象は無生物から生物へと大きく広がっていった. しかし,生物を対象とした物理の多くは, タンパク質やDNAなど分子とその集合体の構造と物性を 明らかにしようとするものであった. 人の「心」は物理の対象ではなかったのである. しかし,「心」を生み出すのは私達の身体であり, 私達の身体がタンパク質やDNAでできているとすれば, 「心」は物理の対象となるに違いない. 私達は,分子と「心」の間に大きなギャップを感じるが, それは分子と「心」の間に存在する階梯 (階層をこの本ではこう読んでいる)について まだ十分理解が進んでいないからだと著者は考えている. 原子−分子−生化学的構造−神経インパルス(ニューロン) −ニューロン集団−脳−意識−文化. 私は以前ファインマンの本を読んでいて, 彼が自然の階層の中に美意識や宗教をも含めているを見出し, 感動したことを覚えている.ファインマンは, 階層をすべて理解することは遠い将来の課題としていた.もちろん現在でも, 分子レベルでの生体高分子の問題がまだ謎に包まれている状況だから, それより上の階梯の理解は余りにも少ない.したがって,本書の目的は, 「心」を物理的(科学的)に説明しつくすことではなく,自然の階梯全体を眺め, 「心が自然の階梯のひとつである」ということを示すことである. 読者が科学者かその卵であったとすれば, 本書を読むことによって 自分の研究と心がどのような関係にあるかを知ることができるだろう. また,科学に関係の無い人にも, 今やこのような話題が科学の対象となっているという事を知って, 何がしか得るところはあるのではないだろうか. 学問的にはもちろん不完全な本であり,いささか散漫になっているのは仕方がない (心を科学的に説明できる人はまだ誰一人いない). しかし,本書にはそれなりの意義があり, 精神的に余裕のある方には一読をお勧めしたい.

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西尾成子 著

こうして始まった20世紀の物理学

裳華房,東京,1997,x+126p., 19x13cm, 本体 1,400円

廣政直彦 (東海大文明研)


 物理学の歴史において量子論のような理論が形成されたとき, その理論の形成に大きな役割をはたした実験は, あたかもその理論の構築を目的として研究されてきたかのように見えることがある. しかし,それらの実験は,必ずしも,その理論を構築することを目的として 研究されたわけではない.それらの実験には, それぞれ独自の目的があり意味があったのである.
 本書は,量子論の形成に大きな役割をはたすことになった実験的研究を, 量子論の構築のためではなく,それらが当時,どのような関心の下に, どのようにして行なわれたかを歴史的に記述したものである. ここでとりあげられる実験的研究は,X線・ウラン放射能・電子・原子核の発見である. それらの実験的研究が互いに絡み合いながら,X線から原子核の発見へと進んで行く様子が, それぞれの発見者のエピソードを交えながら述べられる. しかし,それらの実験的研究は量子論の構築を目指したものではない. 例えば,通常,言われているように, ラザフォードが原子核を発見したとされる1911年の論文は, トムソンの原子の陽球モデルに対抗して有核モデルを提唱しようとしたのではなく, 新しい散乱理論の提示を目的としたものであった.つまり, ラザフォードの実験的研究は, 量子論の形成に重要な手掛かりを与えることになった 原子構造の解明を目指したものではなく,原子によるアルファ線の散乱が, トムソンのいう原子内での多重散乱によるのか, あるいは単一的なものなのかを明らかにすることを目的としていたのであった. このラザフォードの実験的研究が, 原子構造の解明に重要な意味を持つことに気付いたのはボーアである. ボーアによりラザフォード自身が意図したこととは異なる意味が付与されたのであった. その結果,量子論の形成過程の中では, ラザフォード自身が原子構造の解明を目的として 実験的研究を行なっていたように見えることになったのである.
 ところで,本書は一般の読者向けの125ページのコンパクトな本であるから, 実験によってはその詳細を十分詳しく述べるだけの余裕がなかったようで, 物理学や物理学史の知識が少ない一般の読者にとっては理解しにくいと思われる ところも見られる.とはいえ,実験的研究が, 理論を準備したものとしてではなく, それ自身独立した目的と意味をもって進められていたことを 読みとることはできる.また,物理学の研究者にとっても, 物理学が出来上がって行く成り行きは,目的に向かって直線的に進むのではなく, その当時の状況に左右されながら進んで行くのであり, 予期しなかった結果に到達する歴史の不思議さや面白さを味わうことができる本だといえよう.

