小林澈郎第49期会長(1994年)去る3月26日逝去
公開日:2017年4月13日
小林澈郎先生のご訃報に接し,謹んで追悼の辞を捧げます.
小林先生は,1993年に副会長,1994年に第49期会長の重責を果たされ,さらにこの前後合計10 年間にわたって会計理事、庶務理事そして監事を務められるなど、日本物理学会の運営に多大な貢献をされました。また、本会での物理教育、理科教育に関する活動に取り組まれ、また国内外の関連機関への積極的な働きかけを行い、初等中等教育から一般市民への基礎教育としての物理の重要性を訴えられました。
小林先生は、1952年に東京文理科大学物理学科をご卒業後、同研究科に進学され、朝永振一郎研究室に所属されました。その後1957年にペンシルバニア大学物理学科の助手に就任され、1960年からは早稲田大学理工学研究所の助手、助教授、教授を経て、1969年には東京都立大学理学部(現在の首都大学東京)に移られ、高エネルギー理論研究室を立ち上げられました。以来1993年に定年退職されるまで、東京都立大学の運営の中枢を担われ、評議員や国際交流委員長を務め、同大学の国際交流の推進に大きな貢献をされ、同大学の名誉教授の称号を授与されています。その後福井工業大学で7年間教鞭をとられました。
小林先生のご専門は素粒子理論の現象論ですが、特に高エネルギー粒子多重発生の現象論分析は、その後のこの分野の発展を促しました。また小林先生の顕著な業績は、従来の我が国における輝かしい素粒子物理学コミュニティが、当時、ともすれば理論志向が強過ぎて実験と理論との相互協力に欠ける憾みがあった状況を是正し、このバランスのとれた発展の基礎を築かれたことにあります。この先生のリーダーシップは、日本の素粒子物理学実験の発展を促し、高エネルギー物理学研究所設立に繋がる潮流の形成に大きな影響を与えました。一方、小林先生は多くの著書や翻訳書の執筆を通じて、大学における物理教育に寄与されたのみならず、自然科学の思想を社会一般に広める啓蒙活動にも大きな貢献をされました。このような業績により、2012年に瑞宝中綬章を受章されました。
小林澈郎先生がお忙しい研究・教育活動の貴重な時間を割いて,日本物理学会の運営に力を注がれ,多大な貢献をされたことに改めて感謝し、ご冥福をお祈りいたします。
2017年3月31日
一般社団法人 日本物理学会