創立50周年の名簿発刊に寄せて

日本物理学会1996年度会長(学習院大学理学部教授)  江沢 洋

今年は日本物理学会の創立50周年。その年に出す名簿だから何か挨拶を書けという仰せである。名簿は有用、挨拶は無用。とはいうものの、ぼくは過去を振りかえる役。次期会長が未来を語る。

この物理学会は、1946年 4月に創立総会を開いて船出した。その経緯、50年史の一面は本年の会誌1月号に書いた。50年間に物理学会も変わり、物理学も変わり、世界の政治も、何もかも変わった。日本の物理がよい意味でも他の意味でも国際化したこと、これも一つである。学会創立のとき会員数は1,253。この年が敗戦直後で特異だというなら、翌1947年をとろう。会員数は2,175。日本の総人口7.8×107の28ppm。それが今日、会員数は20,000に迫り、総人口、といっても1993年の数字し手元にないが、1.25×108の160ppmを占める。50年間に人数で9.2倍、人口比で5.7倍に増殖している。年齢を25-64歳に限った人口3.2×107(1947年)、6.8×107(1994年)に比べても68ppmと290ppmになり、4.3倍の増殖である。この量の変化は、いかなる質の変化をもたらしたか?三思三省の資料を会誌の「50年をかえりみる」シリーズが提供している。

戦後の歴史を思うとき、ぼくの原点の一つは「中間子は実験室で造り得るか」という木庭二郎先生の解説である。いま見ると1948年1月。中間子の質量も確かには知られていなかった。当時の加速器が到達したエネルギー100MeVだけでは足りないだろうが、核内の核子の運動を考えれば不可能でもなかろう、というE.Tellerたちの推測を細かく検討している。東西出版社の「現代物理学大系」全35巻という大企画の第一回配本に月報としてはさまれて街にでた。その後の高エネルギー物理の華々しい展開は、日本における原子核研究所(1955)、高エネルギー研究所の創設(1971年;1976年に1.18×1010eVp;1989年に6.4×1010eV,e+×e-)を含めて、むしろ周知であろう。2×1013eV,p×pをめざしたSSC建設は1992年にアメリカ議会が中止させた。1996年の夏、CERNのLHC建設への分担金を削減するドイツ議会の動きが報じられている。では、CERNにアメリカや日本も入れてEの字を“国際”に変えるか?それには抵抗があろうとNatureは見る。日本では高エネルギー研、核研が発展的に合併されるという。国際的に見て狙いはどう位置づけられるのか。専門家の議論が尽くされていることは疑わないが、この名簿の人々にも十分に周知されているだろうか?

高エネルギー物理に限らない。日本の物理学の動きを、われわれ名簿に名を連ねる者たちは掴んでいるだろうか?関心ある市民は?研究の面では、かつて1944-1949年の間『量子物理学の進歩』、『物理学の進歩』(共立出版)という今でいえば専門的なレヴューが街にでた。『素粒子論の研究』(岩波書店)3巻は1949-1951年。同種のレヴューは他にもあったのだ。論文の出版が不如意だったことも理由の一つだろう。でも、それらは街にでたのである。出ることができたのだ。1949年には『物理学の方向』がでて研究の向かうべき方向に市民の関心を呼ぼうとしている。諸分野の研究の動きだけではない。それらをめぐる社会や政治の動きについても、われわれb=160ppmは掴み、1-bと心を通わせなければならない。それには両者に開かれた発言の場が必要である。

この50年の始めには“知識人のあり方の自己批判があり”“世界に対してどういう仕方で責任を果たしてゆくべきかについての反省と、新しい出発という気持が、みなぎっていた”と『「戦後」への訣別』(岩波書店,1995)はいう。過去完了!そうだと思う。あのころ未だ一生徒だった者がこう言えるのは、たとえば『自然』という雑誌があって―物理学会と時を同じくして生まれたのだが―学界の議論と学問を批判をこめて街に媒介していたからである。その時代に学問は思想であった。この『自然』は戦後最長といわれた不況(1980-83)が終ったとき若死したが、いま当時の姿勢でいたら原子力発電所の建設を受け入れないとした巻町の住民投票をどう扱っただろう?総括的核実験禁止条約(CTBT)は?そして、大学院化の急流は・・・?政府の「科学技術基本法」は?17兆円の科学技術基本計画は?

物理学会の定款は“政府の干渉はよくない、学会はサロン的なものにしたい”という創立者の考えにより運営をヴォランティアにまかせる形をとっている。その帰結として、会の活動を、物理学とその応用に関して(1) 研究報告の発表と、(2)会員の一様に得られる研究上の便宜を図ることに限定した。“その他”はない。これは一つの見識であり、定款として今に続いている。しかし、会員の一様に得られる便宜が会員すべてを常に満足させるとは限らない。また学会の外から、物理学に携わる者たちの唯一の会として見られることも多く、定款からはみだす要請もくる。国際的にも学界を代表するよう求められる場面がでてきている。それに応える団体を創るのも一法であろうが、専従者がでて学問の感覚から離れることが心配である。そこは多少の無理をするとして、いま早急に必要なものは社会との交信・相互批判の窓口になる自然科学の評論(review)誌だと思う。名簿のわれわれと社会を含めた相互連携のために。

(平成8年8月8日)