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P. Moore 著

Eyes on the Universe; The Story of the Telescope

Springer Verlag, Berlin and Heidelberg, 1997, viii+114p., 23.2×15.5cm, 3,130円

寿岳 潤

 Thomas Kuhnは「科学革命の構造」で,1920年代に起こった 理論物理学の革命について語り有名になった. 科学革命はすべて概念によって推し進められると思いこんでいる 科学史と科学哲学の研究者も多い. しかし科学革命にはもう一つ,新しい道具によって推し進められるものがある. 天文学では,望遠鏡を使うようになったことで,最大の革命がおこった.
 著者のMooreは1957年,英国BBCテレビに The Sky at Night という番組に出演して好評を博してから, 40年間4週毎に途切れることなく同じ番組を続けている. これは驚異的な記録でギネスブックにものっている. 著者の人気のほども想像できよう.
 本書は副題のように,望遠鏡以前の観測装置から始まって, 望遠鏡の歴史を現在まで説明したものである. 主なテーマをまとめて紹介すると,屈折鏡と反射鏡との競合,偉大な観測天文学者 William Herschel, 19世紀の巨大科学ともいうべきロス望遠鏡, 今世紀の第1四半期米国で勃興した大望遠鏡建設, パロマー天文台,第4四半期に花開いた新型大望遠鏡群, そして勿論ハッブル宇宙望遠鏡がある.
 著者のうんちくをちょっと. 望遠鏡は1608年オランダの Lippershey が発明し, 2年後 Galileo が望遠鏡を用いて初めて天体を観測したと物の本によく書かれているが, 後者は誤である. Thomas Harriot は Galileo が最初に望遠鏡を作る何ヶ月か前に望遠鏡を用いた月 面図を作成していた.
 この本の特徴は 114ページの中に64枚の美しいカラー写真を含む78の図があって 目に楽しいことである. 地球上もっとも南にある天文台は, ニュージーランドのマウント・ジョン天文台であって, 数年来日本NZ共同のMACHO探査 (MOA Collaboration) が行われているが, その望遠鏡の写真も入っている. 特徴の第2は,コンパクトな形で付属装置を含めて 望遠鏡の重要な発展過程が分かりやすく述べられていることであろう.
 天文学は20世紀に入って,ガンマ線,X線,紫外線,赤外線, 電波で新しい望遠鏡が踊り出て,更にニュートリノ検出器, 重力波検出器が参加する時代になった. この中の幾つかの望遠鏡については著者も少しはふれているが, 多くを望むのは無理である. この本の意図する範囲をこえたテーマである. 著者はエピローグで将来の望遠鏡にもふれている. その一つとして月面での光学望遠鏡と電波望遠鏡をあげている.
 以上をまとめると, 望遠鏡という日常的にも興味のある道具の 400年の歴史を知りたい読者に分りやすい, 楽しめる本といえる.

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高林武彦 著

ヴァリエテ;物理・ひと・言葉

みすず書房,東京,1998, iv+214p.,19.5×13cm,本体3,000円

小林K郎(福井工大)

 高林氏は,拡がりを持つ素粒子模型を中心とする研究で,すぐれた独自の境地を開く一方,量子力学の基礎や物理学史研究においても一家をなす巨人である.さらに,氏は若い日に,本格的な詩作修行を積んだ文藻豊かな詩人でもある.本書は,氏の深い学問と幅広く確かな教養と人間が一体となった好著である.
 内容は三部から成る.第I部・第II部では,物理学の発展に関わる論稿に配して,そこで活躍した何人かの思い出が語られている.第III部は三高(旧制第三高等学校)時代の作品と近作を加えた『詩集』である.これらの内,大部分のものはすでに一読しているが,一本となった形で読むと,「それらの文章のほとんどには筆者自身の学問と人生の重みがずっしりと伝わってくる.ヴァレリーを想像させる本書の標題とその副題はまことに当を得ていると思われる.
 Iの1「日本における初期の素粒子論の特質」は,もとFermilabの国際シンポジウム講演である.坂田先生は常々歴史の忘却を戒められたが,とに若い世代には本論文の一読をすすめたい. Iの主要部分をなすのは湯川・朝永・坂田三巨匠の思い出である.わけても4「坂田博士の物理」は,早くから坂田先生の近くに在り,しかし坂田スクールとは独立に,建設的な相互批判を通して研究を進めていった著者ならではの興味深いすぐれた論稿である.「坂田がもう数年生きて標準模型に立ち会い,さらに日本人の平均年齢あたりまで生きて冷戦の終末とソ連の崩壊を見とどけることができたならと思いめぐらせて感慨を覚える」のは豈著者のみならんやであろう.Iの2「朝永博士を偲ぶ」と3「湯川博士と創造性」は,それぞれIIの2「著作集を通してみた朝永振一郎」および3「湯川先生のプロフィール」と併せ補って,稀有な二人の先達の物理と人間を見事に描き切って,両者の的確な対比がなされている.興味をお持ちの方には,高林:「素粒子論の開拓」(みすず書房,1987)所収の「坂田博士と素粒子論」,「朝永博士の物理と方法」,「知的ジャイアント−湯川博士」を読むことをすすめたい.
 IIの4「原さんの思い出」,5「山内先生の追憶」,6「伏見先生の学殖」,7「碓井さんの思い出」等は,近くにあって存じ上げた方々ばかりではないが,短い文章の中にMenschenkennerたる著者の確かな眼と,敬愛の念が側々と伝わってくる.
 Iの6「パリ滞在記」は1956年10月から2年半の著者のヨーロッパ体験を記す.改めて「パリ日記」(『現代物理の創始者』,みすず書房,1988所収)を併せ読み,その西欧理解と共感するところが多かった.同時に,パリで著者が森有正先生と会っていたらという空想を抑えることができなかった.
 第III部は重い.4年前,私家版『詩集』を恵投に与った時の驚きは忘れられない.「自然科学も文学も人間の文化的・創造的な営みであり人間性に根ざす以上,相互に無縁なものではない.(中略)詩も科学も,アリストテレスのいったように,驚異を感じることから始まり,いずれも習慣的な観念から自己を解き放つ想像力を要求する」と著者は別のところでも言っている.第III部によって本書は完結するのである.「旧い詩篇」16篇と「短歌など」28首は三高時代の青春の苦悩,喜び,感傷と京都の雰囲気が感じとられる.「ひねもすにもの思ふ日も果てむとしただ一日の軽さを量る」の歌は,大岡信選『折々のうた』1997年2月21日に採られているのを思い出した.「晩年の詩片」は,1987年の大患で死の深渕を目のあたりにした経験を語る."また暗闇のなかに見る カレイドスコープの煌きが 在りし日の自分の姿を次々と映し出すのを そして知っているのだ それが回り終えるとき 私は存在しないことを・・・".また近作の中には,モティーフの点で物理的思考と詩想が交感しているものもいくつかある.
 とまれ人間が物理をやっているのである.本書は,そのことを,人を語り,詩作を通して具体的に教えてくれる.すぐれた学問的業績は,人間的叡智と深く広い真の教養と結びついていることを知るべきであろう.重ねて若い世代の諸君に一読をおすすめする.

