2005世界物理年によせて
--世界物理年を振り返る--
和 達 三 樹 〈2005世界物理年委員会委員長 東大理〉
[日本物理学会誌 Vol.61 No3(2006)掲載]
前年2005年は、世界物理年であった。経理事務を含め、まだすべてが終わったわけではないが、記憶が新鮮なうちに、活動の総括と今後への反省をまとめておきたい。
2002年10月 9 日-12日、 ベルリンで開催された国際純粋・応用物理連合(IUPAP)総会で、2005年を世界物理年 (World Year of Physics) と設定することが決まった。物理学会もその主旨に賛同し、2003年(当時、潮田資勝会長)には、世界物理年委員会(WYP-2005-JPS)を設けて活動することを決めた。その後、国際連合総会(2004年6月) で、国際物理年(International Year of Physics)が採択・宣言された。
議事メモを調べてみると、2004年1月7日に第一回会合を行っている。すなわち、世界物理年開始のちょうど一年前から本格的な活動を始めた。企画と活動を大別し、主となる委員の役割を決めた。
(a) 社会(男女共同参画活動を含む) 担当 坂東昌子
(b) 教育 (主に小・中学校、 高等学校) 担当 久保謙一、鈴木康夫
(c) 関連学会・財団(国際会議開催を含む) 担当 鈴木康夫
(d) 広報(及び国際協力) 担当 並木雅俊
(e) 文科省、学術会議、物研連 担当 北原和夫、並木雅俊
(f) 物理学会企画(及び支部との連携) 担当 大橋隆哉
事務局からは、おもに澁谷聡が参加した。上の(e)は、その後日本委員会(有馬朗人会長) の発足に伴い、 日本委員会運営委員長(北原)、副委員長(和達)、副委員長(並木)としても活動した。海外からは活動に関する問い合わせが到着し始める中で、毎月委員会を開きつつ準備が始められた。米国物理学会のWorld Year of Physics 2005 newsletterの第1号が2004年3月であるので、各国ほぼ同じ歩調で進んだと言ってよいであろう。
企画と活動は、会誌(2004年1月、2004年4月〜2006年1月)に詳細に報告されている。全体としてかなりの分量であり、タイトルを並べ書くだけで1ページを使いそうなので、興味を持たれた方は会誌の各記事をご覧いただきたい。その一部だけをここで述べるのは、尽力された関係者各位に対してやや不公平ではあるが、社会、とくに、若者への働きかけを中心に紹介する。以下の日付はすべて2005年である。
(1) ジュニア・セッション
3月24日-27日東京理科大学野田キャンパスで開催された第60回年次大会において、ジュニア・セッションを新たに設け、高校生の研究発表を聞く機会を持った。参加は無料としたが、旅費・滞在費は自己負担とするなかで、全国から多くの公募があったことは大きな驚きそして喜びであった。都道府県別で見ると、北海道3件、青森1件、福島1件、栃木2件、埼玉3件、東京3件、愛知2件、岐阜1件、京都2件、奈良2件、岡山8件、島根2件、山口1件である。31件もの応募から口頭発表を9件に絞らざるを得なかったのは残念であった。研究内容は水準が高く、また、堂々とした発表態度には頼もしさを感じた。参加された高校生たちや引率の教師の方々との交流は、ジュニア・セッションが私たちにとっても貴重な場であることを教えてくれたと思う。
(2) 信越地域の中学・高校生に物理学研究の感動を
長野県下水内郡栄村において、7月29日に講演会を行った。栄村は越後湯沢からバスで1時間の山間の村(人口2、500 人) である。 講演者小柴昌俊東大特別栄誉教授、中村修二カルフォルニア大学教授と中学・高校生の出会いはまさに感動であった。両講演者は研究だけではなく、自我の形成、信念、人生の目標をご自分の体験に基づいて率直に話された。地元の高校生たちが司会を行ったことにより、心の交流がさらに増したと感じられた。少年・少女たちが将来どのような道に進もうとも、すべての関係者の善意に支えられたこの講演会での経験を忘れないであろう。講演会を提唱され成功に導かれた久保謙一先生が、その後10月に他界された。病苦をおして実現のため全力を尽くされた先生のご冥福をお祈りしたい。
(3) 物理チャレンジ
8 月12日-15日、 岡山県青少年教育センター閑谷学校で、物理チャレンジ2005年が開催された。閑谷学校は、池田藩の庶民を対象とする学校であり、講堂はいまは国宝となっている。物理チャレンジ2005は、我が国で初めての全国高校物理コンテストである。日本委員会事務局(科学館)を拠点として組織された。応募者は282名あり、選考の後、最終的参加者は100名であった。理論問題コンテスト、実験問題コンテスト、ともに5時間という過酷な試験であった。実施にあたっては、岡山県、岡山光量子科学研究所、岡山大学、の協力を得た。また、物理学会や物理教育学会の方々(有山正孝、江尻有郷、長谷川修司など)は、深夜まで準備・採点に尽力された。疲労困憊であった関係者を、元気づけてくれたのは参加者の明るい笑顔であった。
以上は、世界物理年活動のごく一部である。参加いただいた支部、大学、研究所、地方自治体、関連学会、財団、民間会社、に感謝する。繰り返すが、会誌各号にはより広く詳しい報告がある。活動の中では、いろいろな経験をした。アインシュタインの命日4月18日に行われた「光のリレー」(実施委員植田憲一)では、日本委員会と緊密な連絡を取り、国際的問題を適切に解決できた。記念切手を発行できるよう申請し関係省庁にも働きかけを行ったが、成功はしなかった。また、この機会を活用し、物理学会を長年支援していただいている賛助会員の方々への感謝状を会長名でお送りした。
物理学会世界物理年委員会として、これらの活動を通じて感じたことを、最後に述べたい。活動の目標は、(1)物理学の正しい理解と果たしている役割を社会に伝える、(2)物理学の面白さ、物理学を勉強する楽しさ、を次世代の若者に伝える、であった。これらは、我々のむしろ不得手な種類の活動である。暗中模索の活動であったが、物理学会として新しい貢献分野を開拓できたと思う。社会が急激に変わる中で、何もしない、という選択はない。若者が魅力を感じて物理学に取り組めるような窓口を、常に開いておきたい。一方、企画・活動の中で、支部支援の乏しさ、教育現場との連携の弱さ、国際対応の遅さなどの物理学会の弱点を見出すことができた。多様な活動を支える資金と人材の恒常的確保も大きな課題である。世界物理年を、一年限りのお祭りとは考えたくはない。一年だからがんばれたというのでは、悲しい。先に紹介したジュニア・セッションのように、物理学会大会の行事として今年に引き継がれることになった企画もある。この一年の活動を振り返り、学び培ったものを将来への教訓として、より活発で外からも活動が見える物理学会になりたいと考える。
(2005年12月27日原稿受付)