PTEP 2019年12月号の注目論文
The Belle II Physics Book
素粒子物理学の主要な研究手法のひとつに,クォークやレプトンの種類(フレーバー)が変化する現象を研究し,フレーバーの構造を理解するとともにその起源を探り,新物理を探索する,いわゆる「フレーバー物理」の分野があります。これまでに,フレーバー物理の分野では世界を主導する各種の実験が,日本で行われてきました。中でも,1999年から2010年にかけて行われたBelle(ベル)実験は,第3世代のbクォークを含むB中間子系でのCP対称性の破れを2001年に発見し,クォークのCP対称性の破れの起源を説明する小林・益川理論の検証を行うなど,いくつもの重要な成果をあげました。Belle実験の結果は,小林・益川理論が素粒子のいわゆる標準模型の一部として確立する上で大きな役割を果たし,これがひいては2008年の小林・益川両氏のノーベル物理学賞受賞につながったことは,よく知られている通りです。
素粒子の標準模型は,これまでの実験で得られた膨大なデータのほぼ全てと整合した,現代物理学の金字塔です。しかしその一方で,その枠組みの中だけでは説明できないことも多数残されており,より根源的な,新たな物理法則の探索が,理論的・実験的にありとあらゆる方法で続けられています。例えばCERNのLHC加速器での実験では,超高エネルギーの粒子衝突により新粒子の探索が行われています。一方で,より低いエネルギーでも,超精密測定を行い,標準模型に基づいた予測と比較してわずかなズレを探すことで,新物理の兆候を探すことが可能です。後者の手法を取り,Belle実験で培った技術や経験を元にして,フレーバー物理のさらなる精密測定により標準模型を超える物理の発見を目指して提案されたのが,Belle II(ベルツー)実験です。
Belle実験のためにB中間子を大量に生成する「Bファクトリー」として設計された,高エネルギー加速器研究機構(KEK)のKEKB加速器は,世界最高のルミノシティ(輝度,衝突型加速器での粒子の生成能力の指標)を達成しました。Belle II実験では,Belle実験をはるかに超える精密測定を行うために必要な,さらに大量の粒子を生成するべく, KEKBからさらに約40倍のルミノシティを達成可能な「スーパーBファクトリー」SuperKEKB加速器へと改造を行いました。合わせて,生成された粒子を測定する装置もより高性能なBelle II測定器へと改良され,2019年から本格的な実験が開始されたところです。スーパーBファクトリーでは,B中間子以外にも,cクォークを含むチャーム粒子やτ粒子,多種多様なハドロンなどの様々な粒子が大量に生成され,幅広い研究が可能です。
スーパーBファクトリーのポテンシャルを究極まで追求すべく,改造作業が進行中の2014年に,実験と理論の研究者が協力するBelle II Theory Interface Platform (B2TiP) と呼ばれる枠組みが作られました。B2TiPでは9つのテーマを設定しワーキンググループを作り, Belle II実験から期待される結果はどのようなものがあるか,またどのようにすれば最大の成果を生むことが可能か,議論を重ねた模様です。その活動を元にしてまとめられたのが,当 "The Belle II Physics Book" です。本文だけでも約600ページの大ボリュームで, B中間子だけでなくチャーム粒子,τ粒子,ダークセクターの探索まで幅広い物理を対象とし,またその説明の基礎となる装置や物理の概要も網羅しており,タイトルの通り,論文というよりも参考書に近いといえます。この1冊で,Belle II実験で目標とする物理研究の大部分を理解することが可能となっており,Belle II実験に直接関わる研究者はもちろん,近隣の研究者や,この分野に興味を持つ大学院生にも貴重な文献と言えると思います。
SuperKEKB加速器/Belle II実験の本格運転が開始された今,この "The Belle II Physics Book" に述べられた数々の研究テーマは,近い将来にBelle II実験のデータの解析結果として結実すると期待されます。さらに,新たな実験が始まれば,当初は予想していなかった発見から,次の世代の研究への広がりを生むことも往々にしてあります。そのような成果が,近い将来に続々と,"The Belle II Physics Book" に続いてPTEP誌に掲載されることを願っています。
原論文は以下よりご覧いただけます
The Belle II Physics Book
E. Kou et al., Prog. Theor. Exp. Phys. 2019, 123C01 (2019)