Web掲載にあたっての加筆

1999年8月14日,高林氏は亡くなられた.残念でならない.巨星墜つの感一入である.心から御冥福をお祈りしたい.
 会誌の拙稿をごらんになってすぐ御病床から,「この本の全容をcompactな記述に収めて大変ゆきとどいたものと感銘を受けました.厚く御礼申し上げます」と過分なお賞めのお手紙を下さって恐縮したことであった.
 一両年肝臓ガンで入退院を繰返しておられた.2月末に頂いたこのお手紙には「入院生活もほぼ終末に近づいているようです.できればもう一冊ぐらいと思いまして一応書いてみましたので,そのうちお目にふれるかも知れません」とあった.予断を許さぬご容態だけに,一日も早く出版をと心待ちにしていた.
 「一物理学者の回想」(上)が雑誌『みすず』1999年7月号に掲載された.残りのページが少なくなっていくのを惜しみながら一気に読み終った.同(下)が8月号に掲載されて,手元に送られてきたのは,すでに亡くなられた後で,文末に「高林先生は本稿の校正を了えられてまもなく,8月14日に亡くなられました」の注を読まなければならなかった.  「一物理学者の回想」は,高林氏が陸軍予備技術少尉として,大宮の陸軍第一造兵廠で終戦の日を迎えた条りから始まる.
 Paul Val`eryの
 Le vent re l`eve. Il Faut tenter de viore.
 (風立ちぬ.いざ生きめやも.堀辰雄訳)
の語句をかみしめ,「一身にして二生を経る」ごとき思いで高林氏は新しい道を歩き始める.3年8か月ぶりに戻ってきた名古屋大学物理学教室で研究生活に入るわけである.同氏の物理学がどのように形成されていったかを知る上で,この頃の話は実に興味深い.同時に当時の物理学教室の人々の動きと学問的活動の生き生きとした描写は読む者を惹きつけて放さない.加えて,あの終戦直後の物情騒然たる世相が,冷静な史家の眼で過不足なく述べられている.
 回想は1951年,高林氏31歳までが主で,同氏は御自分の生涯は16年を単位としているようだとして,この回想は第II期(1936-51)に当る由.「この先なお,停年までの二単位(1952-83)があり,さらにそのあとの一単位があって,これが現在まさに幕を閉じようとしている.私はそれに合わせて退場する」と述べておられる.
 第III期の時代の回想は遂に伺うことができなくなってしまった.返す返すも心残りである.『みすず』の御遺稿もいずれ成書にまとめられるであろうが,高林氏の他の著作と併せ,ぜひ広く読まれることを望むものである.

