日 本 物 理 学 会

日本物理学会の沿革(1945年まで)

[50年史 / 事務局沿革]


沿革
1877(M.10) 9 東京数学会社創立.社長は神田孝平と桝猶悦.社員117名(常員55名).毎月第 1 土曜日湯島昌平館で集会.
10 ドクトル・センデル(Leopold Schendel) の講義.第 1 回定会.
11 「東京数学会社雑誌」第 1 号発刊.第 2 回定会.
12 東京数学会社社則を定める.
1878(M.11) 1 「東京数学会社雑誌」月刊( 8 月を除く)となる.
5 社長は岡本則録と神田孝平.
1879(M.12) 9 委員を選挙で決める.
1880(M.13) 3 神田孝平は社長を辞任.委員 2 名に事務委託.
5 社長は桝猶悦.
1881(M.14)
4 社長と学務委員を選挙.社長は桝猶悦.
1882(M.15) 5 菊池大麓,社長廃止案を建議.
6 紀念会開催(東大にて).社長廃止を全会一致で決定.議長は菊池大麓.出席24名.
7 選挙会で委員選出.桝猶悦は社長の地位を失い,間もなく脱会.以後民間の和算関係者の比重低下(脱会者は1887年に数学協会設立).
1883(M.16) 6 物理学訳語会,発足(山川健次郎ほか).
1884(M.17) 5 東京数学会社,東京数学物理学会に改組.会員82名.
6 「東京数学会社雑誌」第67号で終刊.
1885(M.18) 2 「東京数学物理学会記事」第 1 巻を発刊(和文,同 6 月に第 2 巻).
10 「東京数学物理学会記事」第 3 巻を刊行(欧文と和文,ただし会合記録などはローマ字書きとする).
1888(M.21) 12 「物理学術語和英仏独対訳字書」刊行.
1901(M.34) 6 Tokyo Sugaku-Butsurigakkwai Hokoku 発刊,ほぼ月刊(事務概要と講演概要の簡単な記事).
1904(M.37) 2 上記 Hokoku を第 2 巻,第 7 号より Tokyo Sugaku-Butsuri(Buturi)-gakkwai Kiji(Kizi)-Gaiyo と改称.
1907(M.40) 1 上記 Kizi-Gaiyo を第 3 巻で廃止.
2 第 4 巻から Tokyo Sugaku-Butsurigakkwai Kizi Dai 2Ki(副題 Proceedings of the Tokyo Mathematico-Physical Society, 2nd Series) と改称.
4 第 1 回学術通俗講演会,東京帝国大学で開催.
12 関孝和200年忌記念本朝数学通俗講演会,神田一ツ橋の東京高等商業学校で開催.聴衆1,000名余の盛会.
1908(M.41) 4 第 2 回学術通俗講演会開催(以後,1910年 4 月の第 4 回まで).
5 委員,委員長の任期をそれぞれ 2 年, 1 年とする.
1914(T.3) 10 第 1 回特別講演会(以後,大正年間に39回まで).
1915(T.4) 4 年会で「記事」会合記録のローマ字書きを廃し仮名まじり邦文に改めることを承認.
1918(T.7) 10 委員長 長岡半太郎提案の学会名を「日本数学物理学会」と改称する案が投票で可決.会員数439名.
1919(M.8) 1 東京数学物理学会,日本数学物理学会と改称.
1 Nihon(Nippon) Sugaku(Suugaku)-Buturigakkwai Kizi Dai 3Ki(Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan) 創刊.
1923(T.12) 9 関東大震災(「記事」第 9 ~11号は合併号となる).
1926(T.15) 3 『記事』に初めて広告が掲載された.
1927(S.2) 9 「日本数学物理学会誌」創刊(海外論文等の紹介).
1928(S.3) 4 創立50周年記念講演会を東京帝国大学で開催.
1944(S.19) Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan Vol. 26, No. 3-4,事実上の最終刊となる.
1945(S.20) 12 15日,第 8 回臨時総会(出席33名,葉書回答者1,048名)において日本数学物理学会の解散を賛1,043,否38で可決.会員数2,582名(内,物理学科出身者は1,812名).

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