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名誉会員の有馬朗人氏逝去(12/8 16:30更新)

公開日:2020年12月8日

有馬朗人先生のご訃報に接し,謹んでお別れのご挨拶を申し上げます。

有馬先生は,日本物理学会の第37期会長を1981年に務められただけでなく、1989年より東京大学の総長、1993年より理化学研究所の理事長、文部大臣と科学技術庁長官を歴任されました。また、2004年に文化功労者、2010年には文化勲章を受賞され、本会の名誉会員となられました。

有馬先生は、1953年に東京大学理学部物理学科をご卒業後、同大学院に進学され、その後、1956年に東京大学原子核研究所助手、1959年には米国アルゴンヌ国立研究所研究員、東京大学理学部講師を経て、1964年には東京大学理学部助教授となられました。この間、1958年に理学博士の学位を取得されておられます。1967年には米国ラトガース大学客員教授、1971年からニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授を経て、1975年東京大学理学部教授となられ、大型計算機センター長、理学部長、総長特別補佐の後、1989年に東京大学第24代総長となられました。

東京大学での教育ではご専門の原子核物理学の理論的研究において多くの若手研究者の育成に努力され、優秀な研究者を輩出されました。これにより、我が国の原子核物理学の研究レベルは向上し、海外と肩を並べて研究を進められるようになりました。大型計算機を駆使した大規模計算の重要性についても先生は早くから認識され、現在の京、富岳といったスーパーコンピュータ時代の到来を予見されていたかのようです。有馬先生というと、大学の激務の合間に俳句を読んでおられるということでも有名でした。本当に常識では一括りにできない知の広さを感じさせられます。

有馬先生のご専門とされた原子核物理学の理論研究では、初期の代表的仕事として有馬・堀江両氏による原子核磁気能率に関する配位混合の理論があげられます。その後、イアッケロー氏と構築された相互作用するボソン模型も有名です。これらの仕事では、仁科記念賞、ボナー賞、日本学士院賞を始め数々の賞を受賞されています。その後の政治の世界に入られてからは、いわゆる、大学院重点化、ゆとり教育の導入、科学研究費の大幅拡充などの、我が国の教育と学術・研究に大きな影響を及ぼす舵取りをなさいました。ご本人も述べておられますように、東京大学総長を経て、文部大臣、科学技術庁長官へと進まれずに研究を続けていらしたら、どんなに素晴らしい仕事が生まれていたかと想像せざるを得ません。 

このように、我が国の大学教育と学術・研究の発展と科学技術の進歩に多大なる貢献をなされた有馬朗人先生が、未だ若くして日本物理学会の運営にも会長として力を注がれたことに改めて感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

2020年12月8日

一般社団法人 日本物理学会 会長

永江知文