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R. タートン 著, 川村 清 監訳,福山裕之,山賀正人,大坪一彦訳

量子ドットへの誘い―マイクロエレクトロニクスの未来へ

シュプリンガー・フェアラーク東京,東京,1998,vi+233p.,21×15cm,本体2,800円

小野嘉之 (東邦大理)

  我々の周辺では様々な電子機器があふれ,その性能, 数量ともに上昇の一途を辿っている. 本書はこのような実状を背景として書かれた THE QUANTUM DOT―A Journey into the Future of Microelectronicsの翻訳である. 原著者のRichard Turtonについては何も知らないが, 原著によればNewcastle大, 物理科のComputer Officerということなので, 固体物理のbackgroundをもつ計算機の専門家 というところであろうか. 監訳者も訳者前書きで述べているように, 量子ドットに直接関わる記述はわずかである. 非常に多くの部分が, 最近の電子デバイスの作動原理を理解するために必要な, 基礎的量子力学の解説に費やされており,しかも, 量子的な概念を説明するのに, 式は1つも用いていない. 排他原理や二重障壁の共鳴トンネル効果等も身近なたとえ話に置き換え, 図だけで説明している.式を使わないためにわかりにくい点もある (導線を伝わる信号の時定数が 導線の抵抗と容量の積で決まるのは何故か等)が, わかりやすい言葉で難しい概念を説明しようとする努力は評価に値する. 量子ドットの専門的な解説書を期待した読者は,最初, 裏切られたような気がするかも知れないが,読み進むうちに, 啓蒙書としてはこれでよいことが納得できる.
 タイトルからも想像できるように, 本書のねらいは,電子デバイスの現状を俯瞰し, 将来のデバイスのあり方を予想しようということにある. 現状の俯瞰はほぼ成功しているといえよう. 量子論に基礎を置くデバイスが我々の身の回りに如何にたくさんあるかがよくわかる. 利用する際には量子力学を知らなくても何も困ることはないが, 開発に携わる場合には量子力学はなくてはならないものになっていることが, 平易な説明によって伝わってくる.計算機の専門家らしく, デバイスの動作原理についての説明もあり,応用のためには, どのような特性が必要なのかがわかりやすく説明されている. それに基づいて将来のデバイスも議論しているが,期待しすぎたせいか, こちらの方は具体的イメージが明確になるところまでいっていないように感じた.
 著者も結語の部分で述べているように,物理学者が研究を行う場合, 近い将来の応用を念頭に置くということは,あまりない. しかし,初学者が応用上の要点を知って勉強を始めるということは当然あってよいと思う. 巻末には,簡易事典風の用語集がついていて便利である. 実際の翻訳は,若い3人の研究者によってなされたものである. いくつか気になる訳語もないことはないが,64ドル問題に関するものなど, 有用な訳注も与えられていて, 日本人に必ずしも馴染みのない表現も理解できるように工夫されている.
 原著は1995年に出版されたものであるが,数年を経た現在でも少しも古くなっていない. これは,監訳者が指摘しているように,廃れることのない基礎的な概念を大事にし, 時間的にもある程度長期的な見通しについて触れているからであろう. 一般に地味であると見られている固体物理学の分野にも, 多くの魅力ある問題が横たわっていて, 多くの研究者が研究を続けていることを一般の人々に知らせるという意味でも, また,これから物理学や電子工学の世界を目指そうという 若い世代に対するメッセージという意味でも,本書は優れた啓蒙書であるといえる.

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稲葉秀明 著

氷はなぜ水に浮かぶのか;科学の眼で見る日常の疑問

丸善,東京,1998,viii+198p., 21×14.5cm, 本体2,400円

笠 潤平 (京都女子高)

本書は,身近な現象や金属,ゴム, セラミックスといった日常生活で出会う 新旧の素材にまつわるさまざまな話題を, Q&A形式にして取り上げ, そのしくみを説明していく読み物である.
 本書で読者として想定されているのは, 小中高の教員と教職を目指す大学生たちで, 著者は,子どもたちの科学や自然への興味を育てるためには, 現場の教員が,彼らの自然な好奇心と知識欲に正しく応えることが 大切であると考えている.
 たしかに, いまでも生徒たちはきっかけさえあれば,生き生きとした好奇心を示す. われわれは,彼らを失望させるのではなく,彼らの視野を広げ, 彼らを科学の広い世界にいざなうような答え方を身につけたいと願っている.
 本書は「磁性材料」,「電池」,「色と光」といったテーマごとに11部にわかれ, 一つ一つのトピックは独立しているが, 関連する事項がたいていそばに置かれている. 問いに対してまず簡潔な回答が述べられ,そのあと,より詳しい解説がつけられている. その際,著者自身が前書きで述べているように,「金はなぜ金色か」とか 「水の比熱はなぜ大きいか」といった問いに直接的な答えを示して終わるのではなく, 「なぜ」という疑問を2回繰り返す程度まで物質とその法則の世界をさかのぼり, 読み手に直接の答えの先を見せようとしている, あるいは読み手がその先を知りたくなるような工夫がしてある. そこで,自分だったらどう答えようとするか考えながら, 各項目を読んでいくと,現場の教員にとって説明の方法の勉強になる.
 ただ本書での説明方法は基本的に化学的である.物理の教師ならば, たとえば『物理の散歩道』(岩波書店)のように簡単なモデルを立てたり, 法則を用いたりして,日常の現象を考察していくような応え方がしたいものだと思う. (それがわれわれ日本の小中高の教員はあまり経験がなく苦手である).
 最後にこの場を借りて一言.物理の専門家の皆さんからの,面白い解説書, 教師の再教育のための研修コースや講演会,生徒の研究室訪問(これはすばらしい刺激になる), ロールモデルとなるような若い研究者の学校訪問 (たとえば理系を目指す女子生徒にとって若い女性研究者と会うことは大変な励ましになる) といったさまざまな,小中高の理科教育への援助が増えることを切に希望しています.

