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【解説追加しました(10/5)】2022年ノーベル物理学賞は,ベルの不等式の破れを実証し量子情報科学を開拓した量子もつれ光子の実験の業績により,アラン・アスペ博士(パリ・サクレー大学及びエコール・ポリテクニーク、フランス),ジョン・F・クラウザー博士(アメリカ),アントン・ツァイリンガー博士(ウィーン大学,オーストリア)の三氏が受賞。

公開日:2022年10月4日

解説

 2022年度のノーベル物理学賞は、フランスのパリ・サクレー大学のアラン・アスペ博士、アメリカのジョン・クラウザー博士、そしてオーストリアのウィーン大学のアントン・ツァイリンガー博士に三分の一ずつ授与されました。受賞理由は共通していて、複数光子の量子もつれの実験、それによるベルの不等式の破れの立証、そして量子情報科学を開拓し基礎づけたという業績でした。

 エンタングルメント(和訳では「量子もつれ」と言います)は1935年エルヴィン・シュレーディンガー博士がドイツ語でVerschränkungと命名したものを英訳した語です。意味は、「系Aが|ψA〉で系Bが|ψB〉」である状態と「系Aが|φA〉で系Bが|φB〉」である状態の重ね合わせになっている複合系の状況ですが、より一般には、全系の量子状態が「系A、系B、...のそれぞれの密度演算子たちの積和」の形に書けないような複合系を指します。系がAとBの2つだけで、どちらも2準位系(量子ビット)のとき、Bell状態(直交する4つのBell状態があります)が最も強エンタングル状態で、任意の弱いエンタングル状態や非エンタングル状態はBell状態からLOCC(Local Operations and Classical Communication)で生成できます。量子ビットが3つあるときはGHZ状態とW状態の2種類のエンタングルメントがあって、この2つはLOCCで移りあえません。このGHZ状態のZはツァイリンガー博士の頭文字です。

 量子力学では1935年にアインシュタインとニールス・ボーア博士の有名な論争がありましたが、Bell状態の語源になっているジョン・スチュワート・ベル博士は、この論争に実験による決着をつけようと、1964年にベル不等式を発案しました[1]。すなわち、不確定関係は「局所隠れた変数」により確定的に記述できる、という仮定の下に成り立つべき不等式で、2つの系の適切な物理量の測定値の間に成り立つべき不等式です。しかしその実験は容易ではなかったため、1969年に実験しやすい系と物理量を選んで書き換えたのがクラウザー博士で、その不等式は元のベル不等式と区別するときはCHSH不等式と呼ばれますが、今やそれがベルの不等式と呼ばれるほど普及した不等式です。それを使って最初に「ベルの不等式の検証実験」を行ったのもクラウザー博士です。この研究の重要性は当初から認識されていたので多くのグループがこの実験を追試しました。当時は実験装置が現在より不完全だったこともあり、「ベルの不等式は破れている」という結果も多かったのですが、「破れていない」という結果になったものも少なからずありました。しかし徐々に「破れている」という実験報告が増え、やはり古典論(局所隠れた変数の理論)は誤り[2]という認識に傾いて行ったのです。

 しかしここに、実験に付随するloophole(抜け穴)の議論が起きました。その抜け穴の主なものは (1)局所性の抜け穴と (2)未知効果による検出の偏りの問題です。1番目の局所性とは、まず系AとBが同一箇所にある場合、何らかの相互作用で「ベルの不等式を破るように系AとBが結託する」ことは原理的にないとは言えないので、それが起きていないことを保証するためには「系AとBは十分引き離す必要があり、その間を光が通過する時間以内に実験を終える必要がある」というものです。(これは「未知の第5第6の力が発見されたとしても、光速度を超えることはできない」ことは前提にしています。)2番目は、検出器の量子効率が低い場合、検出しなかった事象は、何らかの未知の効果で「ベルの不等式を破るように選ばれている」という、言いがかりのような議論ですが、重要な検証実験だけに、このような可能性も排除しなければならないわけです。アスペ博士の1982年の実験は、光子の短パルス化と検出の高速化を図り、上記(1)の抜け穴は塞ぎました。これでベルの不等式の破れが報告されたとき、誰もがいずれはノーベル賞と思ったわけです。(2)の低量子効率の恣意的な選択の問題は量子効率が上がるにつれてなくなる問題なので、(1)をクリアしたアスペの実験は大きく評価されて当然ということになります。こうして、実験を現実的なものにする不等式を見いだし最初に実験を行ったクラウザー博士と、塞ぐべき筆頭の抜け穴を塞いで実験を完成させたアスペ博士が評価されたわけです。

 さて、三体のエンタングルメントは2種類あり、W状態も応用の道はありますが、GHZ状態は量子情報への応用という点で一層重要な位置を占めます。まず量子コンピューターではすぐ計算途中に実状態として出現するので、GHZ状態の性質を理論的に詳細にし実験手法を開発したツァイリンガー博士の功績は、現在量子コンピューターに代表される量子情報技術に活きています。量子通信・量子インターネットとして使うなら、たとえば3つの量子ビットABCにGHZ状態を形成し、ABCの1つ--たとえばB--を|0〉|1〉基底でなく|+〉|―〉基底で測定すると、AC間はBell状態になります。同様にCでそれを行うと、AB間がBell状態になります。したがって、第4の量子ビットXをA経由でBにテレポートするかCにテレポートするかをルーティングすることができるのですが、このとき、どちらにテレポートするか決める前にXとAのBell測定(テレポーテーションの第1段階)をしておくこともできます。

 以上のように光子を用いた二体のエンタングルメントの生成とその発展としてベルの不等式の検証実験を行い、不等式が破れていることを文句なく明らかにしたアスペ博士と、その端緒を作り(抜け穴のある時代ではあったが)最初に実験を行ったクラウザー博士、それに光子を用いた三体および多体のGHZ状態を研究しその実験を行ったツァイリンガー博士に2022年になってノーベル賞が与えられたことは、待ちに待っていたことが実現したということができると思います。


[1] J. S. Bell: Physics Physique Физика. 1 (3): 195-200 (1964).

[2] ベルの不等式は古典論から導かれるので、破れなければ「古典論は間違っているとは言えない」と言えるが、破れれば量子力学だけが正しいというわけではない。破れれば古典論は間違っているので、代替理論が必要であることは主張する。代替理論の一候補が量子力学である、というのがベルの不等式の立ち位置である。

井元 信之 (東京大学 特命教授)


専門的な解説は、日本物理学会誌に掲載された以下の記事もご覧ください。

筒井泉「ベル不等式:その物理的意義と近年の展開」(小特集「量子もつれ」)2014年

井元信之「量子もつれの基礎および量子情報や物理との関係」(小特集「量子もつれ」)2014年

小特集「量子もつれ」2014年

酒井英行,齋藤孝明「陽子対を用いたベルの不等式の検証実験と非局所量子相関」2009年

花村榮一「光量子と光物性 : 光学からフォトサイエンスへ」(<シリーズ>日本の物理学100年とこれから) 2005年

古澤 明「量子エンタングルメントのテレポーテーション」2005年

江沢 洋「「量子力学の基礎と新技術」国際シンポジウム」1984年

並木美喜雄「量子力学の観測問題をめぐる最近の話題」1989年