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日本物理学会の歩み
1877年に創立 | 日本物理学会は1877年(明治10年)に、数学を含む「東京数学会社」として創立されました。「会社」とは、societyの意味です。数学から始まったのは和算の伝統があったからだとされています(資料1、6)。日本物理学会は、1977年に「東京数学会社」創立以来100周年を迎え、1995年に150周年を迎えたドイツ物理学会、1999年に100周年を迎えたアメリカ物理学会と同様の長い歴史を持ちます。 |
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設立当時の時代背景 | 明治10年(1877年)には東京大学が設立され、西南戦争が終結しました。この年は、日本の近代化への方向が定まった年と言えるでしょう(資料1)。菊池大麓が日本最初の数学専門家として9年間のイギリス留学を終え帰国したのも同年のことです。また、福沢諭吉が「文明論の概略」の中でニュートン力学や物理法則の意味を高く評価したのも、この頃(明治8年)です。物理学の分野では、 Maxwell が1874年に電磁気学の教科書を書き、さらに1876年頃に統計力学においてエントロピーが定式化されました。 |
戦前の「数物学会」 | 「東京数学会社」はその後1884年に、物理学を「共に研究し相助くべきもの」として「東京数学物理学会」に改組拡充され、1918年には長岡半太郎の提案で「日本数学物理学会」と改称されました(資料6)。それが第2次世界大戦の終了時まで続きました。この間、高木貞治のドイツ留学(1898年)、 Nagaokaの原子模型1903年、Klein-Nishinaの式1928年などがあり、そして湯川、朝永らの歴史に繋がります。 |
「日本物理学会」の誕生 | 「日本数学物理学会誌」の最終号は1944-1945年の合併号として出されました。そこには昭和20年8月の「常会」以外の全ての会について報告が出ています。(「常会」は現在の年会に相当し、当時毎月開催されていました。)その報告によると昭和20年11月9日の理事会において「日本数学物理学会」を解散し、「日本数学会」と「日本物理学会」とに2分することが提案されました。同年12月15日の臨時総会で、この案が決定されました。その時の会員数は、物理学科出身者数1812名、数学科出身者数592名、その他178名の総計2582名であったと報告されています(資料7)。(当時の歴史的事情については、以下の資料1、2、3、6などに具体的な記述があります。) |
そして今日まで | 日本物理学会の設立総会は昭和21年(1946年)4月28日に開かれました。学会としてはそれ以来、様々な経過を経ながらも基本的な方向性を変えることなく、今日まで来ております。この間の会員数については、 日本物理学会の50年-日本物理学会の沿革(1946年以降)にて見ることができます。 |
1995年に50周年 | 1996年の会員数は1万8,513名(総会時)です。この数は日本学術会議に登録される全学術分野の総数約1,200団体の学協会(総会員数約70万人)の中においても、比較的規模が大きいとされる学会にまで成長してきております。この間1995年に、「日本物理学会」としての50周年を迎えております。 |
物理系学術誌刊行協会の設立 | 英文論文誌の発行と頒布を集約化して効率的にするため、応用物理学会と協力して、2000年4月に「物理系学術誌刊行協会」(Institute for Pure and Applied Physics、略称IPAP)を設立しました。英文論文誌JPSJは、応用物理学会の「Japanese Journal of Applied Physics」「Optical Review」の2誌とともに刊行をIPAPに委託していました。創立以来、IPAPの活動は電子化ジャーナルへの対応を含めて十分な成果を挙げてきましたが、論文誌の寡占状態が進行する状況のもとで、さらにジャーナルの発展を目指すために両学会は2008年4月をもってそれまでの任意団体としてのIPAPを両学会協同の内部組織として、物理系学術誌刊行センターを発足させました。 |