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戸田盛和 著

ミクロへさらにミクロへ―量子の世界―

岩波書店,東京,1998,xii+228p., 本体2,200円(物理読本2)

川村 清 (慶大理工)

私はこの本を軽い興奮を覚えながら読み終えた. 畏友K氏も,この本を読んでいるうちに電車を乗り過ごしたというから, この本は若い学生諸君に限らず,私の年代の物理学のプロにも訴えるものがある.
 19世紀に原子というものが想像されて,それが次第に実体のあるものと認知され, 原子の世界を記述するための量子力学が完成した. そのドラマを追うことによって量子力学の真の理解を目指すということが この本の目的である.第1章では,光の波動論の成立の過程を紹介している. 第2章では,19世紀から20世紀にかけて電子,X線,放射線, 原子核が次々に発見されていった過程をいろいろな逸話を交えて紹介している. 第3章では原子の研究とは全く異なる熱放射の研究からプランクが 光量子に思い至る過程を紹介し, 第4章でその2つの流れを統一したボーアの原子論の導入に至る. 見事なまでの起承転結である.
 私も大学で「量子力学入門」という講義を担当しているが, 戸田先生の言葉を借りれば「量子力学を計算の道具に使えるように」 教育することを急ぐ余り,この最初の4章に書かれているドラマにはほとんど触れていない. 味もそっけもない講義に飽きたらない若い学生諸君は, ぜひ副読本としてこの本を読み,科学研究にもドラマがあることを知ってほしいものである.
 ドラマがもっとも盛り上がるのは,第5章の「波動力学」と 第6章「波動関数の性質」の部分である.これらの章も単なる知識の寄せ集めではなく, 波動力学を受け入れるまでの物理学者たちの苦悩について, 「シュレディンガーの猫」や「ウィグナーの友人」にまつわる いわゆる量子力学のパラドクスを例に引いて紹介している.
 第7章の「非局所的な実在」では,EPRの問題を光子の片寄りという言葉を使って 定式化したのち非常にやさしく,ベルの不等式を導いてみせている. 最後の第8章は「量子力学の展開」と題して,ハイゼンベルグの行列力学, ディラックの量子力学と相対論的量子力学,ファインマンの経路積分, という残りの定式化に触れたのち,湯川先生の中間子論, 朝永先生の量子電気力学への貢献について述べている.
 戸田先生は,この本は科学史の本ではないとおっしゃっている. にもかかわらず歴史的叙述が多いのは,量子力学の建設に携わった人々を悩ましたことは, 現代のわれわれにとってもむずかしいところであり,しかも, そこにこそ量子力学の本質があるからである.実際,戸田先生は, 私が直接お世話になった上田良二先生の朝日歌壇に載った歌 「波と粒 わが青春を揺るがせし怒濤のごとき量子力学」を引き合いに出していらっしゃるが, この歌を私の「量子力学入門」で苦労している学生に示したら, 彼らも多少は勇気づけられるかも知れない.
 この本の中には,湯川秀樹,朝永振一郎のほかにも数名の日本人の名前が登場する. 長岡半太郎とラザフォードとの交流は有名であるが, さらに寺田寅彦がラウエの理論を実証していたことは私は浅学にして知らなかった. 直接量子力学の建設にかかわらなかったものの,上記の短歌を残された上田先生や 「雪は天からの手紙である」という有名な言葉を残した中谷宇吉郎の言葉を紹介するなど, 日本の物理学者の深い精神性についても触れている. 日本人として大いに誇りに思いたいところでもある.
 この本の本来の目的は量子力学を理解させることであろうが,今日の若い研究者に, よい意味での学問的野心を目覚めさせる本でもある. いろいろな年代の読者がそれぞれに感慨をもって読める本として,お薦めしたい.

