名誉会員の益川敏英氏逝去(8月3日更新)
公開日:2021年7月30日
本会名誉会員の益川敏英先生が、去る2021年7月23日にご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
益川先生は、1967年に名古屋大学大学院理学研究科博士課程を修了・学位取得の後、同理学部教務職員、助手を経て、1970年京都大学理学部助手に着任。1976年東京大学原子核研究所助教授を経て、1980年には再び京都大学に戻り、基礎物理学研究所教授、1990年理学部教授となり、1997年より基礎物理学研究所所長を2003年3月の定年まで務められました。定年退職後は京都産業大学理学部教授に着任され、特に2010年の同大学益川塾創設以降2020年の退職まで、基礎物理学分野の若手研究者の指導にあたられました。
益川先生は、京都大学物理学第二教室に助手として在任中の1972年4月に、同じく助手として着任早々の小林誠先生とともに、粒子と反粒子の間のCP対称性の破れを当時最新の電弱統一ゲージ理論に如何に導入できるかという研究を始めました。未だ強い相互作用が一般の研究者にとって闇の中であったに関わらず、彼らは極めて明快な見通しのもとに、この問題をわずか数ヶ月の間に解き、湯川博士創設の国際学術誌プログレス誌に9月に投稿された論文は、翌1973年2月に掲載されました。この小林・益川理論は、当時3種類しか知られていなかった素粒子の基本構成子が三世代6種類以上あると予言し、その後ちょうど三世代6種のクォークが次々に発見され、またCP対称性の破れの機構としても正しいことが確認されるに至り、2008年のノーベル賞を小林誠先生、南部陽一郎先生と共同受賞することになりました。
益川先生は、フェルミや湯川から始まった素粒子論が自発的破れを伴った非可換ゲージ理論としての今日の標準理論へと収束してゆく時期に、的確にその大きな流れを見通し、小林・益川の仕事ばかりでなく、くり込み可能なベクトルグルーオンによるカイラル対称性の力学的破れの研究や、後のウィルソンの格子ゲージ理論の先駆けとなる仕事をするなど、日本の益川世代以後の若手の素粒子論研究を牽引する役割を果たされました。
益川先生は、卓越した物理学者である一方、平和運動や科学研究のあり方などの社会問題にも忖度無く発言する気骨の研究者でした。折々に大事な発言をされてきましたが、先日の病床から発表された日本学術会議会員任命拒否問題に関する声明は、先生のお心を思うと胸に迫るものがありました。また、一方堅いばかりでなく、お茶目で気さくな人柄でも広く知られ、基礎科学の重要性と楽しさを若い人たちや一般の人たちに広く柔らかく伝える活動にもエネルギーを注がれました。
先生の生き方に深く敬意を表しますとともに、後進の育成や日本の科学研究の発展に多大な貢献をされたことに深く感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
2021年8月3日
京都大学基礎物理学研究所 特任教授
九後 汰一郎