世界物理年 | 世界物理年は、国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)が制定した年です。アインシュタインにより現代物理学の大いなる発展の基礎が築かれた年である1905年の100年後にあたる2005年が世界物理年として宣言されました。日本物理学会も2004年から多くのイベントを企画し実行しました。 その概要は以下のページでみることが出来ます。 |
設立70周年(2016)・創立140周年(2017) | 本会が1877年創立の東京数学会社に源を発し、1946年に日本数学会と日本物理学会に分離独立して設立されてから、2016年が設立70周年、2017年が創立140周年に当たります。これを節目とした一つの記念事業として、2016-2017年にかけて学会誌にシリーズの記事を掲載しました。それらは「物理学70の不思議」と「変わりゆく物理学研究の諸相」です。もう一つは第71回年次大会(東北学院大、2016年3月19-22日)で「学会史展示」コーナーを設置して会員に学会の歴史を紹介しました。 |
物理系学術誌刊行センターの解散 | 2008年4月1日に設立された物理系学術誌刊行センターは、2017年6月30日以降、センター長および副センター長を両学会から交互に選出して両学会の協力体制をとりながら、日本物理学会に「日本物理学会分室」を置き、応用物理学会に「応用物理学会分室」を置いて、前者は、JPSJ, PTEP, JPS Conference Proceedingsなどの英文学術誌、後者はAPEX, JJAPなどの英文学術誌の編集・出版に関わる業務・事業をそれぞれ独立に行い、会計もそれぞれの学会で独立に管理されてきました。その後、実質的に両学会が独立にそれぞれの学術誌刊行事業を実施している現状に鑑み、2024年3月の両学会の総会で、物理系学術誌刊行センターの解散の承認を得て、2024年3月31日付で解散となりました。 |
- 参考
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- 「日本物理学会の沿革(1945年まで)」
- 「日本物理学会の50年 日本物理学会の沿革(1946年以降) 」
- 日本物理学会 創立50周年記念実行委員会編「年表(1877~1995)歴史のなかの物理学会」(1996年)
- 日本物理学会編「日本の物理学史」上(歴史・回想編)、下(資料編)
(東海大学出版会、1978年)
資料:日本物理学会のあゆみ(日本物理学会誌の記事から)
以下には、日本物理学会誌の記事から、1977年における 「東京数学会社」設立100周年の特集号、1995年における 「日本物理学会」設立50周年の特集号、特集記事、並びに関連記事等について、その目次をご紹介します。
- 資料1)100周年 特集号(1977年)
日本物理学会誌、第32巻 第10号(1977年10月)
特集: 日本物理学会のあゆみ - 資料2)50周年 特集記事(1995年)
日本物理学会誌、第51巻、第1号~第12号(1995年)
主な内容(1年連載の特集記事、座談会など) - 資料3)望月誠一「40年のおもいで I 、 II 、III
日本物理学会誌、第30巻第2-4号(1975年2-4月)pp.95-99、 pp.170-177、 pp.240-244.
戦前から戦後にかけて40年間、日本物理学会の事務局を 支えられた望月氏による回想記。 - 資料4) 江沢 洋 「創立50周年の名簿発刊によせて」日本物理学会名簿1996年版、 本会創立50周年記念巻頭言、i
50周年を記念する巻頭言。1996年度会長の江沢氏によるもの。 歴史の紹介など。物理学会会員のボランティアによる運営という特徴に触れ、「いま早急に必要なものは社会との交信・相互批判 の窓口」と述べる。 - 資料5) 米沢 富美子「日本物理学会創立50周年にあたって」日本物理学会名簿1996年版、 本会創立50周年記念巻頭言、ii
50周年を記念する巻頭言。1997年度会長の米沢氏によるもの。 今後の課題など。物理学会運営の特徴を評価しつつも限界を指摘し、 検討課題を具体的に提言する。 - 資料6) 江沢 洋 「日本物理学会の創立50周年に際して」「学士会会報」1996-IV, No.813(平成8年10月1日)、 pp.70-75. 日本数学物理学会が数学会と物理学会に2分した当時の事情を紹介しつつ、物理学会の特徴を分析する。
- 資料7)「日本数学物理学会誌」終刊号(昭和19、20年)
日本数学物理学会が数学会と物理学会に2分した当時の役員会及総会記録は、p.7-17 を参照。