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F. Grinnell著, 白楽ロックビル訳

グリンネルの研究成功マニュアル; 科学研究のとらえ方と研究者になるための指針

共立出版, 東京, 1998, viii+242p., 21×14.5cm, 本体2,900円

日比野欣也(神奈川大工)

いかにも怪しげなタイトルである. 額面通りに受け取って, 読み始める方がいるとすればすぐに後悔することになるだろう. 本書の内容はハウ・ツー形式を取っているが, 原題"The Scientific Attitude"もしくは邦題の副題 『科学研究のとらえ方と研究者になるための指針』 が示していると考えればよい. 対象としている読者は著者自身が述べているが, 一般, 学部学生, 大学院学生, ポスドク, 一人前の研究者というように幅広く, それぞれの立場でいろいろな読みかたができる著書となっている. 本書は大雑把に分けて, 前半部は一般向けの科学研究の在り方から始まって, 学部大学院学生向けのテーマの決め方から研究室の選び方に進み, 若手研究者向けの研究室の運営, 研究費の取り方, 論文投稿のしかた等となっており, 後半は研究者全般向けのデータのねつ造問題や科学と社会との関わり方までの広い意味での科学者の倫理というような構成になっている. 著者は生物医学が専門らしく, その分野での著者の経験をもとに具体的な事例を挙げながら, 教訓を述べている. 生物医学に精通していないと具体的な事例を完全に理解できないところも出てきそうであるが, 著者の意図を読み間違えることはないだろう. また, 訳者が日本の状況も少し補足しているようだが, 事例などは米国の状況を前提としているので(例えば, 研究費の取り方など), 日本の状況とは違うことを考慮して読む必要がある. さて, これを読めば本当に誰でも一人前の研究者になれるのか. 当然, そんなうまい話があるわけない. 指針の多くは一人前の研究成果を出した上でのプラスアルファを本書は示している. また当然, 本書に記述されている指針なるものは著者の研究活動に基づく経験則であるわけで, 既に一(半)人前の研究者の方々にとっては 「要らぬお世話」 的な講釈も所々にあるに違いないと思う. それは一読しながら, 自分なりの指針(方針)と比べてみるのも面白いのではないかと思う. 半人前の評者にとっては, なるほどと思う指針や今更どうにもならない指針などもある. そういう者が本書の書評を寄せるというのもちょっと気が引けるのであるが, 特にこれから研究者への道を進もうと考えている学部大学院学生には機会があれば読んでいただきたいと思う. 別の見方をすれば, 本書は自然科学研究者の生態(実体)を知る上での良書とも言えるだろう.

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I. Prigogine 著 ,安孫子誠也,谷口佳津宏訳

確実性の終焉;時間と量子論,二つのパラドクスの解決

みすず書房,東京,1997, vi+200p., 21.5×15cm, 本体3,400円

田崎晴明 (学習院大理)

