日 本 物 理 学 会

世界物理年はチャレンジの年


並 木 雅 俊 [2005世界物理年委員会 高千穂大 e-mail: ]

[日本物理学会誌 Vol.59 No.6(2004)掲載]


来年は、世界物理年である。
IUPAPの総会で決議された声明文に「市民社会における物理学の認知とこの学問が重要であるとの認識が薄れ、物理学を学ぶ学生・生徒も劇的に減少している」という記述がある。市民が物理学の進歩に興味を示さなくなり、そのうえ物理を学ぶ学生・生徒も減って、市民社会の舞台からも、教育の舞台からも退場の危機にあることを嘆いている。物理学は、自然についての知を獲得し、人類の叡智を広げる先端学問であり、エキサイティングな知的冒険の学問である。また福沢諭吉に「物を見てその理を知らざるは、目を備えて見ざるが如し。ゆえに窮理書を読まざる者は、瞽者に異ならず」と言わしめ、塾初年生に物理学を必須とさせた教育の学ではなかったのか。これが現況なのであろうか。

今年1月、高校生の勉強嫌い・離れ傾向、特に理数系教科の学力低下を示した国立教育政策研究所の教育課程実施状況調査が公表された。国語と英語では半数以上が設定通過率を上回ったが、数学と理科は半数以下であった。特に理科では、観察・実験の結果やグラフの読み取り、思考・判断力の不十分さ、記述式問題での無答率が高かった。理科嫌い・離れ、理数力の低下傾向は以前から指摘されており、最近の学生を数年前の学生と比較してみると明らかで、また記述が不得手となったのはセンター入試を過度に意識した教育のためと解釈可能なので、そんなものかなと思われるかもしれない。

しかし、対象者の物理選択率は1/4しかないことには驚いてほしい。この数字は、高校での選択率の反映である。現高校生の物理IB選択者は全体の1/4に満たない(発展科目である物理IIはさらに少ない)。このことは、高校理科の中心(主流)は化学と生物であって物理ではないことを意味してしまうばかりか、減少傾向の物理選択率を考慮すると、近い将来、物理を学んだことのある国民が1/4以下という状況となる。これらからも、科学の基礎は物理学にあるとの言は(歴史や学問の位置づけ・構造から正しいとされても)物理屋だけの論理となり、何を言っても、負け犬の遠吠えとなってしまうかもしれない。残念ながら、教育等の舞台から退場の危機にあるという話は、直視しなければならない現実なのである。声明文には、「物理学は科学技術の発展に重要な役割を果たしているだけではなく、市民社会に大きな影響力を持っている。しかしながら、これは物理学者にとって自明なことだが、一般市民が必ずしもそう捉えているわけでない」ともある。

何故、2005年を国際物理年としたのだろうか。1905年はアインシュタインの奇跡の年である。*1その100周年記念の年である2005年を世界物理年として世界的規模で活動すれば、最も知られているアインシュタインが市民を牽引してくれる力となってくれることをIUPAPは期待している。また1955年は、バートランド・ラッセルからの核廃絶の提案に対する返事を送った年(2月16日)であり、また亡くなった(4月18日)年である。2005年は、ラッセル-アインシュタイン宣言50周年、それに歿後50年でもある。

*1 アインシュタインは、 1905年に5つの論文を提出している。 [1]光量子論の論文 「光の発生と変脱とに関するひとつの発見法的観点」 (3月18日受理)、[2]4月30日に仕上げた学位論文「分子の大きさの新しい決定法」(チューリッヒ大学に提出、7月24日受理)、[3]ブラウン運動の論文「熱の分子論から要求される静止流体中の懸濁粒子の運動」(5月11日受理)、[4]特殊相対論の論文「運動物体の電気力学」(6月30日受理)、 それに、 [5]E=mc2を導出した「物体の慣性はそのエネルギーに依存するか」(9月27日受理)である。

これらを受けて、世界物理年委員会は、これを記念した年次大会・講演会等での学会内活動以外に、[1]世界物理年記念(特殊)切手の発行、[2]応用物理学会と日本物理教育学会と共同での高校生を対象とした物理コンテストの実施、[3]中学・高校生や市民に物理学の理解のための小冊子の作成、[4]大規模出前授業の企画等を検討している。 しかしながら、一つひとつを実現していくにはいくつかの壁がある。[1]の特殊切手発行は、文部科学省振興企画課の推薦を受け郵政事業庁へ渡り、現在、判定を待っているところである。文科省に出向いてみてわかったことは、国民生活の社会・文化および国際関係に及ぼす影響の大きさが選定の基準となり、我が国の歴史・文化への影響が採択のものさしとなっているということで、特殊切手「2005世界物理年」発行は簡単ではない。[2]は、物理3学会により実施の方向で検討されている。[3]は学術会議物研連が中心となって実施する方向で検討している。[4]はまだ模索中である。

国際的な準備会は、第1回がグラーツ(03年7月)、 第 2 回がモントリオール(04年3月)で開催された。いずれも北原和夫先生が出席され、国際的な動き、各国の動きを知ることができた。モントリオールでの参加は31カ国・約70名であった。国際的な催しは、第1回準備会からさほど進展がみられなかったが、パデュー大学の出前実験授業、各大学の物理学科が輪番で毎月オープン物理学教室を開催している韓国等の各国の取組みには目を見張るものがあったようだ。また、欧州物理学会はEU全体を含んでの活動を行い、7月にベルンで開催される大会は「アインシュタインを超えて」をテーマとし、奇跡の年の3業績(光量子・相対論・ブラウン運動)に絡めたものとなる。

このよき機会に、物理離れの世の中にチャレンジしてみませんか。
(2004年4月12日原稿受付)