「啓蒙」という言葉には相手の無知を仮定したよくない響きがあるが, 今はそれは問題にしないで,専門家が一般の知的な人を対象に書いた解説の類を 「啓蒙書」と呼ぶ.優れた「啓蒙書」とは, 新しい科学の知識を正しく伝えるとともに,科学に携わる人々の熱気と興奮, 考える喜び,そして,科学の進歩に立ち会ったときに感じる(であろう)無上の感動を, 多くの人々に伝えるものだろう.
 これは,散逸構造の研究などで名高いノーベル賞科学者Prigogineの最近の一般向けの本である. Prigogineの力強く楽観的な個性が全面に出て,科学を愛する者を力づけてくれる本である. 安直な科学終焉論が人気を博する風潮を吹きとばさんとばかりに, Prigogineは世界の複雑さを理解するための科学は誕生したばかりに過ぎないことを力説する. 非平衡の科学を長い年月にわたって精力的に開拓してきた彼の主張には, 余人にはない迫力がある.非平衡系の科学を志向していた若き日のPrigogineが, 当時の統計物理の権威から異端者扱いを受けたというエピソードも語られる. 非平衡系の研究が科学の中で大きな位置を占める今日からすれば, これには隔世の感があり,科学は着実にその守備範囲を広げているという実感を与えてくれる.
 だが,これは問題のある本でもある.(訳者による)副題がはっきり示しているように, 本書はPriogogineがついに成し遂げた物理学の革命, つまり時間の矢の問題と量子論の観測問題の解決を, 一般の知識人に知らしめるための本として書かれている.
 Newton力学や量子力学の時間発展方程式は,時間の正と負を反転させても形を変えない. つまり,方程式の形だけを見れば,力学の世界には過去と未来の区別はない. しかし,マクロな世界には,平衡状態への接近に代表される不可逆性がある. 力学法則の可逆性と現象の不可逆性の(一見したところの)矛盾が,時間の矢の問題である. 量子力学の観測問題については,何を問題にするかという点さえ, 人によってまちまちであろう. Prigogineは,量子力学の体系には「観測者」 が不可欠に見えるという点を問題にしているようである. 言うまでもなく,これらは,現代物理学の根本的な未解決の課題である. それぞれについて標準的な説明は得られているが, 未だに完璧とは言えず, 今でもさまざまな議論と模索が続いているというのが公平な現状の認識だろう.
 これらの問題へのPrigogineのアプローチを,評者の理解の範囲で一言で要約すれば, 従来の「軌道による記述」を放棄し,新しい「統計的な記述」を採用することで, 種々の問題を形式的なレベルで解決することだと言えるだろう. これは,実質的には,物理法則そのものの変更を提唱することだと評者は理解している. 標準的な法則の枠組みの中での理解が困難だからといって, 一足飛びに基本法則の変更を行うことには賛成できない. 特に,不可逆性や観測の舞台となる大自由度の系については,現在の基本法則の範囲でも, どのような現象が可能なのかについてはほとんど何もわかっていないというのが正しい現状認識だと思う. しかし,彼のアプローチの是非を詳細に検討するのは,新著紹介欄の目的ではないだろう. 実際に本書や関連論文を読まれた読者の判断を待ちたい. (Bricmontによるある程度まとまった批判1)があるので, 興味のある読者はそちらを参照していただきたい.)
 無論,すべての科学者の賛成を得なければ啓蒙書を書けないという法はない. 未だに科学者社会での認知を受けない自らの理論を,一般読者に熱く語りかける「啓蒙」もあっていいだろう.
 そうだとしても,しかし,この本でのPrigogineの基本姿勢にはバランスを欠くものがあると感じる. 時間の矢の問題にしろ,観測問題にしろ,従来の議論を意識的に陳腐化しようとする態度が鼻につく. 本書では,統計力学における確率や不可逆性は,従来は人類の「無知」のみに帰されていたと断定されている. 大自由度系の「典型的な」挙動が,確率を用いて,自然に記述されるという本質的な視点は無視されている. また「観測者」を必要としない量子力学の定式化に向けたさまざまな真摯な試みにも, 一切触れていない.
 叙述のスタイルも,評者には好ましいとは思えない.人の自由意志や創造性など, 重要だが現時点での研究とは直結しない問題を長く論じるかと思えば, 必要以上に高級に見える数学用語を並べ立てる. Boltzmannをはじめとした「古い」物理学者は馬鹿扱いされている. 新理論の核心をかみ砕いてできる限りわかりやすく伝えようという姿勢よりは, むしろ華麗な表現と尊大とも取れる態度で自らの偉大さを印象づけようという姿勢を読みとってしまうのは, 評者の偏見であろうか.
 本書は,科学への強い情熱を持ったずば抜けた人物の手になるエネルギー溢れる書物である. しかし,評者が主要な結論に賛成できなことを差し引いても,科学への謙虚さ,読者への真摯さを欠くために, 本書は真に意味のある「啓蒙」は果たしえないだろうと評者は感じた. あるべき「啓蒙」の姿とは何かという点も含めて,読者のご判断を仰ぎたい.

1) Jean Bricmont, "Science of Chaos or Chaos in Science?"
(http://xxx.yukawa.kyoto-u.ac.jp/abs/chao-dyn/9603009)


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高田誠二 著

測れるもの測れないもの

裳華房,東京,1998, xiv+156p., 19×12.5cm, 本体1,500円(ポピュラー・サイエンス)

永平幸雄(大阪経法大教養)

この本は気楽に読める本である. 冬であれば, こたつに入ってくつろぎながら読める. しかも大事なことを学んだという思いを残させる本である. 同書は, 科学啓蒙書として有名な『ポピュラー・サイエンス』シリーズの一書として出版された本であるから, その点で著者の意図は十分成功しているのではなかろうか. 登場する話には, ストレスの測定のような人文社会現象も含まれているが, 中心は, 科学技術上の計測の歴史に関する話題である. 例えば, 第3章では, 自然科学の発展が測定器の発達の恩恵を受けていることを, ガリレイが行った実験, 斜面を転がり落ちる球の運動の計測実験や, ラヴォアジエによる定量化学の実験その他をとり上げて説明している. また, 科学研究用の測定器は, ニュートンの時代には科学者自身が製作していたが, やがて科学機器製造を専門的職業とする技能者が現れる. そのことをイタリア・フィレンツェのアカデミア・デル・チメントの計測器その他を事例に挙げて展開している. そうした話が堅い話にならないように工夫し, オムニバス調に読み切りの短話でうまくつなげている. この本にはたくさんの挿し絵や写真が載せられていて, その面でも楽しめる本である. 表紙には, 19世紀末に世界的に人気のあったウエストン電流計の写真が使われているし, イギリスの物理学者ケルビンの箇所では, ケルビンの製造した反照検流計の挿し絵が挿入されている. このような優れた啓蒙書を書けたのには理由がある. 著者の経歴がものをいっているのである. 著者は東京大学工学部計測工学科を卒業し, 通商産業省・計量研究所の部長を勤め, 計測工学の専門家でありつづけた. さらに北海道大学理学部教授として教鞭をとりつつ, 科学史を研究し, 計測の歴史に関する多くの著書を著している. この本には, そうした経歴のなかで培われた著者の計測の歴史に対する深い教養がにじみ出ている. 一般の読者にとっても, また物理学者にとっても, 十分一読に値する一書であろう.

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益川敏英 著

いま,もう一つの素粒子論入門

丸善,東京,1998,viii+166p., 21×15cm, 本体1,500円 (パリティブックス)

九後汰一郎 (京大理)

題名が示すように, 現代の素粒子論の到達点を学部学生や一般向けに紹介する入門書である. オリジナルには,月刊誌「パリティ」に1997年4月号から1年間12回にわたって連載されたもので, それをまとめて今回単行本として刊行された. 各回の講義は10-12頁くらいの分量で読みやすい形になっている.
 この入門書を書くに当たっての著者の立場は, 第1回講義の最初の方で宣言されている次の言葉から明らかである. 「素粒子を支配している法則は 時空の幾何学とたいへんかかわりの深い一般相対論やゲージ原理と 深くかかわっている.…… これらの説明を抜きにして今日の素粒子論の到達点を語ることは不可能である. 場の理論は素粒子の世界を語る言葉である…….」 素粒子論の入門書にはいろいろなものがあるが,おおむね, 一般向けの解説書では,四則演算を超えるような式はなるだけ使わず, 言葉だけで説明するというものが多い.ブルーバックスのような本がその代表例であり, それはそれでこれから素粒子論を勉強しようという学生に夢を与えるなど, その存在意義には大きいものがある.しかしながら,一方, そのような本ではどうしても「お話」で終わってしまい, 今もう少し本当のところを理解したいという読者には物足りないところが残る, ということもまた事実である.この本では,とにかく,「素粒子の世界を語る言葉」 としての場の理論や「時空の幾何学」の一般相対論やゲージ原理を正面から解説しよう, とまず宣言しているのである.
 読者のレベルとしては,「パリティ」の読者程度, すなわち,大学初年級の数学くらいにはある程度素養があり, 物理学に関心のある意欲的な学部学生,ないしは他分野の理工系研究者, くらいが想定されている.特殊相対論,量子論についてそれぞれ,各1回分の解説から始まり, 「場の理論超入門(I,II)」,「ディラックと電子論」,の3回分で,解析力学の初歩, スカラー場,スピノール場の量子化を一通り解説している. スピノール場のローレンツ変換性などの解説は, 囲み記事にあるクリフォード代数の表現の一意性を用いるもので, 評者などにもけっこう面白い説明になっている.その後, 素粒子間の力と場の相互作用項の関係, 坂田模型やパリティ非保存の発見などの歴史的な発展の解説の後, 「ゲージ理論とは(I)」において,ゲージ理論の本格的な解説を与えている. まず,ゲージ理論におけるベクトルポテンシャル=接続場, が量子論においては電場や磁場などよりも基本的な場であることを アハラノフ-ボーム効果を手際良く解説することによって説明し, 次にアインシュタインの一般相対論も本質的に同様な接続の幾何学に 基づくものであることを説明している. つづいて,「弱い相互作用理論の展開」,「ゲージ理論とは(II)」において, 弱い相互作用のカレント-カレント構造やキャビボ角,CP非保存の発見をたどった後, 自発的対称性の破れ,Higgs機構,そして最後に電弱統一理論を解説している. 第11回の講義は,標準模型の残りの部分, 強い相互作用の理論―量子色力学(QCD)―の解説にあてられ, カイラル対称性の自発的破れや双対マイスナー効果による クォーク閉じ込め機構が説明されている. 最後の第12回の講義では,小林-益川による標準模型におけるCPの破れの理論, 大統一理論,を解説し,今後の素粒子論の展望で結んでいる.
 以上ざっと全容を紹介したが,著者の初めの宣言どおり, 内容は極めて本格的なものである. なるだけわかりやすくという姿勢は貫かれているが,数式は躊躇なく使われており, 読者がそれを的確に理解するにはそれ相応の努力が必要だろうと思われる. あまり式の詳細を気にしないという立場で読めば, ある程度のフィーリングだけで読み飛ばすということもできると思う. 実際,数式のない歴史的な発展を記述しているところが, ダイナミックな理論の展開を生々しく解説していて評者にもたいへん面白かった. しかしあくまでも, 著者の意図は書かれている式をフォローして素粒子論の到達点をしっかり理解して欲しい, というところにあるので,できれば真面目に読んでもらいたい. そして実際,この本は入門書と言いながら, 式をきちんとフォローできるように書かれている. ただ少し惜しむらくは,ミスプリが散見し, それが初学者には躓きのもとになるのではないかと懸念される. この点については次版での改善に期待したい.
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